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うん、まずいな

 固まっているヘイムを見ながらジーナは言う。


「あの、喉がお渇きでしょうからこうして茶を注ごうかと思ったのですが、それともこちらではそういうやり取りはしないのですか?」


 ヘイムは首を振った。


「それならそう遠慮なさらずに。いや、たしかに私から注がれるのは嫌でしょうが、こちらは注がれた側ですから個人的な感情を超えて、こうして返すのが礼儀として当然でして。まだ中身も残っておりますからね」


 もう一度ヘイムは首を振るがジーナには意味が分からないままだった。なんなんだこの女は。


「あの、なんです? 茶には罪はありませんし、これは何かを狙っているわけでもなく、ただ先ほどのことに対する返礼です。それとも何か言いたいことでも」


 ジーナの言葉を聞き声の響きを確かめながらヘイムは考える。これは意識する方がむしろ不味いのではないか、と。

 

 ここで抵抗する方がおかしいのではないか? 明白な意思表示になるのではないのか? もしもこれはこちらが断ることを前提にした上での罠だとしたら、このままうろたえ続け見苦しく断ったらやつの策に嵌り逆に取り返しがつかぬこととなり、生涯拭いきれぬ恥として残ってしまうのでは? 


 なんという恐ろしい罠! だがしかしヘイムはジーナを顔を右眼で見る。こいつは……頭は良くないしそのようなことはせぬよな、とヘイムはその点に関しては信頼というものを持っていた。ならば全ては己の自意識の暴走であるのだから克己せよ妾。


 そう、気にしているほうが負けであり、気にしていないということを意識しなければならない、難しいな! とヘイムの思考はループしその矛盾と破綻に突き進む中で、決心する。


「時にジーナよ。そなたの故郷は食器を共同で使うのであろうな」


「うん? 突然話が飛びましたね。どういう思考回路をしているのやら。ええとそうですね、みな同じものです。ああ祖父と祖母だけは違いますが、基本一緒ですよ」


「そうだろうな。だがな妾らの階級では食器というものは個人個人によって違いがあるのだ」


 そうなのか? とジーナは上級階級というのはそのまんまシオンとヘイムしか見たことはいなかったが、そういえばヘイムのコップだけ小さめなものであったような。


「ヘイム様のコップだけ小さいという、ああいうことでしょうか?」


「そうそうそれであるぞ。よくぞ覚えていたでかした」


 何がでかしたなのか分からないがジーナにはその喜びかたは異様に見えた。そんなんで喜ぶとは、わけがわからない。


「まぁそういうことであるから驚き反射的に茶のふたを引っ込めたりとかしたわけだ。別に他意は無く何にも気にしとらん、いいな? 分かりましたと言え」


 有無を言わさぬ低い声による命令が飛んできたためにジーナの心は無反発にその言葉を受け入れ、返事をした。えらい階級の人はたいへんだなと。


「はい。わかりました。ではそういう事情でしたら茶筒はもう」


 ジーナは茶筒を仕舞おうとするとヘイムが止めた。


「仕舞わんでいい、これで、飲む」


 なんでそんな苦し気な声を出す? ジーナは不審がりながらヘイムにふたを渡した。


「礼儀というのだろ? ならば受け入れてやる。まぁもともと妾はそういうことはたいして気にせぬからな、そう気にしてなど全然いないのだ。誰の食器だろうがまるで気にせぬ。妙な自意識なんて全然ないからな。よって妾はいま喉が渇いているため茶を飲む。ただそれだけだ、いいな? 分かったな」


 さっきからなんでこんなに確認口調なのかジーナには分からないが頷き同意すると彼女は嬉しそうな顔をした。


「ではそなたの故郷のやり方に沿って茶を飲ませてもらおう。では注げ」


 ただ単にお茶をどうぞといっただけなのに、どうしてこんなに面倒なやり取りをしなければならないのか? もっと簡単にいくはずなのに、何故? ジーナはここでもまた不条理感に襲われながらも、差し出された茶筒のふたに茶を注いだ。


 その時間はとても長く感じられ、そして終わりをすぐに感じられた。それからヘイムは無意識が如くにごく自然に流れるように素早く茶筒のふたを持ち上げ微かな躊躇いも見せずに茶を口に運び飲んだ。完璧な動作、とヘイムは自分は自意識に打ち克ったと内心喜びに震えた。


 一方のジーナは茶筒の中身を振って確かめていた為その動きを見てはいなかった。おっ少し残っているな。


「うん、まずいな」


 声によって茶を飲んだことに気付くとジーナはここまでやっといてこれか、とげんなりした。それにしても嫌がらせのレベルが高過ぎる。しかもこんな明るい声の調子でやるとは……人を苦しめるのが生き甲斐なんだろうな。


「もう一杯あるな。注いでもらおうか」


「えっまずいのに飲むのですか?」


「残さずに飲みきってから帰るとする」


 たしかに少し残っているが、これは自分用にと考えていたジーナがちょっとのあいだ無言で抵抗するとヘイムの声に鋭さが加わる。


「……駄目だ駄目。それは妾のだ。だいたいそなたは二杯飲んだのだからもういいであろうに。まったくいやらしい……違う、まったくいやしいぞ!」


 そう言われたら全く反論できないためにジーナは諦め茶を注ぎ、またヘイムはそれを飲んだ。


「これで空になったな。よかった。もう気にせんで済む」


 何が良かったのかこっちは気にするわ、と心中で呟きながらジーナは渡された茶筒のふたを元に戻した。


 あと一杯飲みたかったのに妨害された感を強く抱きながら一枚だけ残った焼き菓子を手に取った。


「持ち帰らずにここで食っていくがよい」


 茶を飲み干した本人ならなるほどそう言うのかと納得しながら口に運ぼうとするも、一つの疑問が湧き変わらぬ率直さで尋ねた。


「そういえばこの焼き菓子を作ったのはどなたでしょうか?」


 聞くとヘイムは座ったままの姿勢であるのにその場でちょっと跳んだように見えた。震えから弾んだ? 寒いからかなとジーナはヘイムは冷え性なんだなと認識する。


「あっああ……女官に作らせた。良く作るようにと伝えたがな」


「おっそうですか。もしかしてハイネさんとか?」

「違う」

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