三 其の肆
その夜、不知火は陵辱を受けることを覚悟した。が、錦はそうしなかった。毎晩寝所に呼ばれたが、それ以来、錦はまったく手出しをしてこない。なぜか拍子抜けしたような感があった。不知火もただ寝ずの番をするだけで、斬りかかったりはしない。
しかしながら、屋敷にいる男たちの不知火を見る目は、少し変わった。どこかいやらしい目つきで彼を見る。あからさまに、舐めるような視線を感じることもあった。その好色な視線の意味を知ったとき、それは自分にとって好都合であると不知火は考えた。実は女として見られていたのではなく、錦の男娼と誤解されていたのである。
自分の中に男性への根深い憎悪を感じたのは、初めてではない。おそらくそれが、自分の受けた理不尽な苦痛に対する怒りであることも、不知火にはわかっている。女子としての生き方どころか、人としての生き方すら自分は知らないのだと、彼はおもった。
もしも、土生の家に生まれなければ? もしも、男子として生まれていたなら? 果たして、こうはならなかったのだろうか。考えるたび、「詮無きこと」と首を振る。祖父を恨んでも仕方がない。自分は、両親を殺した一味への復讐のために、剣士として育てられた。不知火自身には、不思議とその賊に対する憎悪はない。
幼い頃に起きた事件を、まったく憶えていないからなのかもしれないが、彼らのせいでこうなったとは思えないのだ。いまさら、親の仇を討ったところでそれが何になるというのか。
土生家には同年代の男子が数人いたが、彼らはみな養子であり、直系の子ではなかった。幼い頃の遊び友達であった少年たちは、全員が自分より年長であったことを覚えている。本来ならば、嫡男として育てられるべきは、彼らのうちの一人であったはずだ。
小枝を持ってチャンバラ遊びをしている自分たちの姿を、祖父はじっと見ていた。負けず嫌いの「ちか」は、女だてらに自分より背の高い男の子たちを相手に、一歩もひかずわたりあっていた。打ちすぎて泣かせたり、時には怪我をさせたりしたこともあった。祖父は、自分に剣士の資質を見てとったのだろうか。
あるいは嫉妬かもしれぬ、と不知火は考えた。わたしは男性に憧れたのかもしれぬ。強い体を持ち、強い力があり、命令する権力を持つ、「男」という存在に。女は、一生男に従い、男の言いなりになるだけだ。自分は祖父の命に従い、忠実に男であろうとした。そのことを思うと、目の前が真っ暗になるほどの怒りと憎しみが甦る。
痛みを感じずとも、体の自由が利かぬまま、目と口を布で塞がれ、肉が抉られていくときの感触。一日も、忘れたことはない。昔ほど悪夢に魘されることはなくなったが、自分の体から、あるべきものが切り取られ失われていくときの、忌まわしい感覚――思い出すたび、額に汗が滲む。「女」としての自分は、あのとき死んだのだ。




