二 其の拾弐
その夜、刀を磨いていた不知火の部屋に臙脂和尚が訪れ、緞子の袋を手渡した。ずっしりと重い。相当な金額であろうことが、開けずとも窺い知れる。
「錦さまのお心添えにございます」
そう言って、臙脂和尚はひっひっ、と息を漏らした。瘤の山が引きつっているようにしか見えないが、おそらく笑っているのだろう。
「なぜ笑う」
周囲に人の気配がないことを確かめ、不知火は小声で和尚に尋ねた。
「いつにない重さで」
「鉛かも知れぬ」
「ご冗談を。錦さまは、あの通りの御方」
「……和尚は錦の旧友だそうだが」
強い風が雨戸にぶつかり、ひゅう、と音がして行灯の明かりが揺らいだ。不知火は、正座した和尚に膝を寄せて近づいた。
「お寒うございますな」
「逸らすな。錦について訊きたいのだ」
「なんなりと」
不知火はいっそう声を抑え、和尚の耳に唇を近づけた。彼は普段、こんな距離では人に近づかない。気を許した訳ではないが、いま攻撃されることは無いと踏んでの、思い切った接近である。
「あれは本当に人か?」
それを聞いて、臙脂和尚は両眼を大きく見開いた。瞳は白濁している。何も見えてはいないだろう。呼吸を荒げているのは、先刻同様、笑っているのだ。
「ひ、ひ、間違いなく、我々と同じく『人』でございますよ。ただ少し、気配を隠すのがお上手なだけで」
「南蛮人では」
「それは私めには、何とも申し上げられませぬ。大陸に渡ったことがおありだというお話は、伺っておりまする」
「大陸……」
「江戸から陸奥に入り、蝦夷を旅して江戸へ、それから東海道をられて京へ戻られたと」
「エゾ?」
「蝦夷は、陸奥よりさらに北で御座いまする。弓と鉈しか持たぬ民が、森で暮らしているとか」
「そんなことはどうでもよい」
不知火は短く溜息をついて、和尚から離れた。
「わたしには、錦が斬れなかった。こうして近くに居ても、なぜ斬れぬのかわからない。あれは、人を斬ったことがないと言うではないか」
「左様に御座いますな」
「最初に遭うたときは……鬼が出たかと」
「鬼はあなたさまでございましょう」
「それは人の噂だ」
「まことのように思われますが」
「わたしは、まだ鬼ではない」
「……」
その時不知火に、はたと思い当たるところがあった。自分がなぜ錦に及ばないか、それは、人としてまだ捨てていない部分があるからではないのか。
「あなたさまは、女子でございましょう?」
唐突に、和尚が声をひそめて言った。瞬時に、不知火は目を動かして刀の位置を確かめた。和尚は不知火の殺気を読み取ったらしい。膝行して二歩退いた。
「おお怖……ひっひっ、老いぼれ坊主の戯言と、お赦しくだされ。不知火さまは、女子の匂いがいたしますゆえに」
「だったら、どうしたというのだ」
「錦さまは、不知火さまのことを何かと気にかけておいでです」
「それで?」
「女子には、女子の生き方というものが」
「わたしは男として育てられたのだ」
「珍しくはありませぬ」
「なに」
不知火は気色ばんだ。胸に、暗雲のような、どす黒いものが湧き上がってくるのを感じた。
「生まれついて体の弱い男子は、七歳まで女子として育てれば立派に成人し、強い武将になると謂われております」
だが、あれを切り取ったりはすまい、と不知火は思った。和尚はそのまま部屋を出て行った。




