お前ではない
進むその背後から聞こえるルーゲンの錫杖の音は小さく、残響もすぐさま薄闇へと吸い込まれ消え去る。
そういう空間なのだなとジーナには把握できた。龍が支配する世界における龍の巨大な力の影響下にもっとも近いところ。
ジーナもここもまた負荷なく歩きはできたけれども距離感が狂っているのか、それほどでもない広さの部屋の中心にまだ辿り着けない。
歩数は十分に歩んだはずであるのに、まだ途中。闇の中。そのせいか龍は見えず、色は見えず、その血を流している箇所、傷痕だって見えはしない。
ここはどこかの闇のなかに似ている。
だからジーナは印に触れ、金色を放つ。輝きは闇を照らし龍の間の暗い色彩を塗り替えたように雰囲気を変える。
背後から隊員達の声が聞こえる。動ける、と。そうだこの印の力は龍の力を上回る。これはそういう力なのだ。
ジーナも中心の龍が姿が見えた。
横たわるその紫色の皮膚……自分の眼が裂けるばかりに開くのを感じながらジーナは足を大股にして前に出そうとする。毒龍がそこにいる。やはりお前であったのだ。そうだそうでなければならない。
「隊長慌てるな!」
肩を掴まれ振り返るとブリアンがそこにいてジーナは睨む。
「止めるな!」
「あんたはその金色の瞳になると別人になっちまうが、ここは事前の打ち合わせ通りに足並みをそろえる。そうだろルーゲン師」
顔色が蒼白となっているルーゲンが喘ぎながら近づいてくると二人の間に入った。
「ジーナ君、落ち着いて。君の今の状態は龍の空間においても有効だ。だがその力で以って隊員たちと歩調をとるべきです。単独で動いてはなりません。たとえ君だとしても一人で戦うべきではない」
はやる心を抑えながらジーナは後続の隊員が向かってくるのをもどかしい気分で待っていた。
先頭にジーナ、そのすぐ後ろにブリアンとルーゲン、続くはノイスとアルに隊員達と予定通りの陣形をとりジーナはその紫色の物体を目指して進んでいく。
先ほどまでの狂った距離感にはならずひとつ歩けば一歩進み、そのぶん龍に近づくという緊張よりも高揚感にジーナの心は満たされていった。
これが毒龍であるのなら……このまま討てるというのなら……ここで使命が果たされるというのなら……私は印を戻しに故郷に帰れる。
それはひいては……そうだそれはそのまま……あの方の……彼女を……ヘイム……それを救うことに。
入り乱れる想念に急かされ動かされるようにジーナの足は龍の元へ、背負いしその罪を討つために近づき、止った。
先頭にジーナ、その後ろにブリアンとルーゲン。そのあとに隊員が並ぶ。彼らはこれ以上龍には近づけない。いや、それでいい。
一人ジーナは更に龍に近づき、見えてくるその姿。紫色の龍は死に絶えたように横たわっている。身体の右側を上にし瞼を閉じている。左側は負傷しているのだから下にしているのだろうとジーナは思いつづける。
そうであるはずだと。お前の左眼はこの俺の手で斬ったのだからな。
自分がつけたその傷をこの龍は有している。
月に照らされた際に見えた紫の鱗の色と傷以外にこの龍を判断する材料などない。ジーナは瞼を閉じて最後の思考に入る。
口も聞けぬこの龍……だから、このまま討てばもうそれでいいのだ、とジーナは決心し瞼を開き剣を抜き金色を光らせると、声が聞こえた。
『ジーナか……』
呼びかけと共にジーナはいま、時が止まっていることを意識した。剣を抜き構えるその流れが途中で停止していることにまず気づき、後ろを振り向かずとも背後から人の命の気配はまるで感じなかった。
龍の力によるものか? だがなんのために呼びかけた?
『その金色の力はジーナのものであるが……お前ではないようだな』
口を動かしての言葉のやり取りではないとジーナは気づき心に思う。いいや私だと。
「龍よ。私はジーナだ。龍を討つものだ」
『そうではない。その名は女のものであり、そうではないことは俺よりもお前の方が知っているはずだ。お前ではないのだ』
違うとジーナは心の中で返す。龍にではなく自分に対して言うように、自らに対して騙るように、それ以外の言葉を出させないように。
「私は印を携えお前を討ちに来た。問答は無用だ」
『いいや違う。お前は印を持つものだと騙る偽者。印の力を用いて龍を討つ資格などないものだ、立ち去れ』
「資格とは何だ? これから討たれるものがつべこべ言うんじゃない。お前はただ、ジーナによって討たれる龍に過ぎないのだ」
掲げた剣を振り下ろそうとするも腕は動かず、まだ意識のみが言葉となって渦巻き遠くから聞こえる声と絡まり合い会話となって、身体に流れて来る。血の逆流に抗うように意識が遠ざかりそうになる。
こんな問答など、する必要などないのに。下ろせば、もうそれで……だが振り下ろせない
『いいやそうではない。俺こそがその資格を与えたものであるのだからな……ジーナに龍を討つ印を授けたのは……この俺だ』
心臓の鼓動が鳴る代わりにジーナは落ちて行く感覚の中にあった。落下していく中で言葉は身まだ体をまとわりつき、離れない。
「いったいなにを言っているのだ。やめろ」
『お前こそなんだというのだ。ジーナではないというのに印を携え龍を討とうとするお前こそなんだというのだ? いや正体は知っている。この呪われたものめが……ジーナを殺した呪身めが!』
心臓が止まり寒さが来て身の感覚が失われ、意識が遥か彼方へ跳んでいきそうな中でジーナは叫ぶ、叫ぶしかなかった。
「殺していない、受け継いたんだ!」
『死を願った癖に』




