story1-2【辞められたら誰も苦労しない】
目的地であるそのアパートは二階建ての少しだけ古びた作りをしている。コンクリート固めの階段は雨風に晒され、部屋によっては玄関横に洗濯機が置いてあるようなアパートだ。言ってしまえばアパートなどどこもこんなものなのだが。
美恋とわかばの向かう先は2階の高井という表札がかけられた角部屋だ。チャイムを押しても返答は無いので勝手に扉を開ける。恐ろしい事にこの家は割と鍵が開けっぱなしだ。セキュリティも何もあったもんじゃない。
「ひかるー?入るよー」
小さな靴箱で仕切られた玄関を抜けて、ダイニングキッチンへと勝手に入る。美恋の部屋と同じ広さのダイニングキッチンの向かい側には扉がふたつ。2DKの間取りだ。
その扉のひとつが開き、スウェット姿の見知った顔が出てくる。片手には火のついたタバコ。今にも寝そうなほど目は虚ろな半開きで。どうやらまた徹夜の日々を過ごしているようだ。
「起きてるなら開けろよ」
「うるさいぞ、わかば。開けずとも貴様らは勝手に入ってくるであろう」
矛盾しているようだが、どちらの言い分も概ね正しい。
「それよりひかるは?もう寝ちゃった?」
出迎えたのは残念ながらこの家の主・高井ひかるではなく、居候の煙草希望だ。無断で入ったからこそひかるに一声掛けておこうと思ったのだが。
「知らぬ。部屋にはおるはずだがの」
灰が落ちるから、と希望はパタリと開けた扉を閉め、部屋へと戻ってしまった。気が引けるが自分達で起こすしかないようだ。
「高井ー!来てやったぜー!」
気が引けていたのは美恋だけの様だ。希望の引っ込んだ部屋の隣。ひかるの部屋の扉を容赦なくわかばが開けた。
小綺麗な部屋だ。モノトーンに統一された部屋の家具。必要なものを必要なだけ置いた、と言うような理想的な一人暮らしの部屋を体現したような部屋だった。携帯を握りしめ、ベッドにうつ伏せで寝ているのがパンイチの女の子でなければだが。
部屋の主であるひかるは疲れているのか、布団も被らずにキャミソールにパンイチというあられもない姿で寝ている。時々聞こえるのは寝息ではなくいびきだ。
「たーかーいー!起きろー!」
「うるせぇ…何の用だよ」
「なーひかる!金貸して?」
起き抜けの不機嫌なひかるに金をたかるとは。
「この前貸した5万、まだ返してもらってない」
「たかだか5万だろ」
最早どこからツッコミを入れるべきか。美恋は呆れたように頭を抱える。貸す方も貸す方なのだが、5万も無心するとは中々だ。
「返したら貸してやるよ」
「ちえっ、高井もケチだなー」
「5万貸しただけでも優しいと思いやがれ」
ひかるの言い分はご最もだった。
・▽・
特に要件は無いものの押しかけたひかるの家で昼食を世話になる。なんだかんだ不機嫌ながらも腕を振るい、人数分の食事を作るのはひかるだ。
「メビウスもご飯食べるメビっ」
忘れ去られたようにカバンに放置され、こちらも少々不機嫌であったマリモ人形に憑依しているメビウス。食事の香りに機嫌を直したようだ。その程度には良い香りが部屋中に広がっている。
その香りに釣られたのは何もメビウスだけでは無い。隣の部屋にこもっていたはずの希望ものそのそと顔を覗かせ、何食わぬ顔でひかるの部屋に腰掛けていた。
「おい、煙草。今月の家賃がまだだぞ」
「うむ、印税が入り次第払おう」
「出版してから言え」
希望は売れない作家、というより最早出版にすら辿り着いていない小説家だ。何を書いているのかまでは知らないが年がら年中締切という名の応募期限に追われている。
「まーまー、とりあえず食おうぜー!」
頂きます、と並べられた料理の前で手を合わせた。白身魚の煮付けにチャーハン、ミネストローネとテーマのない料理が狭いローテーブルの上に並べられている。ひかる曰く有り合わせの余った食材で作った飯らしいのだが、それにしても豪華に感じるのはコンビニ弁当ばかりを食べているからだろうか。
元々この4人は同じ職場の同じ時間帯で働いていた事がきっかけで出会い、つるむ様になった。仕事終わりには共に酒を飲み、タバコを吸い、飯を食うのがルーティンだ。今年に入ってから頻度は下がったものの、暇さえあればこうして共に同じ時間を過ごしている。
「そういえば昨日、インモラルが出たよ」
お察しの通り、この4人は同じくインモラルを倒すべく不思議な力を手に入れた仲間でもある。何かあれば報告、共有するというのは社会人の常識で。思い出したように美恋が話題を振る。
「またかー、最近増えたよなー」
「我輩はあまり出会っておらぬな」
「てめぇは外に出てないからだろ」
各々がその話題に対して反応を示す。
「喫煙所が減ったのが原因なんだプー」
変な語尾でその話題に参加したのは黄色い熊のぬいぐるみに憑依したひかるのマスコットで、オプションパープルというらしい。長くて面倒なのでプーと呼んでいる。
「プー、どういうこと?」
「誰かが意図的に喫煙所を減らしてるプー」
「今は受動喫煙防止法条例が試行されているメビっ。取り締まりが厳しくなったことでインモラルも増えたメビっ」
プーの説明では少し不十分だったがメビウスの補足で概ね理解は出来た。
「まー出てきた敵倒せばなんとかなるっしょ」
「インモラルの相手なんざイチイチしてても解決にならん」
どちらの言い分も理解できるものの、どちらにも美恋は同意できずに居た。
「そもそも戦い続けなきゃ行けないものかな」
美恋としてはそんなことよりも就活や将来の方が大事だった。不安も大きい。
「確かにインモラルは腹立つしアイツらの所為で制限厳しいけどさ、タバコ吸ってる方も悪いじゃん」
「タバコ吸ってるのは悪くないだろ、金払って税金払ってんだぞ。マナーも守らずそこら辺で吸ってる奴が悪いだけだって」
「そうかもしれないけど。就活に不利だし、世間的な目も悪いし」
「じゃーさ、タバコ辞めれば?」
当たり前のように言われた言葉は当たり前のように出来ることではなくて。少なくとも辞めようと思って努力しても報われないことの方が多い事だった。少なくとも美恋はもう3回程禁煙に失敗している。
「とりあえず、今日全員バイトだろ。飯食って寝よう」
わかばの言葉に何も返答できず、話題を切り上げたひかるに救いを感じながらもお礼をいえぬまま。食事を済ませ、ひかるの部屋でそのまま雑魚寝した。