この女はいったいなにを言っているのか?
「先ほどの話のようにそれが龍の力です。龍になるということはつまり、命や身体はもとより名と過去といったその全てを捧げること。そうでありますからかつての龍の元々のお名前は誰も覚えてはおりません。記録を見れば名は出て来るでしょうがそれは記号に過ぎないのです。ですから龍はその時代においてひとつだけ。我々の戦いはそれを証明するためのものなのです」
「中央のではなくこちらのが真の龍だということだな」
ジーナが聞くとハイネはしっかりと頷いた。
「そうですよ。順調に記憶が消えている辺りが疑いようのなさを感じますもの。実を言うと武官学校を出る前にも私はヘイム様には何度かお会いしているはずなのです。前にもお話ししましたっけ私は……あっこれから自分語りをいたしますけどジーナさんは私に興味あります? なければ飛ばしますけど」
また話の腰を折られたためジーナは姿勢を崩しながらハイネに対して文句を言う。
「いまいいところなのにそれはないだろう」
「そうですよね、いいところなのに私に関する無駄な話をしようとするなんて、それはないですよね。わかります」
「わかっていない。興味があるので飛ばさずに話してください」
「何に興味がおありでしょうか? 私には、分かりません」
突然態度を一変させたハイネは横を向き髪をいじり始めるが、そのわざと臭さ、ある意味で親切な演技であるもののジーナにそれが分かるはずもなく、またもや不可解の森に迷い込んでしまい、なんてめんどくさいのだと思った。
「あの、そのハイネさんの話に興味があります」
「嘘ばっかり」
つまらなそうなその呟きがジーナの心に突き刺さりハイネの肩を引いた。
「そう、嘘。ヘイム様とハイネさんの話を私はどうしても聞きたい」
ハイネの険しいその表情は静かに崩れ皮肉っぽい笑みとなる。
「駄目ですよ。その両方を同じに扱っちゃ。私とあの人は、全然違うのですから同じにしないで。そう違うのですよ身分ってものが。あちらは龍の一族こちらは中央の小さな貴族の娘。並ばせることなんて、できはしません。私は武官学校でシオン様と出会い伝手を得て、ここへの道が開かれたのですが、でもあの御方はそのことを覚えてはいないでしょうね。記録ではそうであったようですが私も今じゃ完全に忘れております。そのようなことがあったのかが幻かなにかのようで。そう、最近ですと武官学校を出て仕官した後のあの御方が龍身になられる前のお姿すら、いまいち思い出せないのです。それに伴い御性格も……会話の内容も……あやふやなままこのまま消えていく気さえするのです。だから、ジーナ」
ハイネは指先で傷当ての上を撫でた。鈍い痛みが頬の上を走りハイネは微笑む。
「この傷と同じようにいずれは消えていくので、記憶することはほぼ無意味なことですよ。みな忘れてしまいます、私もあなたも誰もが。それでいいではないですか」
ここにこんなに広い空洞があったのかと思われるぐらいに冷たい風が心の中に吹いているのをジーナは感じていた。
これはどんな感情なのだろうか? きっと良くはない感情なのだろう、ただ言葉にはできないままその冷たさに耐えていると、立ち上がったハイネが正面にまわり両手で顔を包み込んできた。
掌の温もりに包まれながらジーナはその顔を見て思う。冷たい顔だ、と。
「大丈夫ですよ。ヘイム様もヘイム様で自分のことを皆のことを、全て忘れていくのです。何故ならあの御方は龍になるものなのですから」
反射的にジーナは瞼を閉じるとハイネの手に力が入り熱も上がった。
「そうであるから我々はできる限り他の大切な記憶は残さないといけない、そう思いません?」
「思わない」
壊したい、という思いが来て、この言葉によってそれができるのなら……とジーナはそれを口に出すと同時にハイネの掌の熱も更にあがるのを感じた。
その力を熱を、意思と命を。
もしも可能であるのならハイネはその掌と熱によって私を傷をつけたいとでも思っているのだろうか? だがそれは痛みからもほど遠く傷までには到達できない。すると暗闇の中、息を吸う鋭い音が、聞こえた。
なんだ? と思った瞬間、額に衝撃と痛みが走り、その掌から離れジーナは岩の上から転がり落ちうずくまる。
なんだ? とジーナはまた思う。なんだこの額の痛みは? 額に手を当てうずくまるジーナは目を開き混乱極まる頭の中で状況を整理する。
あの状況で、これは、つまり、いま自分はハイネから頭突きを受けたというわけになるが、なんで? とループする混乱に理解が追い付かないでいると、声を掛けられた。
「大丈夫ですかジーナさん?」
この女はいったいなにを言っているのか? 見上げるとハイネが同じく額に手を当てながら心配そうな表情をしている。




