なんとお似合いなお二人でしょう、と同意しなさい。
焚火の中で木が爆ぜる音を聞きながら火を見つめていた。他の一切は闇であり見るものがなく、火のみを見続ける。
「龍はな」
正面に座る翁のしわがれた声がし、いつもの話が始まる。幼い頃から聞いてきてもはや原初の記憶となったこれ。だからこの魂はここから始まる。
「龍は西方からやって来て必ずここを通る。だからわしらはここにいなければならないのだ」
翁は話しているというよりかは空気に向かって話している。喋ることが残された最後の仕事であるかのように。語り継ぐことのみがいまの翁の役割のように、使命のように。返事もせずその場で座り待機をしながらその話を聞くも、話の続きは分かっている。もうこれまで数え切れないほど聞き既に諳んじることすらできる。だがそれでも、もっともっと聞きたかった。
翁の声で聴くからこそ意味があり、そのために翁は生きているのだ。いつの日かその時が来る。もう少し大きくなりもう少し強くなれば、一族の男達と共にその使命を背負い戦い、討ちに行ける。
「印の導きによって我々は討つのだ」
それまでは翁の言葉を心に刻み一つとなる。いずれは自分こそがあの印をも身に着け……刻み……
「ちょっといいかな? お爺さんに――」
娘の声がし振り返ると鍋がまず目に入り、それから顔を見た。
だが、そこには表情はなにも無く真っ白な顔であり……顔を失っている、それもそうだ、これは……彼女は……いま……
「起きろ隊長!」
ブリアンの声によってジーナは目覚め、あれは夢であり今はここにいるのだと分かった。何度目かの、同じ夢。
どうしてか最近になってよく見るのだろうかとジーナは目をこすりながら身を起こす。最初に見たのはあの龍の館に行った日の夜。
夢による記憶の再生は徐々に長くなり、今回はついに顔を見ることができた。あのなにも無い顔を。だがそれをジーナは驚きはせず了解する。
それは当然のことであると。私はあの顔を思い出すことはできない。それがたとえ夢の中であろうが、ただ声だけが甦る。闇の底から浮き上がり、身体を覆うあの声として。
「ボーっとしていないで早く起きたらどうなんだ? それとも龍の護衛様というのは寝坊してもいい美味しいお役目なんですかぁ?」
「悪夢を見ただけだ。それに代わりたいのならブリアンにやってもらいたいぐらいだ」
そう言うとヘラヘラしていたブリアンが真顔となり首を横に振った。
「冗談はやめてくれよ。龍身様のお傍になんて緊張でゲロを吐いちまうぜ」
「まさか。戦場の最前線でいつも私の隣にいたお前がそんなわけがないだろう」
ジーナは軽口を言うがブリアンは笑わない。
「代わるぐらいなら戦場にいる方がマシだ。おまけに俺は罪人なんだぞ。余計に畏れ多くて多分、うまく動けない」
どうやら冗談を言っているのではなく本気だということがジーナにも分かり、こんな一見信仰心が薄いであろうブリアンでも龍に畏敬の念抱いていることからジーナは以前から疑問であったので、ここで尋ねることにした。
「そのブリアン、一つ聞かせて欲しいが龍への信仰心を抱いて良かったとは思うか?」
変な顔になったブリアンだがすぐに何かを理解した顔に戻った。
「何だその変な質問は? と思ったが、そういやあんたはそうだったな。でもそんなことを聞いてくるのはここどころか、ソグでもいや世界中どこにもいないぜ」
「西の方だとそういう人がほとんどで」
「いい、いい、いい、そういうのはいい。そっちはもう俺達の知らない土地で世界が違う。バルツ様の統一運動で西のはギリギリ触れている地域でほぼ理念上のことだしな。あんたとバルツ様以外はそこまで行こうとは思わないぜ。質問に答えるとなそんなのは良いも悪いもあるもんか。生まれた時から、そう物心がつくころからそういうものだと教わって生きて来ているからな。そんなことを考える時点でどこかおかしいんだよ。隊長もよぉ、あんたが西の果てから来たものだからみんなそこらへんは大目で見るが、こっちの世界の人間がそんなことを言い始めたらもう頭がおかしくなったと心配されて牢屋に入れられちまうぜ。明らかに頭が逝ってるからな」
ここでやっといつものようにブリアンが笑った。ジーナは頷きこんなものだよなと思っているとブリアンは一歩前に出た。
「……俺にそんなことを聞いたんだから逆に聞いても良いよな? あんたはなんで龍への信仰心を持たないんだ? 持ってはいけない理由でもあるんか?」
「……別の信仰があるからな」
「そうかい。だが俺が感じるに隊長からはそういったものは感じないな。そうなると信仰を持たないという信仰だったりしてハハッ! それでさらに再度逆に聞くけどよ信仰心が無いことで良かったと思うことってあるか?」
軽い気持ちで聞いているのは分かってはいるがジーナは心臓に鈍い痛みが走る。あんな夢を見たからこんなことを聞かれ、こう返すしかないというのに。
「いまはそれで良かった思うよ」
「信じられない言葉だが、あんたらしい言いかただ。まっ信仰心のない龍の護衛なんて冗談みたいな代物だしよ。大切なものが欠けすぎだ」
そう私はそんな存在だ、とジーナは言い聞かせながらそれから準備を整え龍の護衛の役目を果たすべく兵舎を出た。
自分には龍への信仰心がなく、あるのはその逆の信仰心のみ、と。いつもの道を歩いて行き、その間に昨日のことを反芻する。
あの約束というか言葉を、あの人に対する態度のことを、それを実行できれば、そうすれば何もかもが解決する。ただのこちらの気の迷いと向うの気まぐれが合わさっただけである。
私たちはありえないことをしている。
「よってそんなことはあってはならない」
ジーナは門に到達する手前で小声でそう言い気合いを入れた。もうこの前みたいことにはならない。それは同時にハイネからの余計なお節介も受けない。
いつもの門番に会釈し中に入ると物陰からなにか飛び出してきて構え、そして誰だか分かっても構えを解除しなかった。ハイネだ。悲鳴が出そう。
「私ですってジーナさん。なんで構えたままなのですか?」
いくつもの攻撃を受けたからだと思いながら間合いを取るも、一瞬複雑なフェイントをかけられいつの間にか手を掴まれ芝生面から引き剥がされた。この女、武術の心得があるのでは?
「あのハイネさん。武術はなにを習ってました?」
「私? 武官学校で学んだぐらいですね。武術の成績は真ん中より上程度でしたから、そこそこですね。フフッこれはちょっとした自慢ですよ自慢自慢」
いや違う、あの程度の動きはそこそこではなかったとジーナは思いながら手を取られるまま植え込みの陰に座り込んだ。どうして隠れる。
「ここまで連れてきたことにはわけがあります」
「わけがなかったらこんなことしないな。いや、ハイネさんならわけがなくてもやりかねないが」
「ごちゃごちゃ変なことを言わないでください。今ですね庭園でなんと……ヘイム様とルーゲン師が歩かれているのですよ」
考えるよりも先にジーナの身体は立ち上がろうとすると完璧なタイミングでハイネが肩に手を載せ抑えつけた。
「立っちゃ駄目です。こっそりとですこっそりと。ほら私と一緒の動きで」
二人は中腰となり植え込みから顔を出すとヘイムの左側にルーゲン師が手を取りゆっくりと歩いていた。
「まさに龍を導くものです」
感嘆を込めてハイネがそう言うもジーナの心には何の感情も芽生えることはなかった。それどころかそれとは別の何かを感じた。苦いなにかを。
「今日は先にルーゲン師の講義だったのですが雨が降りそうな空模様なので講義も兼ねて散歩は如何でしょうかという流れになりましてね」
顔をあげるとたしかにそんな雲の様子であり、ジーナは今の今まで空のことを見ていなかったのだと気が付いた。
「それはハイネさんがそう勧めたわけで?」
我ながら声が低いなとジーナは思っているてハイネも少し驚いた顔をした。
「私なんかがルーゲン師どころかヘイム様やシオン様の前でそのようなことが言えるわけがありませんよ。ルーゲン師の提言からであり、ヘイム様の承諾とシオン様の認可という流れでこうなったのです」
承諾? とジーナは提言や認可よりもそこに引っ掛かりを覚えた。
そうか承諾をしたのか、そうかそうか、そうか。




