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不知火血風抄  作者: 高倉麻耶
一章
1/134

一 其の壱

剣豪小説です。

お楽しみいただければ幸いです。

生首がよくとびますので流血などの描写が苦手な方にはおすすめしません。

  一


 板張りの床が黒ずんで光っている。古びた剣道場で、二人の影が向かい合っていた。


 ひとりは上座に居り、六十過ぎであろうか――髻は殆ど白髪の、初老の男であった。瞑目して姿勢ただしく坐している彼の、厳格で精悍な面相と、よく日焼けした褐色の肌、しまりのあるからだつき。それを見れば、彼のこれまでの生が武道の修練に投じられてきたことは一目瞭然である。


 いまひとりは下座に居り、うら若く、白蓮のごとき清廉な美貌である。眼前の老人を正面に見据え、微動だにしない。呼吸を細く静かに、最大限の注意を払って整えながら、油断無く機を窺っている。肌は白く、体型が若干痩せぎみではあるものの、正座して背筋をぴんと伸ばした様には、どこかただならぬ気配が漂っている。


 ふたりは、よく似た着物を身に纏い、腰には真剣を差して、鏡あわせに正座していた。まるで、時を隔てた同じ人物が対峙しているかのように。


 開け放たれた両側の窓の外では、松林に初夏の風が渉り、爽やかな午前の陽光が土に落ちる。じわじわと蝉がないている。空の彼方から、かすかに雲雀の声も聴こえる。時は平和に、何事もなく過ぎてゆくかのように見えた。

 

 刹那、道場の薄暗い梁に向かって、鮮血が噴きあげた。


 立っていたのは、若いほうの人物であった。よく磨かれた床板の上に、かっと眼を見開いた老人の首が、ごどん、と重い音をたてて落下し、転がった。


 白面の若き修行者は無表情のまま、手に持った刀の刃をじっくりと観察し、わずかに付着した血をみつけて丁寧に拭き取った。そして、慣れた仕草でそれを鞘におさめると、実の祖父である師匠の首を、そっと両手で拾いあげた。彼はその首をひとしきり眺めたあと、無造作に瞼を閉じさせた。そして頭部を喪った胴体の前に屈み、静かに安置した。


 老いた男は、刀に手をかけ、片膝をついて立ちあがろうとした姿勢のまま、動かなかった。


 道場を出た彼は、ひとり小さく呟いた。

「我が剣の道は、ひとつの完成に到達した。いまこそ、誓願の通りにしよう。わたしは、二十歳をこえた男の首を、ひとり残らず刎ねる」


 その日、彼は生まれ育った村を出奔し、都へ向かった。彼の去った後には、火の粉を噴いて燃え上がり、崩れ落ちてゆく道場と屋敷、そして首の無い男たちの死体が残された。彼らの首はひとつ残らず道場に集められ、祖父の頭部とともに火をつけられた。胴体のほうは、斬られたその場所にそのまま斃れた状態で、放置された。田畑や家の土間、道端などに転がっているどの死体にも、首以外の損傷はまったくない。


 平和だった村は、またたく間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。普段と変わらなかったのは、たて続けに五十人の首を斬った当人、ただひとりであった。その顔は波立たぬ湖面の如く無表情であり、そして、喩えようもなく美しかった。


 誰ひとりとして、去りゆく彼を追う者は無かった。残された女たちは村を捨て、他所の土地へと移った。そして、その日のことを決して口にしなかった。土生村は一夜にして潰滅し、無人となったのであった。

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