七 其の拾陸
白石の話は、柿村にとって衝撃的なものであった。幕府の中に、天皇の暗殺を企てる動きがあるというのである。
将軍家は、天皇から征夷大将軍を任ぜられることによって権力の基礎を築いている。だが、事実上は武力によって実権を握り、国を動かしているのである。そのため、二度と戦乱が起きないよう、徳川幕府は各地の大名に参勤交代で財力を使わせ、武力や経済力を溜め込むことのないよう配慮している。
天皇は神の御子であり、古来より神聖なる存在とされてきた。神の血を受け継いだ天皇によって、将軍という地位が世に認められているのである。そうでなければ、各地の大名たちが黙ってはいない。
幕府の中に天皇制をやめさせようという動きがあるとは、どういうことか? すなわち将軍が天皇に成り変わるということである。なぜ、わざわざそんなことをする必要があるか。理由を挙げれば幾らでも挙げられる。まず、公家という公家の持つ権力をすべて取り上げるため、次に天皇家にかかる費用の一切を、縮小するためである。そして将軍がうまく天皇になりかわってしまえば、今後その権力を失う心配はなくなる。
「まさか」
柿村は真っ青になった。
「暗殺を企てている者がいるのは確かだ。御所の中では、既に何人か殺されている。表沙汰にはなっていないがな」
白石からは、嘘や冗談を言っているような様子は微塵もみられない。しかし、もしこんなことが世に知られれば、天皇に対する大逆罪であり、将軍の権威をおとしめる口実となる。徳川家の基盤そのものを揺るがすことにもなりかねない。
「とんでもねえ」
「そうだな、とんでもない話だ。信じるか?」
「信じるも何も、おれァ、一体どうすりゃいいんだ」
柿村は、畳の上にひっくりかえって大の字になった。もうお手上げである。白石の話が本当なら、首斬り事件など些末な出来事に過ぎない。下手をすれば、天下が再び戦乱の世に舞い戻ってしまうのだ。
「おのれの信念に従うしかないさ」
白石は淡々と落ち着いた調子で話を続ける。柿村はむくっと起き上がって尋ねた。
「なあ白石よ、今の話を口外するなと言ったが、おまえはなんでこれを知り、なんでおれに話したんだ?」
「手伝ってほしいからだよ」
「んっ」
柿村は腕を組んで考えた。
「奉行所には秘密……ってことかい?」
「御奉行様は、言ってみれば徳川側の駒だからな。これを御耳に入れる訳にもゆくまい。そして隠密廻りの役を任されれば、表向きは生死不明のまま自由に行動できる。ただ、おれ一人ではちょっと手が足りんのだ」
「ま、ま、待ってくれ」
「どうした?」
「おれは何も聞かなかった、というのはだめなのか?」
「だめだな」
柿村は額を押さえて、がっくりと項垂れた。どうやら、うまいこと巻き込まれてしまったらしい。




