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龍よりも強い声

 ジーナは答えた。


「しないというかできないというか……まぁその必要がありませんよ」


「それはさっき少し話してくれて故郷での過去の出来事から?」


「そうなりますね」


 ジーナが答えるとルーゲンはしばし無言のまま机の周りを歩きだし、やがて苦味の無い快活な調子で笑いながら言った。


「僕から言わせてもらうと君の方がよほどの情熱的な男ですよ。それを行う理由はどこにもありませんからね」


「いいえあります。私にはその声が聞こえるのですから」


 誰の? とルーゲンの尋ねる声にジーナは瞼を閉じて暗闇の中で言った。


「私の心の声です。みなさんは私を不信仰者といいますが、信仰があるとすればこれで、私はそれを信仰しています。いまもこれからもずっと」


「龍よりも強いものなのでしょうね、それは」


 冷たいものが背筋を走り瞼をあげるとやはり眼の前にはルーゲンの顔ではなく目がそこにあった。


「おっと返事はいりませんよ。それはとても問題になりますからね」


 あんなことを言ったというのにルーゲンの眼は澄み切っていた。どうすればここまで濁りのない瞳になれるのか分からないほどに、しかもそれは奥底に光を宿していた。


「なるほど、でも駄目ですよ。他人はそれを見過ごしませんからね」


 無意識にコップの上にあった手が動いていたためにルーゲンは動き新しい茶を注いだためジーナは礼を述べた。


「茶を失ったとか器が壊れているだとか、そう見ているのはあなた自身だけです。あるものをないといい、ないものをあるという。つまりはこれです。認知の歪みが自分を損なっているのです。今日の僕は嘘はついていませんよジーナ君。僕の言葉を拒絶する君がいるだけのことです」


 それならばあなたは世界ということか? とジーナが思うとノックも無くドアが開きバルツ将軍が入ってきた。


「まだ講義を続けていたのか。まぁ都合が良くていいが、ジーナよ仕事がきたぞ。隊を率いて偵察に出る準備をしてもらいたい」





 ソグ山は豪雪のために中央の方への道は事実上閉ざされてはいるものの、特殊部隊や山岳地帯出身の兵ならもしかしたらこの難所を越えてくることは否定はできなかった。


「予測とか理論上とかは、このことに限っては小賢しいとしか思えませんね。そういうものは事実の前にひれ伏します、そう冬を迎えたソグ山を向こう側から越えてきたものは今まで唯一人だっていなかったと」


 龍の間にて話を聞いたシオンが自信たっぷりに断言しながら茶請けの焼き菓子をまた一枚齧った。


「けれど不審な目撃情報が入ったとのことで、それならソグ山戦の敗残兵が山から降りてきたのか?」


「そんな話は毎日のように入ってきますが、捕獲どころか接触できた話もなく、それになにより被害情報がありません。どうせ村民の見間違えか仲の悪い隣村との喧嘩の延長でしょうね、あっジーナお菓子を食べなさい」


 菓子籠には残り一枚の焼き菓子がありジーナはそれをありがたく頂戴した。


 昨日のバザーの失態やらなにやらで今日は責められるかと思いきや、シオンとヘイムはいつも通りというそれ以上にいつも過ぎたためにあの出来事は実は存在せず、あの全てなにもかも幻だったかと錯覚するほどに、いまここではそれが欠落していた。


「しかしもしかしたら今度の今度こそで私がその第一号になるのではありませんかね」


「あなたはとても運が悪そうですからその可能性はありましょう。こちらの勤務が多くなったため訓練不足でこれが災いして」


 シオンの言葉であったがジーナはその時に眼だけを左に向けヘイムがたまにする完全無言で書きものに集中する姿を見た。


「そんなに脅かさないでください。偵察は平和なものではなく危険な時は本当に危険ですからね」


「分かってますよ。けれどあのソグ山の戦いにおける英雄がそこまで不安げな様子でいるのが面白くてですね、ついついからかってしまいました。バルツ殿だって各部隊で偵察のローテーションを組んでいて今回はあなたの隊が当たったそれだけですって。それともなんです?なにか虫の知らせやら不吉な予感とかありましたか?」


 なんとなく……とジーナはまず思ったが言えるはずもなくもう一度盗み見のようにヘイムに目をやり、変化が無いことに自分を安心させた。だが、なんのために?


「なんだか最近全体的に暗く感じましてね。この間の疲れがまだ残っているのではないかと」


 と言った瞬間にジーナは口が滑ったと分かった。折角うまく避けていたというのに途端にシオンの表情は険しくなり、空咳を二度した後に菓子籠に手を伸ばすが手を泳がせ握っても空を切り空を掴むことばかり、ますます表情は厳しくなっていきジーナは言おうか言うまいか迷っていると、新たに菓子籠が滑り込んできて空籠を突き飛ばし、その場で停止しシオンは菓子を掴んで口に運んだ。


 一枚齧り二枚齧り三枚齧りと枚数が増えていくが食べるシオンは無表情のままで室内は咀嚼音と執筆音のみが鳴って散らばっていくなか、ジーナはジーナで自分の心臓の音を聞いていた。やがてシオンは食べ終わり息をつき茶を飲んでから言う。


「……言いたいことは山ほどありますが、いまは呑み込みました。これ以上はやめましょう、あなたも食べなさい」


 とまた菓子籠を寄越したが、今度は一つも入ってはいなかった。

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