崩壊と再生
床牧家。
在学中の中学校のみならず、昔通っていた幼稚園・小学校に程近い住宅街に建つ、築十六年のごく普通の二階建て一軒家。
お母さんが仕事の都合でこちらに越してくる際、お祖母ちゃんにプレゼントされたという。
前にも触れたと思うけれど、うちの実家はかなり名の知れた豪族で、お祖母ちゃんはやり手の社長…ちょっとした犯罪くらいなら簡単に揉み消せるだけの権力があるとか、眉唾ものの怖い噂を耳にしたこともある。
何が言いたいかと言うと、単に帰宅しました、ってだけのこと。とある理由から、ものすごーく玄関を潜りたくはないんですけれどもね。
それでもずっと外に居るのは危険なので、意を決して取っ手を握りしめ、内側に押し込んだ。
「ただいま…」
「やあひなみ、無事に帰宅出来たようで何よりだ。おかえり」
そう言って私を出迎えてくれたのは、私のお母さん…ではなくて、この世界に混沌をもたらした張本人、ルーラこと細菌学者のアハトさん。
ピシッとしたワイシャツとスーツパンツに包まれた色素の薄い肌。ストレートロングの金髪。小柄な体躯。
中学生…いや、小学生と言われても何ら違和感が湧かない幼さながらも、それを想起させない尊大な態度。
間違いなくアハトさん本人だ。
「やっぱりいらしてたんですね、アハトさん」
「まあね。ところで帰って早々に悪いんだが、君に伝えなくてはならない話があるんだ。手洗いうがいと着替えを済ませたら、リビングに来てくれるかな」
早速来た、重要そうな話。アハトさんのペースに飲まれないようにと、帰りの車内で話の切り出し方を何パターンか予測していてよかった。
「わかりました、手早く済ませてきます」
それにしてもアハトさん、私の心を読んだのかな。まさか最初に想像した切り出し方をしてくるなんて。
ローファーを脱いで愛用のピンクチェック柄スリッパに履き替え、アハトさんを一人残して正面に伸びる通路を迷いなく進んだ。
多分私にはこのあと、これまでの人生観が一変する程の分岐点が訪れるのだろう。今日は何故か不思議なまでに勘が冴えているので、この後のイベントに備えて今一度気を引き締め、洗面所の扉を開いた。
…アハトさんの話だと、既にこの世界はトート細菌が蔓延している状況なんだっけ。女性が感染しても特に害はないらしいけれど、一応手洗いとうがいだけじゃなくて、洗顔と洗眼、念のため鼻うがいもしておこう。
ここに来て心配性な面が少しずつ顔を出し始めてしまい、次々と気になる箇所が目に付き、結局私はシャワーを浴びて全身くまなく清めたのでした…。
―――――――
一時間後。
軽くブローした髪をヘアゴムでまとめて右肩より前に垂らし、シンプルな萌黄色のパーカーと黒のハーフパンツに着替えた私は、リビングの食卓を挟んで対面に鎮座するアハトさんと母、祀の前に現れた。
「すみません、遅くなりました」
「お帰りなさいひなみ。もうシャワーを浴びてきたのね」
若干くたびれの見えるワイシャツとタイトスカートを着こなす、艶のある黒髪を肩の少し上で切り揃えた、童顔ながらも趣深い色気を放つ女性、床牧祀。ほとんど女手ひとつで私をここまで育ててくれた、自慢の母親です。
「遅くなってごめんね、お母さん。ルーラさん…アハトさんの話を聞いてから、綺麗にしといた方がいい気がして」
「無理もないさ。トート細菌の脅威を窺い知った直後なのだから、不安にもなるだろう」
そしてお母さんの右隣で我が家同然と言わんばかりの存在感を放っているアハトさん。
私と三歳しか離れていないのに態度だけは大人びていて、全世界に向けて実名を晒す豪胆さを持ち合わせている…悪く言えば、可憐な見た目にそぐわない変わった方だ。
アハトさんはお母さんが淹れたであろう紅茶の入った白磁のティーカップを優雅に傾けて、静かに一息挟んだ。
「ふぅ…さて。君に伝えておきたい話についてなのだが、短縮版と懇切丁寧版、どちらのスタイルで聞きたい?」
「ええとその二つの選択肢にはどんな違いがあるんですか?」
「君の理解力によって内容の吸収率が、そして説明に要する時間が変化する。短縮版は五分程度、懇切丁寧版は八時間前後といったところかな」
「短縮版でお願いします。」
何をどう説明されるのか明かされないまま、脳が強張った状態で長時間お話を聴く余裕は流石にない。
食卓の椅子を引いて二人の前に座ると、私は僅かに肩を回して首筋の緊張をほぐした。
「…どうぞ、話してください」
「うむ。まずは君の出自についてなのだが…こちらは部外者の私ではなく、母親である祀の口から聞いたほうが良いだろう」
私の出自。
その言葉を耳にした瞬間、古い記憶が脳裏をよぎった。
時期は確か幼稚園児くらいの頃、商店街で夕食の材料を買った帰り道だった。
父親と手を繋いで歩く同年代くらいの男の子を目にした時、不意に自分の家庭に父親がいない理由を、なんの気無しにお母さんに尋ねたんだ。
当時お母さんが見せた、苦悩や悲痛や慚愧に堪えないような複雑な表情…あれがすべてを物語っている気がして、それ以上追求せず今までやってきた。
…だというのにこの人は、他人の家庭のセンシティブな部分を鷲掴みにしてきた。
私は俯き加減になりつつ、ちらりとお母さんに視線を伸ばした。
するとお母さんは私を真っ直ぐ見据えて伏し目がちに微笑んだ。
「いいのよひなみ。あなたももう中学二年生だし、理解出来ない話じゃないと思うから」
…私もまぁ幼稚園の頃よりも成長はしているし、母一人子一人の家庭を題材に扱った小説やエッセイも何百冊と読んで来たので、どんな話が飛び出してきても飲み込むことくらいは出来るかも。
私は「うん」とだけ返して、穏やかな気持ちでお母さんの言葉に耳を傾けた。
「あなたの父親…に該当すると確信を持っては言えないけれど、生物学上の父親は、鎌鼬なのよ」
「え?」
「鎌鼬。俗に妖怪や怪異とも呼ばれる空想上の生物で、イタチの体に鎌の腕や尾を備えた姿が描かれていることも多く」
「待ってアハトさん、聞きたいのはそんな話じゃない。」
ノリノリで鎌鼬とかいう生き物?について語り始めたアハトさんを制止して、私はお母さんに向き直る。
「えっと、ごめん。場を和ませるための小粋な冗談だよね?」
「ひなみ、これは真面目な話なのよ。…まぁ私も母親にこんな事言われたら、あなたと同じ反応をすると思うけれど」
お母さんは自分でも馬鹿げた話をしている自覚があるらしい。
自身の発言を省みて、机に肘を付きながら深い深いため息をついた。
「…だけどね、これは紛う事なき事実なのよ。うちの実家の裏山には「禁域」と呼ばれる不可思議領域が存在していて、現し世に存在しないとされる妖怪や怪異…まぁ特殊な進化を遂げたごく少数の生物たちなんだけど、これらが隠れ住んでいる場所なのよ」
「お母さん中学生の理解力過信しすぎてない?」
「うちは代々この土地と棲息する生物たちの管理を行っているのだけれど、特に気をつけなければならないのが禁域の一角に佇む「社」と呼ばれる龍域第零封印指定区画」
「中二が好きなの全部詰め込んだ痛ネーム。」
「命名したのはあなたのお祖父様よ」
「死してなお恥部を晒されるお祖父ちゃんの気持ちにも寄り添ってあげて。」
「お祖父様が亡くなった後にお祖母様が直すまで、社も最初は「YASHIRO」表記だったらしいわ」
「オーバーキルキルやめたげて。」
既に情報過多で頭が熱暴走寸前だというのに、お母さんは止まらない。これが短縮版のスピード感なのね。
「話が逸れたけれど…「社」が封印指定とされる理由について、昼間のアハトの演説を聞いた今ならどういう事がわかると思うわ」
「えーと…昼間のお話…?」
ツッコミ疲れでより疲弊した頭を必死で回転させて、今出た話しと通ずるものをピックアップしていく。
「禁域…社…封印…あとは鎌鼬が父親ってことに関連しそうなものといえば…」
それぞれバラバラに動き回るワードを一繋ぎにするキーワード。
お祖父ちゃんが中二拗らせてたって事実が邪魔をしてなかなか思考が働かないけれど、少し脱力してみると、ふと急浮上してきたワードが。
「…トート細菌の大元、地方の田舎の土着菌?」
「ちゃんと演説を聞いていたようだな。素晴らしいぞひなみ」
おっとりしたほのちゃんと一緒だったから、パニックにならずに居られたことが功を奏したかな。
アハトさんに褒められて少し嬉しい。このまま答えまでの行程を自分で組み立ててみよう。
「えっと、つまり…禁域に住んでいた鎌鼬がある時社に立ち入り、トート細菌の元になった土着菌に侵されて…その、精巣が爆発…そして、漂ったせっ…精子がお母さんの体に入り込んで私が出来た、とか?」
辿々しくワードを紡いで話を形成してみたところ、お母さんとアハトさんは互いに顔を見合わせ、再びこちらを向いて盛大な拍手をかました。
「最適解よひなみ。まるで全てを見てきたかのようね」
「ヴンダバー(素晴らしい)、ひなみ!」
なんか凄く称賛された。
我ながら無理がある話だと思ったのに、まさか自分の出自にこんな秘密が隠されていたとは。
けれども父親…にあたる遺伝子が「鎌鼬」のものと知って、ずっと疑問だった不可思議現象がたった今三つほど解消された。
「だから私の髪はこんな変な柄で、体調を崩すと髪が硬質化したり、ツインテールで括っている位置に小さい獣耳みたいなのが生えたり、全身が毛で覆われたりしたんだね」
「え、あなたそんな事になっていたの?」
「お母さんも知らなかったの!?」
お母さんがすっとぼけている様子はない。
…そういえば今まで体調を崩した事って片手で数えるほどしか無かったし、その時に限ってお母さんは仕事で遅くなってたっけ。
いつも夜七時前後に常備薬を飲んで寝ていたから、肉体に起こる変化はそう長いものでは無いらしい。
「ふぅむ…ひなみが鎌鼬の血を引いていることは祀から聞かされていたが、まさかケモ娘に変化できるとは。どのようなメカニズムなのか、是非調べてみたいものだ」
「ケモ娘って…自分の意志ではどうも出来ませんよ?」
「今の私になら、君の意志で獣化をコントロール出来るようにすることも可能だよ」
「えっ。…それはつまり、体調を崩しても変化が起こらないようにも…?」
「そもそも体調を崩しにくいよう肉体強化は済ませてあるが、万が一の場合でも脆弱性は解消されるだろうね。…能力を付与するかい?」
「お願いします。」
アハトさんが私にすっと手のひらをかざした。
特に何が起こったとか、感じる間もなく…
「能力の付与、完了したよ」
「早いですね」
派手な発光とか謎の風が吹くとか魔法陣が浮かんだりもせず、私は自分の意志で鎌鼬成分をコントロール出来るようになった…らしい。
「うぅん…いまいち実感が湧きませんね」
「いきなり取り付けられた未知の感覚器官を、何の解説もなしに機能させるのは誰だって難しいさ。少しずつ感覚を掴んで、コントロール出来るようにすればいいよ」
言われてみれば私の体質が鎌鼬由来というのも、今しがた耳にしたばかり。自覚したからと言って簡単に操れるものではなさそうです。
でも必要以上に体調不良に怯えなくて良くなったのは、 精神的にかなり楽かも。
「それにしても鎌鼬、かぁ。衝撃の事実過ぎて、もう何を話されても驚きはしないかも」
「…時にひなみ。私が今年何歳で、今いくつに見える?」
なんか急にお母さんが面倒な親戚のおばさんみたいなこと言い出した。
「えっと、確か今年で三十八歳だよね。見た目は…わりと若く見えるけど」
「実はそれ嘘なのよ。本当は今年で二十七歳」
「…はぇ?」
…いや、いやいやいや。
何を言っているのやら。
「前にお母さんの身分証明書を見たことあるけど、生年月日から計算したら三十八歳のはず」
「それはひなみの目につかせるためだけに細工していたものよ。私が成人してから産んだ子だと思い込ませるための…ね」
そう言ってお母さんはテーブルの上にそっと運転免許証を置いた。
有効期限が金色で彩られた表面を流し読みしていくと、やがて生年月日の欄に目が留まる。
誕生日は以前見た情報と同じ…だけれど、生まれ年が十一年も遅い。
…記載された年月から計算すると、お母さんの年齢は確かに二十七歳だ。
この免許証には加工の跡が無い。ICチップもちゃんと埋め込まれている、正真正銘の実物だ。
お母さんは年齢の割に童顔でかなり若く見えると思っていたけれど…それもそのはず。実際若いんだもの。
私は免許証をお母さんの前に戻して、僅かに深呼吸した。
言いたい事や聞きたい事は山ほど浮かんだけれど…最初に何と声をかけるべきか、逡巡せずにはいられなかった。
「…」
あまりの衝撃に言葉を失う。
だってそれはつまりお母さんが…現在の私よりも幼い頃に、わけのわからない生き物の子供を妊娠してしまい、出産に至った事を意味していて…。
まだお母さん自身の身体が出来上がってすらいないのに、身重になり、世間からどのような扱いを受けて来たのか。
そして私がお母さんから、どれほど多くの日常を奪ってしまったのか。
想像するだけで全身に重責がのしかかり、肩がわななく。ついには俯いたまま顔を上げられなくなってしまう。
「…ひなみ?」
「…め、なさ…」
「え?」
「っ…ごめん、なさい…」
お母さんのための時間、実るはずだった恋、そしていつか訪れたであろう結婚の機会。
それら全てを私が奪った。
私がお母さんの平穏を奪ってしまっていたんだ。
「…私が口出しするべきことではないがね、ひなみ。君が責任を感じる必要はないんだよ」
アハトさんは椅子から立ち上がって私の背後にまわり、優しく頭を撫でた。私の心境を読んだのだろう。口元を腕で包むように抱きしめられ、これ以上は発言させてもらえなかった。
「はじめは祀にとって不本意な妊娠だったかもしれない。身重になると大人でさえ苦労を強いられる…まして未成熟な子供には、不安しかなかっただろう」
私にはお母さんの苦労を想像することでしか痛みを共有出来ない。
「だが祀は幼いながらも、君を見限る選択は一度も取らなかった。なぜだかわかるかね?」
「愛よ、ひなみ」
「結論に行き着くのが早い。祀よ、そこはもう少し溜めてひなみの回答を待ち、ドラマチックさを演出してだな…」
「あらごめんなさい。でも愛する我が子が泣いているのを放っては置けなくて…」
…真面目な話だったのに、二人はまるでコントの練習をするかのような雰囲気で話し始めてしまった。
私の頬を伝っていた涙も、途端にピタリと止まった。
「なんだかグダグダになってしまったけれど…ひなみ。私はあなたを授かり、今こうして面と向かって話が出来る毎日を、一瞬たりとも後悔した事は無いわ」
「でも…恋愛とか結婚とか、してみたかったんじゃ…?」
「…や、まぁそれは…ね。」
ふと、お母さんとアハトさんが互いに顔を見つめあい、すぐに私の方を向いて、意味深に繋いだ手を机の上に置いた。
「…実はお母さんね、アハトと付き合ってるの」
「…はぃ?」
「うむ。それも結婚を前提にな」
「……はい?」
さて、本日何度目の青天の霹靂でしょうか。
正直今日聞いた話の中では比較的インパクトが小さい話題なのに、妙に強い衝撃を受けてしまう。
「ええと…付き合ってるって、一体いつから…?」
肉親の恋愛事情にはあまり首を突っ込みたくないけれど、もうこの際聞くしかないよね。どのみちアハトさんには心の内を見透かされてるし。
「まあ互いに想いを重ねたのは奴らとの戦いに赴く前なんだがね」
「めちゃくそ直近じゃないですか。」
「付き合い始めたのはそのくらいだけど、好き合っていたのは半年ほど前からね。下手すれば生きて帰れないだろうから、もし帰れたら結婚を前提に…って」
「フラグが機能してない。いやしなくてよかったけど。」
「そういうわけで今後はひなみの第二の母と思って貰えるよう尽力していく所存だ。もちろん、娘だからといって世の誰よりも贔屓したりはしないがね」
「もう親気取りしてる。…まあ、二人とも同意の上なら私があれこれ口出しする事でもありませんし、いいんじゃないですか?」
そろそろ考えるのも疲れてきた。
私が投げやりに返答すると、パーカーのポケットに忍ばせていたスマホが特定のリズムで振動した。
短く三回、長く一回の振動。これはほのちゃんからメッセージが届いた事を知らせている。
アハトさんという新しい家族をヌルっと迎えたところで、私はスマホを立ち上げた
そして画面に表示されたメッセージアイコンをタップして、届いたばかりのメッセージを疲れた目で追った。
『急にごめんねひなちゃん。うちのお姉ちゃん、今から大学に行って今後の話し合いをしなきゃいけないらしくて…一人だと心細いから、今晩ひなちゃん家でお泊りしてもいい?』
三つに分割されて届いたメッセージを一息で読み、妙に疲れている心を奮起させ、まずお母さんに確認をとった。
「お母さん、ほのちゃんから「今日ひなちゃん家に泊まってもいい?」ってメッセージが来たんだけど、いいかな?」
画面を見せながらほのちゃんの名前を出すと、お母さんの表情が少し暗くなる。
「ええ、もちろん構わないわ。…けれど、父親の灯さんをほのちゃん達から…いえ、全世界の人々から男性を奪った私達は、一体どんな顔をして彼女に会えばいいか…」
「男性の異世界隔離計画は所員全員で判断を下したのだから、祀一人が気負う必要は無いよ。けれども本件の元凶と成ってしまった我々が、おいそれと他人の前に姿を見せるのは現状避けたいところだな…」
アハトさんは私の顔を下から舐めるように見上げて、うん、と頷いたあと席を立った。
「ひなみに伝えるべき話は一通り済んだし…祀よ。我々は一旦拠点へ戻り、混乱の沈静化に向けて皆とカンファレンスを行わないか?」
「…そうね。昼間の説明だけで満足した人はほとんど居ないでしょうから、改めてスピーチ内容を構成し直しましょう」
真の元凶はお母さん達じゃないとしても、混沌の最中で世間に身分を明かした以上、行き場を無くしたヘイトが集まって来てしまう。
お母さん達は人類滅亡を食い止めて勝利した…けれど、敵対組織の置き土産によって苦難の道を歩まざるを得なくなった。
本当に大変なのは、きっとこれからです。
お母さんもアハトさんに続いて席を立ち、申し訳無さそうに眉尻を落として、寂しそうに微笑んだ
「ごめんね、ひなみ。お母さん達、しばらく忙しくて帰って来られないかもしれないわ」
「大丈夫だよお母さん。一人だと寂しい時もたまにあるけれど、働いてるお母さんを見てると誇らしい気持ちになるから、心と体を壊さないように…頑張ってね」
お母さんと軽い抱擁を交わす。
私とは違う心音の速さに安心感を覚えながら、母なる温もりを忘れないように受け止めた。
「…まぁ移動は一瞬で出来るのだから、毎日いつでも会おうと思えば会えるのだがな?」
「台無しよアハト。」
現実主義のアハトさんが悪気なく溢したセリフによって、いい雰囲気はぶち壊しに。
「いつでも会えるから寂しがらなくていいぞ」ってニュアンスだったのだろうけれど、アハトさんはもう少し心の機微を学んだほうがいいと思います。
一時的な別れの挨拶もそこそこに、お母さん達が拠点?とやらへ瞬間移動してから約二十分後。
大学へ向かうくゆるさんの車に乗り合わせてやってきた、お泊りセットを携えたほのちゃん。
「こんばんはひなちゃん。今日はその…よろしくね?」
「う、うん。どうぞ入って」
長い長い一日が終わり、物語はついに動き出します。
お母さんやアハトさん達が死力を尽くして創り上げた、全く新しい平和な…終わった世界で。
プロローグ 完。