五 其の漆
不知火が目を覚ましたとき、桜木は思い詰めた眼をして、そのまま同じ位置に座っていた。その顔には、疲労が色濃く滲み出ている。
白みがかった早朝の空に、あざやかな鶏声が響いた。不知火が身じろぎをすると、桜木は眼だけ動かして彼女をみた。一睡もしていないのであろう、真っ赤に充血している。
「寝ろ、桜木」
不知火は体を起こし、襟を整えながら言った。桜木は口を開いたが、声は出なかった。その様子を見て、なにげなく水が要ると思い、置いてあった盆を引き寄せた。桜木は咳払いをして、
「いや、結構」
と、掠れた声でことわった。
ふと、不知火は自分の行動が可笑しくなった。今のは、亡き祖母が寝込んでいた頃、彼女に対するときの習慣であったことを思い出したのだ。桜木を気遣ったわけではない。が、そう誤解された。行動を見ただけでは、相手の気持ちなどわからない。
(道理で、「そこまで危ういとは思わなかった」などと言われる訳だ)
不知火の鼻から笑いが漏れた。桜木はそれを見咎めて、むっとした。
「何が可笑しいのです」
「……おまえは人を信用し過ぎる」
「ええ、赤城にもよくそう言われます」
桜木は恥ずかしそうに、拗ねた様子で答えた。不知火は、いつの間にかここまで彼に気を許した自分を不思議に思いつつ、またそれを心地良く感じてもいる。
冷え切った茶を湯呑に注ぎながら、不知火は静かな声で尋ねた。
「おまえ、本気でわたしに申し込むつもりなのか」
「本気ですよ」
「ならば、わたしでなく錦に勝てばよい」
「……」
「あの男は、わたしの目標だ」
桜木は不知火の手から湯呑を受け取り、一気に飲み干した。そして空の湯呑を畳に置くと、膝の間に顔をめ、黙り込んだ。
たったいま明確な言葉にして初めて、不知火はみずからの正直な思いを自覚した。昨年の冬、松林で錦に出逢ったときの戦慄と圧倒を、あとから畏怖だと自覚したのと同じように。言葉にならない思いは不安をもたらすが、言葉にしてしまえば安心する。単純なものだ、と不知火は思った。
そうだ、わたしは錦の強さに憧れている。錦を超え、その上に到達したいと願っている。錦の首を獲りたいと。それなのに、まったく別の――女の感情が、邪魔をする。わたしは惑わされているのだ。もう一度剣となって、この身を鋭く磨き上げねばならぬ。




