二 其の玖
翌朝から、桜木は屋敷の庭で朝稽古に勤しむようになった。それまで彼の表情にはなかった険しさが、木刀を振る桜木の顔にあらわれている。上半身を剥き出しにして素振りを繰り返す桜木の肌から、冬の早朝に触れた熱気が白くたちのぼる。しっ、しっ、と呼気が漏れるたび、その口元からも薬缶の湯気に似て、鋭く漏れては消えてゆく。
金色の朝陽が植え込みに差し入り、均整のとれた桜木の背中を照らしていた。彼が動くたび、隆起した背筋の動きがはっきりとみえる。縁側を通りがかった不知火は、それを見て純粋に、
(うつくしいな)
と思った。
その瞬間、桜木が振り向いた。目が合った。
「不知火どの」
意外にも、桜木は頭を下げた。
「朔の夜は、あいすまなかった。おれは、あなたを見くびっていた。あのとき栗田殿が止めてくれなかったら、今ここにこうして生きてはいられなかっただろう。これまでの自分が、如何に天狗であったかを思い知らされたのだ。実に恥ずかしい」
「……」
思わず、不知火は口を開きかけた。否定しようとしたのである。
あのとき、彼は栗田に止められたから抑えたのではない。錦の、「動くな」という制止の気が、それより一瞬先にぶつかってきたのだ。そのことを説明しようとしたが、今ここで声を出すのはまずい、と思い直して口を閉じた。
「耳は聴こえるのだな?」
廊下に出てきた赤城が、背後から声をかけた。不知火は黙ってゆっくり肯いた。赤城はまだ、間合いの外にいる。
「警戒せんでいい。おれはあんたに勝てるとは思っていない」
赤城は、寝間着のまま縁側に座り込み、不知火の立っているほうへ煙草盆を置いた。そして煙管を取り出し、さもうまそうにふかし始めた。
「一服どうかね」
不知火は首を横に振った。この男は油断ならない。口では「勝てない」などと言いながらも、その眼には、いつ斬りかかれても応じられる気配がある。
「あんたは本当にこわい人だ」
ふっふっ、と体を揺らして笑いながら、赤城は言う。桜木は汗を拭いて服を着込み、赤城の隣に座った。
「冷えるのう」
ふと、不知火は奇妙な感覚にとらわれた。いま、どうして自分はこの男たちを斬らないのであろうか。錦に止められているからといって、それに従う必要などは感じていない。だが確実に、「いますぐ斬ろう」とは思わないのだ。そういう自分が、不思議でならない。
「不知火どの、腰掛けられよ。折り入って、あなたにお願いしたい儀があるのだ」
桜木は自分の隣へ来るよう、手招きしている。それを見た途端、不知火は何かがひどく恐ろしくなり、逃げるようにその場から立ち去った。
「不知火殿」
再度、うしろから桜木の呼ぶ声がしたが、彼は振り向かなかった。