頭がおかしい女と言いたいとでも
ジーナは怒りや痛みなどよりもその不条理さに対する恐怖が強く足を動かすことができない。
「立てますか、ほら手を出してください」
そうだ立てないのだから、立たないと。まずは立たないといけないとこの混沌とした思考から離れたくジーナは左手を出すと、拒絶された。
「違いますよ、右手です」
もう本当になんなんだと苦悩が額の痛みに加わり、理由など聞かずに右手を出すとよく知った熱のハイネの掌が優しく握ってきた。
「これです。私の場合は右手だと、忘れずによく覚えておいてくださいよ」
なんでだろうとジーナは思うもこれ以上思考を増やしたくないので大人しく従い、導かれるままに立ち上がりハイネの顔を見ると笑顔であった。間違いなく今日一番の。しかし今日は笑顔をよく見るな。
「痛かったですね」
微塵たりとも悪びれずにそう言うためにジーナは考え直す。もしかして頭突きとは違うなんらかの事故なのかな? それなら話はわかる。
「でも私も痛かったのですよ。頭突きとか生まれて初めてしました」
全く無駄な思考であったと判明しジーナは考える。その頭突きの理由を。だがこれは問うていいのかとも思いながらも、踏み込んだ
「あの、ハイネさん? 頭大丈夫?」
「……あまり大丈夫じゃないです」
それはそうだな、もともとちょっと……とは思うもののジーナはハイネの髪を掻き分け額を見ると、少し赤くなっていた。
「一応薬でも塗ろうか」
そう告げるとハイネは堪えられないといったようにクスクスと笑い出した。
「凄いですよジーナさんって。頭突きをしたのは私なのにそのぶつけてきた方を心配して手当をしようとするなんて、頭ダイジョブですか?」
こうなるともう怒鳴ったりして勝てる次元ではないとジーナは察し違う路線で戦うことにした。
「いやねハイネさん。例えば岩に卵がぶつかってきたら岩は卵を心配しますよね。大丈夫かって」
「あなたらしくもない上手い例えですね。どうしました? ショックのあまり慈悲に目覚めましたか?」
「どちらかというとハイネさんの方がおかしくなっていましたよね。あの頭突きとか」
「あれはあなたが、悪いのですよ」
そうなのかなぁ? と真っ先に疑問がきて首をかしげると、額が開かれている状態となっているハイネと目が合い微笑んだ。
「そうですよ」
何故心が読める? と思うものの、もはや彼女はそれが普通にできそうだなというぐらいの妙な信頼感を抱き出していた。
「大切な記憶を残しましょう、と言ったら真顔で切り捨てるとか、客観的に見てあなたはおかしいですって。それでもってこんなに全否定させられたら私はあの場で泣けばいいのか怒ればいいのか笑えばいいのか……けど、どれもこれも想像すると自分がより惨めになるものばかりだと思えたので、だからこうしてやりました」
まるで意味が分からないがそう言われてみるとあの発言は軽はずみで怪しく問題だったなとジーナは分かったため、ここでも怒りは湧いてはこなかった。
「痛いですか傷つきましたか?」
ハイネの手が今度はジーナの髪を開き額に触れる。
「痛いし傷ついたといえるが」
「それなら良かった。あっ怒らないでくださいね、いいじゃないですか。あなたは傷だらけなのですから、私からの傷がもう一つぐらい増えても」
「額に集中しているな」
「そういう縁です。なんか薬を塗るのがめんどうなので、この手で治しますね」
治るわけないだろうと言いたくなるもジーナはやめた。今日はきっとそういう日だったと諦めて為されるがままにされることを選んでいると、ハイネが言う。
「ジーナさん……自分だけ治ればいいのですか? あなただけが痛いんじゃないんですよ」
「そうだな、ああほんとうにそうだな」
言われるがままジーナは右手をハイネの狭い額に手をこれでは上が見えなくなるのも構わずにジーナは覆い尽くす。
「苦しくはないですか?」
「全然平気ですよ。そういえばジーナさんって体温低いですね。フフッ冷たい人」
「そういうのならハイネさんの体温は高いから温かい人なんですかね」
「……私は冷たい女ですよ」
「そこは、微妙に違うと思うが」
一つ熱が上がったとジーナは掌でそう感じた。
「頭がおかしい女という意味でしょうか?」
「頭突きをするぐらいだからなぁ」
「良い思い出を拒否したものにはこういった痛い思い出がふさわしいのですよ」
何もこんな苦しい思いが欲しいとか言ってはいないというのに。
「あの、これはいつまでやれば治ったことになるのか?」
「それはあなたが決めることですよ。私には分かりませんし」
「ええっとそちらはどうなのか? ハイネさんが治ったと言ったら」
「いいえ」
有無を言わさぬ口調でハイネは言い切る。
「でもあなたが治ったと言ったら私も治ったということで、いいのですよ。そうしたら同時に手を離しましょう。一緒にです」
とうに痛みが引いていたジーナは離すよと言いながら手を引くとハイネも同時に手を引く。
だが熱も離れ冷たさが身体を覆う寸前に無意識にジーナは右手でハイネの手を握った。
「右手ですね。はい、それでいいのですよ。しっかりと覚えておくようにしてくださいね」
ごく普通に当然のように受け入れ手を握り返し立ち上がった。
「戻りましょうか。そろそろキルシュも連れて帰らなくちゃいけないですし」
いつの間にか日が暮れ始めていることをジーナは初めて知り夕暮れの空を見るとハイネの瞳の色に似た空が広がっていた。
「次回があれば敷布をもってきますよ。私は忘れませんからジーナさんも忘れないでくださいよ」
夕空の光線が辺りに満ちハイネの要請に対してジーナはきちんと答えを、告げた。
「忘れるわけがないのだから、安心してくれ。この痛みは消えてもきっと覚えているから」
すると茜色の空が深まるのを見ながらハイネは手を強く握り返した。




