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不知火血風抄  作者: 高倉麻耶
二章
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二 其の伍

 ならばその剣は何だ、と言いかけて彼は口を噤んだ。錦の眼には一点の曇りもない。その大きな瞳は、子供のような無邪気さで真っすぐにみつめている。


 直感的に、彼には錦が嘘を言わない男であると思われた。嘘とは自分に都合のよいものだ。保身、あるいは辻褄合わせ、責任逃れなどのため、人は必ず嘘を吐く。だがおそらくこの男は、保身や言い訳の必要など微塵も感じてはいないだろう。


 突如、錦は高らかに哄笑を響かせた。皺だらけの手で皿を洗っていた店主が、長く伸びた白い眉を片方だけ上げ、


「御機嫌ですなあ、お珍しい」


と呟いた。


「おもしろいな、不知火。おまえは凄ぇおもしろい奴だ」

「何がそんなに可笑しいか」

「おまえはほんとうに、斬るためにだけ生きてきたのだな。それが可笑しい」


 なおも笑い続ける錦を尻目に、彼は残る酒を一気に呷った。酔わぬ体質であった。


 *


 結局、錦自身の事については何ひとつ知らされぬまま、その屋敷に客人として迎えられることになった。


「俺のところに来い、来ればわかる」という、乱暴きわまりない話である。何故そんなあやふやな話に乗る気になったのか、彼自身にもわからない。――あるいは、錦という男の正体を知りたくなったのかもしれない。


 ほど歩いて着いたのは、門構えも立派な、やや古びた武家屋敷だった。裏口のほうから入れと云うので、おとなしくそれに従った。が、彼の鼻腔には、つい最近のものであろう僅かな血の臭いが、届いていた。


――何かある。


 彼の警戒を錦はみてとったようで、口の端に笑みを浮かべている。裏門の木戸をくぐった瞬間、彼は刀の鍔で何かを弾いた。何が飛んできたのかは暗くてよく視えなかったが、金属であったのは確かだ。


「お見事」


 嗄れた声のほうに目を向けると、よれよれの僧衣を着たせむしの坊主が、錫杖をついて庭の中程に立っているのが見えた。


「和尚、つとめ御苦労」

「恐れ入ります」


 錦が片手を上げると、坊主は一礼して裏手のほうへ姿を消した。歩き方から察するに、どうやら盲目のようである。


「あれは、ここで臙脂和尚と呼ばれているのだがな、もっともふるい付き合いなのだ。おれが留守の間、この屋敷を護らせている」

「おまえの客は、いつもこのような腕試しをされるのか」

「まあな。今日はあんまり必要なかったが」


 悪びれる様子もない。つまり、錦の屋敷に入るには、それなりの資格が必要ということなのだろう。


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