二 其の拾
雑巾をかたく絞った。一滴の水も残さず搾り取るように。そして、棚のあたりから拭き始める。昔から、心がざわめくときは掃除をする。そうすると、やがて落ち着いてくる。掃除が終わる頃には、もうすっかり平常心に戻っている。
障子の桟の、細かいところに溜まった塵を拭き取りながら、不知火は、決して言葉に出さない思いを巡らせる。
桜木と赤城が自分に見せた親しみの眼は、とても懐かしい気がした。それは、幼い頃に道場の門下生たちが、かつての自分に向けていた表情と似ている。
土生道場には、昔、祖父の教え子が大勢いたような気がする。男として育てられるようになったときには、決して多くはなかったが、それでも幾人か残った道場生たちは、ともに稽古をしていた。やがて、親しくしていた者たちは、ひとり消え、ふたり消え、気づくと誰もいなくなっていた。なぜだろうか。彼らは祖父に追い出されたのか、それとも殺されたのか。あるいは、自ら出て行ったのだろうか。だが、探そうにも、誰の名前も覚えていない。
『ちかさま』
不意に、懐かしい乳母の声が耳に甦った。不知火は手を止めた。
そう、昔の自分は「ちか」と呼ばれていた。幾つの記憶だか、もはや定かではない。赤い花の模様がついた萌黄の着物を、よく着ていたような気がする。幼い頃の記憶を辿ろうとすると、なぜか意志に反して手が震え出す。はっきりとは思い出せないが、とても恐ろしいことがあったような気がするのだ。何かとても大事なことを、すっかり忘れてしまったような――
ごとん、と音がした。
視界が暗くなっていることに気づき、顔を上げると錦が立っていた。音は、錦の持つ大剣の柄が、鴨居にぶつかったものであった。
「来い。斬らせてやる」
いきなり言われて不知火は戸惑ったが、はっと気がついて立ち上がり、雑巾を棚の上に置いた。これは、ついに来た初仕事であろう。




