なにを覗いているのですか?
やましいことなどしていないのにただ邪魔にならないために身を伏せているだけなのに、どうして自分は身を隠したのか?
見られたくなかったのがまず来て、それからヘイムの顔がきたのだが、その顔が何だというのか? ジーナは今の心を確かめた。このいまの気持ちを。そこには惨めさがありそれから胸の苛立ちを覚え認める。
いま自分の顔はその心をありありと映しだしているのだろうか? どういう表情なのかは分からないが、それをヘイムに見せたくは無くまた見られたくも無かった。
けれどもどうしてそう思うのか? それ以上考えたくはないと思い心を無にしようとすればするほどにジーナは苦しみが湧き上がって増殖していく感覚に襲われた。
「あのジーナさん」
いつの間に肩にハイネの手が置かれ隣を見ると心配している顔がそこにあった。
「大丈夫ですって。あのですね、あの、その、つまりは」
何が大丈夫でつまりとはなにか? 珍しく愚図ついているハイネを見ていると、上から声が被った。
「どこにいるかと探してみたら、二人とも隠れてなにをしているのですか?」
振り返るとシオンが立っており不審者を見る目付きで見下ろしている。
「覗いているわけでもなく怪しいことは何もしておりません」
「語るに落ちるとはまさにこのことですね。怪しいと自覚があるのならなぜ覗いているのですか? 堂々と見ればいいではありませんか。ほら立った立った」
二人は立ち上がりハイネもバツが悪そうであった。
「それにしてもハイネ、あなたはいったいなにをしているのですか? 仕事が終わって帰ったかと思えばこんなことをして。これはとても褒められた行動ではありませんよ」
「申し訳ありません。どうしてもお二人のご様子が気になりまして。ヘイム様がすごく珍しいご様子なので気になってしまって」
「……まぁその気持ちは分かりますけど、そうやった姿勢で覗き見るのはいけないことです。いくら珍しいとはいえ非常識で」
シオンも珍しい苛立たしげな態度であり文句を呟いていると向こうから二人が近づいてきた。しかしジーナは足を引きいつもよりも意識的に距離を置いた。いくらかでも遠ざかりたく。
「おっなんだなんだこんなに集まって。妾らの散歩を見る会でも発足したのか?」
ヘイムが一同を見渡しジーナの方に目を向けると口元を緩めて笑みを浮かべた。しかしそれは顔を伏せているジーナには見えずにハイネとシオンにしか見えなかった。
「ヘイム様、そろそろお時間のようですが」
「ああもうそんなに経ったのか早いな」
「楽しいと時間が過ぎるのが早く感じますよね」
ここぞとばかりに急いでハイネが合いの手をいれるとヘイムも乗る。
「それだそれだ。良いことを言うな。今日はちと講義の熱が高かったからな。そうだなルーゲン」
ヘイムにしては大きな声を出すとルーゲンが明るい声で答えた。
「はい。本日は史学メインでやらせていただきました。龍身様からも鋭い指摘が多くこちらの不勉強さを思い知り参りました」
「ハハッこうは言っておるが妾のことを小賢しい知識ばかり身に着けてやりにくくて仕方がないと思うておるぞ」
からかわれ慌てるルーゲンを皆が笑う中ジーナは今までにない居心地の悪さを感じていた。それが何であるのかを考えるよりもジーナは瞼を閉じず先に心も閉じる。
適切な態度であるとジーナは思った。いや、これでいい元々自分とはここではこういう風になるのが当然なのだと。その思いが通じているようにヘイムは全くジーナに反応すらしなかった。だからこれで良い。
「では次に行くとしようか。その前にあれだ、今日の午後の散策は中止にする。今のでなかなか歩いたからな」
ヘイムはシオンに向かってそう言ったつもりであったが、真っ先にジーナの耳が動きそれからハイネとルーゲンがそうですと声を合わせて賛成をする。
しかし当のシオンは眉間に皺を寄せてすぐには答えず、ややあってなら返事をする。
「雨が降ったら中止というのは分かりますが、疲れたからといってそう思い付きで予定を変えられるのは……時間的にも普段よりも歩いていませんよ」
「まぁそういう日もあっていいではないか。これでまた散策をしたら疲れ切ってしまうかもしれん。そうなったら面倒であろう」
シオンは不服気に息を漏らし諦めた様子であった。
「……かしこまりました、では戻りましょうか。ルーゲン師、ご苦労様でしたね。ではジーナ、戻りますよ」
シオンはヘイムの手を取り歩きだしジーナもあとに続くが、ルーゲンの方へ顔を向けて声を掛けての挨拶すらできずに俯いたままその脇を通り過ぎて行った。
もちろんハイネにも言葉を掛けずに歩いて行く。何たる醜態をとジーナは胸に黒いものを抱えながらこう思う他なかった。
だがそれでも今の表情を誰にも見せたくは無かった。そもそも自分の顔が今どうなっているのかは自分ではわからない。分かるとしたら他人の反応からだろう。シオンはこちらの表情を気にするわけがないだろうが、ハイネやルーゲンから読み取りたくは無く、ましてやあの人からは……それは絶対に嫌だとジーナは懸命に平常心を取り戻そうと更なる無心への徹底化を図るため何も考えないことを、考えることにした。
それから龍の間に入りシオンの指示のもといつもの儀式の準備を始めジーナはいつも以上に無心に動き目の端にすらヘイムが入らぬように仕事に徹した。
むしろ見ないと意識する方がより意識がそちらに行くものであるがジーナはその矛盾を乗り越えやり遂げることができ声すら聞こえぬように心を塞ぎ、こうしてヘイムが存在するのかすら分からないほどであった。
作業は終わりいつものように茶の用意をし出すも、ここでようやく三つカップを用意しなければならないと思考が元に戻りそして疑問が浮かぶ、ここまで考えない理由とはなんだろう?
可能な限り視界に入らぬよう茶をヘイムの前に置きそれからシオンに自分の席にと椅子を引き、多少でもまた距離を作りジーナは椅子に座り沈黙も降りた。
それからいつものようにジーナがいようといまいが構わぬ二人の会話がはじまったものの、いつものと比べ険悪なものを感じられた。
「あのようなことは次はおやめくださいね」
咎めるシオンの口調にジーナは驚いた。