崩壊の理由
お昼の十二時五十分。
いつもなら給食の配膳が終わって、同じ班のみんなと談笑しながら、楽しくお昼を過ごしていた時間。
でも今日は状況が状況なので、給食センターも配送業者さんも全く機能しておらず…
「お腹すいたねぇ、ひなちゃん…」
「そうだねほのちゃん」
グオォォォォオオオ。
よりにもよって朝御飯を食べ損ねた食いしん坊のほのちゃんは、机に突っ伏して魔王の断末魔として使えそうなSEをお腹から連発していた。
きちんと朝食を食べてきた私でさえお腹がすいているんだ。給食を常人の倍ほど食べるほのちゃんの空腹っぷりは、尋常ではないはず。
「お腹のブラックホールに飲まれそう…なんかシクシクしてきた」
「それたぶん胃酸だね」
ほのちゃんが話し相手になってくれているから、孤独を味わわずに済んでいるけれど…どれだけ待っても、事態は一向に好転する兆しを見せない。
もしも、を願ってお昼まで粘ってみたものの、男性はおろか女生徒や先生すら、ほとんど学校に訪れていないみたい。
他クラスの様子を見に行きたいけれど、体育教師兼生活指導の久宮先生に「安全が確認されるまでは、トイレ等急を要する場合以外は教室から出ないように」ときつく言われてしまっているから、なかなか難しいんだよね。
ただそれも仕方のない事だと理解している。
生徒よりも早く学校に来ていた数人の先生は、全校生徒の安否確認やヒステリーを起こして連絡を入れてくる保護者の対応に明け暮れているから、私たちが余計な手間をかけるわけにはいかないもの。
たとえ対応のお手伝いをしても、平常心を欠いた大人が子供のする説明に納得するとは思えない。
彼女たちはただ行き場の無い気持ちを他人にぶつけて、一時的に楽になりたいだけなんだ。
ほのちゃんのお腹の音を聞きながら、窓の外、憎らしいくらい澄み渡った空を眺めていた。
するとその時。
『あー、あー、ごほん。やぁ皆々様、ご機嫌いかがかな?』
全ての元凶、ルーラさんの声が約五時間ぶりにどこかから響いてきた。
声はほのちゃんにもちゃんと聞こえているようで、私と同じく窓の外に顔を向けていた。
『本当はこうして皆の前に現れることはしないと決めていたんだが、力を手にした直後でハイになっていたせいか、仲間から「説明が足りん」とめっちゃ怒られた。今回は補足説明のためにやって来たというわけだ』
朝に聞いた声の印象より、少し角が取れた気がする。これが本来のルーラさんなのかな。
私たちは口をつぐんで、彼女の声に耳を傾けた。
『まずはじめに、男性は淘汰されたと説明したが、これには少し誤りがある。彼らはただ死んで命を落としたわけではなく、我々が用意した異世界へと条件付きで転移させただけに過ぎない』
異世界への転移。異世界転生と並ぶ、近年人気のジャンルだ。
『彼らには個々が望む種族、性別、容姿、スペックを与えてひとつの異世界に降り立ち、各々過ごしたいように過ごしている。そして転移者の九割が女性に生まれ変わり、好き放題しながら生きているよ』
…男の人がゲームで女性アバターを作ってエンジョイしてる、みたいな感覚なのかな。
けれどそれじゃあ、その異世界の人たちが迷惑を被ってしまうのでは?
『ちなみにこの異世界に元住民はおらず、それぞれ自身が異世界からやって来たという自覚を持ちながら、いかなる方法でもそれを他人に伝えることが出来ない縛りを科しているため、セクハラする/セクハラされている相手が同郷の男だと気付かないまま業を増やしていくのだ』
うわぁ。
何て言うか、男性に対する仕打ちが陰湿でえぐい。
これなら単純に消滅してた方がマシだったんじゃないかな。
『君たちの知り合いや恋人、家族や有名人が異世界でどのような生活を送っているか知りたい者は、こちらのアクセスコードをスマホのカメラで読み取ると、アプリをダウンロード出来るぞ。映像付きで近況を把握可能だ』
しかも身バレまでさせるの?
今朝の文字みたいに、アクセスコードという独特な図形を空中に投影して…アプローチが容赦なさ過ぎる。それほどまで男性を目の敵にしていたんだね、ルーラさん。
「あわわ…パパが女の子になってたらどうしよう…」
パシャア。
ほのちゃんはお父さんの現状を知るのが怖いのか、それとも空腹だからかわからないけれど、すごく震えながらもアクセスコードを読み取っていた。
本来なら校内でのスマホ使用は規則違反…とほのちゃんを注意してたけれど、こんな状況で規則を守っているのは私くらいだろうね。
…私のお父さんも、もしかしたら異世界に行ってるのかな。そもそも生きているのかすらわからないから、アプリを落とす気は起きないけどね。何が仕掛けられているかも不明だし。
形はどうあれ、友達は今も元気に生きているとわかった。それだけでも少し気が楽になったよ。
「あ、パパものすごいマッチョなお兄さんになってる。そっかぁ…脱サラして農業始めるのが夢だったんだ…」
隣から喜薪家のプライベートが漏れ聞こえてきたけれど、本日二度目の聞こえていないフリをした。
『なおこちらのアプリはストアからもインストール可能なため、気軽に「ルーラ アプリ」で検索してくれたまえ。何時間の視聴でも完全無料・通信容量の消費もしない。おまけに「神の声」という項目をタップしてテキストを打ち込み、送信すると、対象の脳内に匿名のメッセージを流せる機能つきだ』
幼い頃からスマホが身近にあった私たちに寄り添った…ううん、寄り添い過ぎたアプリだ。
自分の近親者や知人のみならず、有名人の新たな活動を見守り、メッセージを送る…慣れれば新たな推し活を楽しむ人も出てくるんじゃないかな、これ。
『まぁ「神の声」と形容しているから、音声メッセージへと変換された際のニュアンスが若干神っぽくなるがね』
一度にたくさんメッセージを送られたら、頭の中がすごいうるさそう。
会うことも直接話すことも出来なくはなったけれど、私たちと男性の繋がりは完全に隔たれていないとわかった。
しかしこちらにはまだまだ問題が残っている。
ルーラさんの口から説明がなされない限り、世界の混乱は収まりそうもないよ。
急激な人口減少、政治、インフラ管理、指揮系統の再編成…あらゆるルールを女性たちだけで構築し直さないといけない。女性優位社会を目指していた人たちには朗報なのだろうけれど、いざその時に動けなければ、木偶の坊として謗りを受けそう。
…そしてもっとも重要なことは、私たちの未来についてだよ。
私たちは小学校高学年の頃から性教育を受けて、からだのしくみについて見識を深め、心身ともに備えてきた。
女性のみでは子供を授かれないと、今日び中学生でも知っている。
ルーラさんは次に、何を語るのかな…。
『では次の話題に移ろう。といっても、既に該当者は勘づいていると思うがね』
僅かに含みのある言動を残して、ルーラさんは一呼吸置いてから話を再開した。
凄まじくとんでもない話をね。
『実は君たちの体は既にアップデートされていて、命に関わる疾患や怪我を負わなくなっているのだ。看病イベントや料理イベントを楽しむため、多少の風邪や怪我は負うが…入院中だった罹患者や傷病者、余命宣告を受けた者、生まれつき難病を患っていた者まで、今ではすっかり快復しているだろう?』
「え」
『病気や怪我、飢餓などに苦しむ者を根本から救う。医療に携わってきた私が、この力を手にして真っ先に叶えた、長年の悲願だ』
ただの百合過激派じゃなかったんだ、ルーラさん。
うちも母方のおばあさま…といってもまだ四十代だけど、十年前におじいさまを交通事故で亡くし、地方で働きながら一人暮らししていた。
しかし昨年の夏から急に食欲が湧かなくなり、検査してもらったら大きな病気が見つかって、入院生活を余儀なくされていたんだ。
慌ててスマホの電源を入れてメッセージを確認してみると、数分前にお母さんから「おばあちゃん元気になったって」と届いていた。
「はぁぁ~…」
「ひなちゃん、大丈夫?」
安堵のあまり、壁伝いにズルズルと崩れ落ちてしまった。
お正月休みに会いに行った時、お医者様から「先はそう長くない」と聞かされていたから…本当によかった。
今朝擦りむいた膝も、もう痛みを感じない程度には治っているし…お株を奪われた現職の医師は、複雑な心境だろうなぁ。
なんて、吉報にホッとしたのも束の間。ルーラさんはいきなり特大の話題について触れ始めた。
『そして君たちが最も気になっているであろう、生命体としての存続に関わる繁殖についてだが…』
「!」
ついにきた。
ルーラさんの説明いかんで未来が大きく変わる、新時代の分岐点。
私は…私たちは、息を飲んで彼女の二の句に備えた。
『…女性同士の性交渉でも、従来通り赤子を授かることが可能だ。なお現在身籠っている者や生後一年未満の赤子は、こちらの世界に留まらせる代わりに、性別や性自認を女性に変換させていただいた』
「!?」
遠い未来、進化の末に人類が手に入れていたかもしれない、同性同士で繁殖するという衝撃の未来がしれっと確定していた。
『女性同士での繁殖行為については、皆がこの新時代に慣れた頃に説明員を派遣して、清く正しい性教育を行う。尤も、やり方を知っている者や自分達の子を望むカップルは、既に始めてくれても構わんがね』
やり方…って、俗っぽい言い回しだと余計に不健全さが際立つ。旧来の性教育だけど、方法を知っている私とほのちゃんは不意に顔を見合わせて、すぐ視線を外した。
いや…いやいや、ほのちゃんは単なる親友だから。
決して彼女をそういった目で見ることなんて、万に一つも…。
『これからは同性カップルが当たり前の時代になるんだ。気が合う者も気が合わない者も、普段から関係を意識している者もしていない者も、近すぎて見落としていたり、案外パッと目についた者が、将来のパートナーになっているかもしれないよ』
「っ!」
「はわっ…」
こちらを見透かしたようなルーラさんの追撃。体温を感じられるほど近くに居るほのちゃんの存在を、余計に意識してしまう。
昨日まではほのちゃんと手を繋いだり、急に抱きつかれたりしても全然ドキドキしなかったのに。
髪からふわりと優しく漂ってくるミルク系の香り、衣擦れの音、身長を気にして丸まった背中。
静まり返った二人きりの教室では、ほのちゃんに関することならどんなに些細であっても鋭敏に察知出来てしまう。
…いけない、何か話題と意識を逸らさなきゃ。このまま雰囲気に飲まれて話が進んでしまったら、ルーラさんたちの思う壺だもの。
「お、女の子同士での恋愛しか選択肢が無くなるって、突拍子なさ過ぎだよね。ほのちゃん男の子に大人気だったのにさ」
「でも…男の子に体のことでよくからかわれてたから、ちょっと、ううん。すごく苦手だった」
ほのちゃんは同年代の女性より発育がいいことを気にして、よく「ひなちゃんくらいがよかったなぁ、なんて」と冗談めかして話していた。けれど、それは冗談なんかじゃなかったんだ。
普遍的な恋愛観しか持ち合わせていなかった私は、大人っぽくて魅力的なほのちゃんは、いつも男の子に言い寄られていて羨ましいなとさえ感じていた。
本心ではそれを嫌がっていたとも知らずに。
「…そ、そう、なんだ。ごめんなさい、気付けなくて」
「ひなちゃんが謝ることないよぉ」
近すぎて見落とす…か。
人付き合いが好きとか、聞いて呆れるよ。
一番身近に居たほのちゃんが傷ついていたことさえも、見落としていたなんて。
…いや待って。ほのちゃんが本心を隠すのも、上手すぎるんじゃないかな?
思い返せばこの子、昔から大事なものを誰にも気付かれないように隠す癖があった。
友達への誕生日サプライズや何かしらの記念日のプレゼントとか、自分から明かすまでは絶対にネタバレしなかったもの。
ストレスは溜め込みすぎると爆発して、とんでもない事件の引き金になったりするって聞くし…。
「…ほのちゃん。今さらだけど、打ち明けることで解決できる悩みがあったらいつでも言ってね。ストレスが溜まったら、私をはけ口にしていいから」
「んー…そういうのは今のところ無いかなぁ。大好きなひなちゃんと一緒に居るだけで、いつも嫌なこと忘れちゃうし」
「…ん?」
その「大好き」のニュアンスはどちら?
いや、ほのちゃんのことだから友情って意味なんだろうけれども、現状だと語弊がある気が…あれ、ほのちゃんって普段から私に「大好き」とか言う子だったっけ?
『さて、余裕のある者は今与えた時間でも十分他人を意識出来たことだろう』
っとぁーーーぶない。
またルーラさんの策略にまんまとハマって、醜態を晒してしまうところだった。
この人が静かになると大抵ろくでもないことになる…もっと気を引き閉めよう。
そう決意して窓の外を眺めた時、ルーラさんは再び我々女性たちを困惑させる、怒濤の一言を放った。
『そんな余裕ある者たちには…本当は隠しておきたかったのだが、仲間内から「説明しておけ」との声が多数上げられたため、彼女たちの意思を尊重して説明しておこう。オカルトに詳しい者なら、概要くらい聞いたことがあるだろう…近々この世界で男性が生きられなくなるという事実を。』
ルーラさんという名の情報ハリケーンは、まだまだ勢力を落とすことなく暴れまわるだろう。
そんな嫌ーな予感をさせつつも、話は次回へと続きます…たぶん。