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不知火血風抄  作者: 高倉麻耶
一章
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一 其の伍

 彼は辻斬りをやめなかった。自分の所業をさしていると思われる噂を、ほうぼうで耳にするが、なんの感慨も湧かない。如何にしておのれの目的を遂行するか。彼の関心事は、それのみであった。昼間のあいだは、手毬をついて少女たちと遊んでやったり、少年に挑まれて相撲をとったりすることもあった。だが、同じ宿場に七日滞在することはない。


 そうこうするうちに、都の地理はだいたい頭に入ってきた。しかし、財源の尽きないうちに、この都に住む男たちの首を全部斬るには、今の方法のままではとても間に合わない。


 宿で刀の手入れをしながら、彼は考えた。大量の人を斬るには、よい刀が要る。今使っている大刀は、土生家の家宝ともいえる銘刀であるが、それでも百人ばかり斬ったところで、かなりの刃毀れが出つつある。砥ぎに出せば、腕のよい砥師には何をどれほど斬ったか知られてしまう。新しい刀を入手せねばならない。


 そこで、家柄も金回りも良い武士をえらんで、その腰の物を物色すべく、相手をじゅうぶん吟味してから斬ることにした。駕籠に乗るような身分の者がよい。これまでは、二十歳以上の成人男子に斬れる機会があれば、誰彼かまうことなく斬ってきた。だが、これからはもう少し慎重に行動する必要がある。


***


 満月が杉の枝に架かっていた。深夜である。虫の音も止んでいる。道の向こうから、提灯の明りがふたつ並び、揺れながら近づいてくる。足音は七人。


 木立のあいだに佇んでいた彼が、進み出て道を遮るように立つと、足音は踏みとどまった。誰何の声を掛けられるが、応じない。男たちは、眼前の相手が何者であるか、ただちに判ったようだ。無言のまま駕籠をおろし、背を向けて散り散りに逃げ出した。


 そして、「狩り」がはじまった。


 数分のうちに、走る者はいなくなった。

 きっちり七人を仕留めた彼は、七つの首を左手にぶらさげて戻り、駕籠を蹴倒した。ところが、中から這い出てきたのは予想した人物ではなかった。前髪をおろしたばかりの、まだあどけなさの残る少年である。


 しまった、と彼はおもった。これは、元服したての息子のほうだ。十五歳くらいにしかなっていない。


(どうする?)


と、彼は自分に問うた。いま刀を奪ったところで、生かして帰せば足がつく。顔もみられている。──殺すか、逃がすか。


 少年は腰が抜けた様子で、震えながら、立ち上がろうともしない。恐怖に歪んだ表情で彼の顔をみつめたまま、蛇に睨まれた蛙の如く、うずくまっていた。彼は、その新鮮な桃に似た頬と、仔犬のような黒い瞳をみつめた。暫しの沈黙をおき、彼は背を向けてそのまま立ち去った。


 その夜、彼は宿で刀の手入れをしながら、


「違う。情けを掛けたのではない」


と、自分に言いきかせた。風呂に入っても、繰り返し、繰り返し、そのことばかりを幾度も考えていた。


 誓を破るわけにはゆかぬ。剣に迷いがあってはならないのだ。意に反して子供を斬れば、太刀筋にわずかな油断が生まれてしまう。そして、いつかそれは致命的なものになる。そのとき彼には、十五歳前後の少年を「男」として認識することはできなかった。


 あの誓願を守ること。それだけが彼のすべてであり、存在理由なのである。


 村を出てから半年近い。季節は、間もなく冬を迎える。


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