十一 其の伍
「拙者は、井原殿の留守をお預かりしている者で、栗田兵衛と申す」
「水野蘇芳です。織田派一刀流清水道場にて、師範代を務めております」
「お噂はかねがね伺っている。相当な腕前をお持ちのようだ」
「いいえ、まだまだ修業中の身で」
ほぼ型どおりの挨拶を済ませると、栗田という隻眼の男は、柿村の顔を遠慮のない眼でじっと見た。
「……そちらの御仁は?」
「か、柿村稲助だ。東奉行所の番方同心である」
柿村はやや怯えているものの、こんどは正々堂々と自分の名を名乗った。ここで嘘を吐いても仕方がないと思ったのだ。
「ふむ。奉行所のお役人が、いったい何の御用でござろうか」
「ある人物を探している。ご協力願いたい」
「『ある人物』とは、藍澤殿とかかわりのある御仁か?」
栗田は、鋭い声で質問を返してきた。柿村を疑っている様子だ。
「あるとも。……その前に、なぁ。蘇芳さん」
柿村が水野に目配せをした。水野はそれに頷いて姿勢を正し、大きく咳払いをした。
「こちらのお屋敷には、井原双鶴殿がいらっしゃるはずが……藍澤先生が、『井原殿には何度使いを出しても返事がない』とお嘆きなのです。井原殿は、一体いかがなされたのですか?」
「湯治にお出かけで御座る」
平然とした顔で、栗田は答えた。だが柿村はその眼の動きを見て、鋭く察知した。
「嘘だろう」
栗田は大きく目を見開いて、柿村を睨みつけた。だが柿村は、もう怯えてはいない。
「あんたは今、嘘を吐いたな。この屋敷は、井原じゃなくて『錦』という男が使っているんだろう」
仕事をする目つきになった柿村は、急に元気づいて、勢いよくまくし立てた。
「錦? そんな人物は存じ上げぬ」
栗田は否定したが、彼がさりげなく目を逸らしたのを、柿村は見逃さなかった。殊更に大声を張り上げて、柿村は詰問を続けた。
「これは異なことを申される。我らは確かに、錦という名を聞いた。金崎甚五郎という男で、こちらの屋敷を案内してくれた人物だ。あんたがたのところで、剣客として雇われていたという話をしていた」
「存じ上げぬ」
「知らぬ存ぜぬで通す気か? ならば、井原殿に会わせてもらおう。いつ出発して、どこへ行った? 留守を預かっていながら、何も知らぬはずはないだろうが」
「いや、存じ上げぬ」
栗田は頑なに黙秘を決め込んだ。しめた、と柿村は思った。こうなればもう、同心である彼の権力を妨げるものは何も無い。
しかし柿村がいよいよ自分の要求を出そうと、口を開いた途端――障子が、すっと開かれた。
何気なくそちらに目をとられた柿村と水野の二人は、思わずぎょっとした。顔中こぶだらけの、化け物のような僧形が姿を現したのである。一瞬、柿村は本当に妖怪が現れたのかと思って、悲鳴を上げそうになった。
「左様……『錦』というのは、井原様がご自分で名乗られた、雅号のようなものでしてな」
奇面の老僧は、化け物ではなく生きた人間であった。外見とは裏腹に、とても優しい声をしている。柿村は落ち着きを取り戻して、
「雅号だって?」
と返事をかえした。
「坊さん、あんたは誰だ。井原とどういう関係がある?」
僧形の老人は、畳の上に深く頭を下ろして、丁寧に挨拶をした。
「申し遅れましてございます。わたくしは、こちらの屋敷にて、薬などのお世話をさせていただいております按摩でございます」
顔を上げたその老人は、よく見ると確かに盲目のようである。
「按摩さんか」
柿村は、あっさりとその言葉を信じた。おそらく、驚いた直後の安心も手伝ってのことであろう。
「で、なんでその按摩さんが訳知り顔で、代理人の栗原さんは何も知らねぇんだ」
「栗田ですが」
名前を間違えられた栗田は、些かむっとした様子で口を挟んだ。だが、柿村はあっさりとそれを無視した。
「それじゃ『錦』ってのが井原さんの雅号だとしよう、それはいったん置いとこうか。でもな、そのご当人はいったいどこへ行った? なんで、ずうっと屋敷にいない? おかしいじゃねぇか」




