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更衣室からめんぐさいヒロインが出てきた。

「おいおいおいジーナ隊長よぉ。まーた昨日もバルツ様を怒らせたらしいな。なんだってあんたはあのルーゲン師の講義中だってのに説教されちまうんだよ。罰あたんぜ」


 浄化するためのように窓のカーテンを全て開き午前の秋の日差しをいっぱいに入れている兵舎の一室において、服装を整えているジーナは後ろから責めたてられていた。


 覆い被さるように立つ背が高く巻き舌気味なその赤毛の男。

 会話というか一方的にわめいておりジーナの反応は薄かった。


「それにしてもよ、もうちょっといい服はないのか?ここちょっと汚れてんぞ。そんな服を着て行ったら、ただでさえ西の果ての田舎者どころか辺境者だって話が伝わってんだから、あーあやっぱりなと笑われちまうぜ」


「そうしたら回れ右して帰って来るよ。それにこの軍服はな古びていても私の一張羅だ。ブリアンみたいに何着も服を持ってないのだから仕方がない。嫌ならお役御免にすればいい」


 返事を鼻で嘲笑いながら黄色い果実をかじるブリアンの脇から金髪の小さな女がぬっと現れジーナの軍服にブラシをかけ始め睨む。


 その三白眼で。


「だったらせめてさぁ!綺麗にしようとか考えないわけなの隊長!薄汚れていてああ情けない。戦場だとそれでいいかもしれないけど、ここは戦場でなくて日常だからね。おまけにこれから行くのはあの龍の館だろ?あそこがどこだと思ってるわけなんだい?酒場とかじゃないんだよ!」


 舌打ちしながらのキルシュのブラッシングは執拗かつ暴力的なものとなっているがジーナは何も言わずに耐えた。


 このキルシュは龍の女官の一人なのでありこれは一種の検査であった。


「分かっていないようだから言うけどあそこは龍身様がいらっしゃる御所なんだからね。この世で最も尊い場所なんだよ。この世界の中心、真ん中、聖なる御処。それなのに、この、うすぼんやりな古ぼけた服で行こうとする、その神経!ブリアンみたいにカッコいい姿になれとは言わないよ。だって隊長だし。けど汚い服装は龍身様への侮辱になるし、この隊の不名誉になるんだからやめるんだよ」


「でもキルシュ。こんな半ば懲罰部隊みたいなものにどのような名誉なんてあるのかな?」


 窓辺に腰かける細見の男が悲しげ声を琴を奏でながら語った。妙な楽器だなとジーナは聞くたびに思う。


 なにより、でかい。


「お黙んなこの色魔!名誉が無いのは隊じゃなくてあんただよ。この悪の重婚犯が!」


「誤解だよキルシュ。悪いのは俺じゃなくて法律さ。愛が一人にしか与えられないって法律が既に反自然的だ。それに法律を言うなら君のブリアンだって地主殺しの犯罪者じゃないか。その点僕は御婦人をね」


 また琴を鳴らし半ば歌のように語るもキルシュは大声で止める。


「うるさい!あたしのブリアンをあんたと同じにするんじゃない。悪を征伐して捕まったことのどこが罪人っていうんだ。村人は未だに感謝しているんだよ。欲望に駆られたあんたとは違う。それにこの無番号の隊は少し前までの話でいまは第二隊になったんだよ。そう、この第二隊に残った初期メンバーは罪人ばかりだけど、みんな止むを得ない事情持ちばかりだよ。あんた以外はね!」


「恋は盲目とはよくいったものだ。まっいいがね。俺とブリアンはそういった罪人だけどアルは罪人というか……」


「言葉にしたら不可触民といいますかね。いいんですよ気を遣わなくて。書記の仕事をしていると割り切っていますし」


 こちらは会話には加わらず書きものをしている眼鏡をつけたまだ少年みたいな体格の男が答えた。


「そんなのは中央の人間による勝手に分類ですからね。僕は気にしていませんし。罪だとも思ってはいませんが、しかし改めて考えてみますと酷い一隊でしたね。吹き溜めの吹き溜まり。前科持ちが恩赦を求めて最前線に送られる消耗部隊のひとつとはなんともはや。そしてこんな常時最前線を配置される部隊を率いるその隊長の罪はというと」


 アルの問い掛けにジーナは答えた。


「私の罪は龍への不信仰だろうな。こんな男がこれから龍の護衛の初日を迎えるんだぞ。笑えない笑い話だ。この異常事態を誰も止めないことが私には信じがたい。今からでも間に合うから冗談ということで終わらせてくれないかな」


「信じ難い事態ですが隊長も隊長で信じ難いですよね。僕みたいな中央からしたら邪教を祀るように見える民だって龍にはある程度の敬意を抱いていますよ。それなのにあなたときたら敬意の欠片すらない。それどころか無視している。バルツ様も戦場ではあなたのことを信頼しきっているのに日常ではこれだと頭が痛いでしょうね。あなたは将来、上に立つ人になるんですから」


「信じ難いっていっても仕方ないだろアルちゃん」


 いつの間にか移動してきたブリアンの手がアルの肩を数回叩きその拍子で本が落ちた。


「ジーナ隊長はな、龍を討つために遥々西の果てからやって来たんだぜ。あの砂漠を越えてな。バルツ様にだってはじめからそう自己申告して入隊を許可されたってお前だって知ってるだろ」


「叩かないでくださいよ。それとそれは比喩的な言葉です。厳密に言いますと我々の軍は中央の堕ちた龍を倒しに行くんですから、みんながみんな龍を討つものなのですって」


「それはどうかな?」


 ブリアンは齧っていた果実を丸呑みしてから言い切る。


「これまでの態度を見るに、どうもジーナ隊長は龍という存在そのものを憎んでいるように思えるぜ。そういった感情を有しているのはこの軍でもただ一人ってわけでな……」


 ブリアンの言葉にキルシュは叫んだ。


「冗談が過ぎるよブリアン。あんまり縁起でもないことをいうのはよしなよ。それはいくらなんでも隊長に失礼だよ。そんな考えだったらこの軍に隊長がいるはずないよ。だってあたしたち龍の護軍は真の龍を信仰するからこそ、中央に正しき龍を帰還させ世界の秩序を取り戻そうとしているんだからさ。こっちは本物で正統ってことで、あっちは偽物で正統ではなく存在してはならないもの、これが軍の総意だよ。隊長はその最前線に立つ御人なんだからあんまり変なことを言うのはお止しって。はい、これで綺麗になったよ」


 ブラシをかけ終えたキルシュがジーナの背中を三度叩いた。

 多分自信をつけさせるためなのだろう。そんな心遣いはいいらないのだが。


「すまないな。もったいないぐらい綺麗にしてくれて。どうもありがとう」


「どういたしまして。龍のためならこれぐらいなんだってないよ。それとまぁ大丈夫ってやつだよ。隊長が不信仰でたとえ他の信仰を抱こうが戦場では他の誰よりも立派に戦ってんだからね。そんな戦士に栄誉である龍の護衛のお役目が回ってくるのは当然のことなんだよ。そうでなきゃ龍の徳が落ちるってもんさ。龍身様はあんたをきっと歓迎してくれるはずさ」


 鏡に映る紺色の軍服は綺麗になりキルシュはついでにジーナの爪跡がついた髪も櫛で整い始める。


 それによってこれもまた服との調和がとれたものとなった。

 自分には似合わない姿だなとジーナは鏡を見る。


 だがキルシュでもってしてもどうしようにもならないものがそこにあった。


 そのジーナの鏡にうつる歪んだ笑み。


「隊長はもっと気持ち良く笑えればいいのにね。他が良いのにそれじゃあさぁ。これから龍身様にお会いするんだよ?」


 だからこうなるんだよ、とジーナは内心で失笑する。その心が表に漏れ出す。


「それは無理だな。こんな薄笑いを浮かべながら私はきっと失礼なことをするよ」


「はいはい冗談冗談。隊長が龍身様に、という以前に婦人に失礼なことをするって逆に見て見たいものだよ。するわけないでしょ既に一人称が柔らかいこんな人がさ。不信仰だとしても大丈夫だとバルツ様やあのルーゲン師が見込んだからこその御指名だよ」


「だとしたらお二人はこの件に関しては見誤ったな。まるで節穴ってやつだ」


「緊張してめんどくさいからって憎たれ口を叩いていないでほら頑張ってちょうだいよ。なんたってあんたさんがいっぱい出世すればあたし達にいい役目が降って来て楽ができるってもんだからさ」


 場は笑い声に包まれジーナは溜息を吐いた。


「そういうことなら少しは頑張ろうかな。でもそんなに長く勤まらないと思うよ。今日一日持てば十分すぎるかな」


「そうしたらまた明日一日頑張ればいいだけの話さ。ほんとーにさーなにさ今までどんな戦いにだって弱音を吐かずにいた最前線のジーナ隊長が、この件だと腰が引けてグズグズと下らないこと泣き言ばかり言うだなんてさ。いつものあんたらしくないじゃないの」


「私らしくない、か。それは違うよキルシュ。これこそが私という存在を如実に現しているんだが……どうでもいいか。それじゃ行って来るよ。すぐに帰ってくるからな」


 扉を開けジーナが出ていくと室内にいた全員が顔を見合わせ首を傾げた。最後の一言ってなんだ?それに最近の態度もなんか変だな、と。


 龍の護衛が決まってから人がどこか変わったように……


「さては隊長は……女性がとても苦手な人なのではないかな?とある金髪の小さなご婦人を除いてね」


 琴を奏でながらノイスが節をつけて歌うと怒りだす一人を除いてまた室内は笑いに満ちた。




 晩秋の風の中ジーナは目的地に向かって歩いている。


 いわゆる世界の中心であるその真ん中へと。


 秋も後半であることから緑豊かなソグも色彩は失いつつあり枯色が目立つようになっているものの、一部では未だ夏のような色彩を保っている。


 それによって遠目からでも分かるその大きな館。


 それこそ龍の館。

 

 館というよりかは砦であり、砦というには穏やかな小城を思わせるその佇まいを見ながらジーナはげんなりし、いますぐにも帰りたくなった。


 この館を取り巻くこの長々しい高い塀に沿って歩いて行けばいつか重々しい扉に辿り着くのであろうが、別に辿り着かずに一周回って扉が見当たりませんでしたということでもいいのでは?


 私は入り口が見つからず出口も見つけられなかったので帰りました……と明日報告し散々に怒鳴られ引っ叩かられてもいいのでは?それで済むのならばいっそのこと。


 そうだ扉が現れても見て見ぬふりどころか存在を認めないようにして素通りすればいいのでは?私の行動は間違えているが、大きく見れば間違えてはいない、むしろ正しく賢い行いと言えるのでは?


 うむ、とジーナは一人合点し頷く。今更ながらそれでいこう、と思っている矢先に扉が現れ門番と目が合い逸らしそしてジーナは期待する。


「おいコラそこの怪しい風体の男!ここがどこか分かっていないのか?二度とここに近寄るな」

 といった言葉が来たらこう返す。

「はい申し訳ありません。私はこのようなところに入れる存在ではありません。二度と近寄りませんので何卒ご容赦を」


 そう私はこの世界における完全なる異物であり、決してこの役割を負うものではないのだから……


「あっあなたは第二隊隊長のジーナ氏ですよね?いいやそうに決まっている。そのお顔の名誉の戦傷が何よりのご証拠、お話は聞いております、どうぞお入りください」


 ベラベラと喋る門番は仲間を呼び二人がかりで早歩きで逃げようとするジーナの肩を恭しくも強い力で手に掛け、さながら連行のように彼を門の中まで引っ張っていった。


 何をしているんだお前は、冷静になれ、こんなことは許されない!


「待て!待ってくれいきなりすぎる!これが人違いだという可能性も考えないのか?危険だぞ!この怪しい私がもしも龍を害するものだったらどうするつもりだ」


「すごい……同じことを言われている。いえ、昨晩ルーゲン師から連絡がありまして、あなた様はそういった御戯れ事を言う可能性があるのでお気をつけてと言われましてね。逃がさないようにと。似顔絵もいただきました。一目でわかるぐらい、すごく、そっくりです」


 やられた! 

 ジーナは何故自分がこの門の前を一気に駆け抜けなかったのかと唇を噛んだ。


「ルーゲン師からジーナ氏はたいへん緊張していると聞いております。けど皆さんもこのお役目の際は緊張するものですから大丈夫ですよ」


 なにも大丈夫じゃないし、あの人もなんて余計なことを言うのだろうか。


 それにこの傷も……とジーナの頭はそのことでいっぱいなために門番に反論ができずに引きずられ、館の中に放り込まれる様にして入れられ閉じ込められた。


 龍の館の一階大広間。


 その中央には螺旋階段がありジーナは仕方なしに昇り始めた。

 

 説明を受けた通りに目指すは龍身の部屋があるという中央の階段最上階へ。階段を回りながら昇る間中にジーナはずっと考える。


 やはり私であっては駄目だろう、と。


 いまの自分は最もここに来ることもあれに近づくこともしてはならないのに、こうして階段を昇っている。


 龍の護衛になるために……この私が?

 

 なんという誤りであり、なんという馬鹿馬鹿しさであり、なんという……皮肉な話だろうか、とジーナは階段の途中で止まり、また動き、止まるを繰り返す。


「選ばれた?全く以てありえないことだ。やはり帰ろう、そうだ帰ろう」


 決意すると同時に足は階段を上り切っていた。


 どうして意識と身体が離れているのだろう?


 混乱し過ぎだとジーナは自分の足もとを見てそれから視線を前に戻すと、そこには無数の扉があり呆然となりながらそれを眺めていた。


 どれも同じサイズで同じ色の扉である。


 どの扉が龍の部屋に通じているのか?普通なら例えば真ん中の扉がそれらしいと思われるが、この広間には真ん中の扉だけが無かった。


 警護のためであろうがこれを見たジーナは動揺ではなくむしろ心安らかとなり深く頷いて安心する。救われた、と。帰れる、と。


 おそらくここに放り込まれる前に門番の兵がどれであるのかを言ったのであろうがそれを自分は完全に聞き漏らしていた。


 というか昨日ルーゲン師も何かを言っていた気もするが、拒絶反応からかろくに聞いていなかったのだろう。


 それに普通なら案内がいるはずなのにそういったものがいない。


 これはおそらく自分が予定よりも早い時間に来てしまったためであり、みんな仕事中か休憩中か違うことをしているのだろう。すると私はこの先に行かなくて済む。


 つまり龍の護衛にならなくて済む。


 こう結論づけジーナは安堵の息を漏らしながら心地良い気持ちとなった。

これについては門番や他のものに罪は、無い。全て私が悪い。


 全ての罪は私が背負う。


 いいや背負わさせそして罰してくれ。

 龍の護衛という権利を剥奪されるという罰は自分にとっては御褒美であり、他のものからすれば極刑もののお仕置き。

 私だからこそ無傷なのだ。


 しかしここに突っ立っているとそのうち例の案内役が突然現れたり、門に戻ったらここに連れ戻されるに決まっている。


 そうならないためにはここで間違えた扉を選び中に入り彷徨い約束の時間に間に合わなかったことにしなくては。


 それによって確実に処分を受け護衛の任は解かれる……こうする他あるまいと。


 仕方がない、これは運命であると。いくらなんでも初日にしくじったら次はない。


 これでいい、これで私の悩みは消え、すべては上手くいくのだ。


 もとの自分にジーナに戻れるのだ。

 あの苦悩することのない存在に。


 そうと覚悟を決めるとジーナは一番正解の確率が低そうな階段のすぐ右隣にある扉に手をかける。


 この扉を開けたらこの件は終了……しかし、もしかしたらこれが正解だったら?


 いいやここであるはずがないよな?とジーナに一瞬の戸惑いが生まれ手が止まる。

 すると扉が急に内側から開かれ前のめりになっていたジーナの額を打ちつけた。


「あれ?ごっごめんなさい、誰もいないと思って大丈夫ですか?」


 不意打ちを額に喰らったジーナは衝撃で跪いているとその額に手がかけられた。


「血は出ていないし……痣にはなっていないようですね」


 目を開けて見上げると額に触れる指の間から見えるは夕陽……ではなくそれに似た色をした瞳がそこにありジーナはそれを見つめる。


 意識が吸い込まれそうになりながらそれを見るうちに手が動き二つの夕陽は赤い瞳となり、女官服姿の黒髪の女がそこにいた。



 その女は心配そうな顔をしているためジーナはすぐに立ち上がった。


逃げなければ、この夕陽から、逃げなければ。


「いやいや大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしたものでして。全然痛くはありません。ではちょっと急いでいるのでそちらに失礼」


 扉の中に行こうとするも眼の前の女はどかずに怪訝そうな顔でジーナを見つめていた。


 どいてくれ。


「急いでいるんですか?でもここは更衣室なのですけど」


 ジーナの背筋は冷えて身体が固まる


「あっ違うんだ。急いでいるのはその」


 女は真顔のまま答える。


「まぁ着替え終わるまでに行かないと無意味ですからそれは急ぎますよね。けど残念ですがここにいたのは私一人でしたからもう誰もいませんよ。それでもよければどうぞ。それとも戻って着替え直せとか?」


「だから違うんだ。その為に急いでいるんじゃなくて、その、わざと間違えるために」


 喋れば喋るほどにドツボに嵌っていく感覚に陥りながらジーナは思う。


 自分は何をやっているのか?


 そうしたら能面じみていた女が肩を振るうわせながらもはや耐え切れないのか笑い出した。


「それって自供ですよねって、フフッああもう駄目です。お話は分かりませんが、とりあえずあなたが不審者ではないことは分かっていますよ。だいたいこんな堂々とした不審者がいるはずありませんしね。それであなたは新しい龍の護衛の方ですよね。ルーゲン師から承りました」


 半ば弄られたと思いながらも解決してホッとするのも束の間、こうなると龍の部屋を教えられてしまうのではないかと心配すると、遅かった。


「私の仕事は終わりましたけど交代で今日はあなたが来ると聞きましてちょっとお待ちししておりました。迷ったり分からないところがあるかなと思って」


 余計なお世話ですという言葉を呑み込んでジーナは快活に答える。


「それも大丈夫です。迷ってもいませんし分からないところもありませんから」


「あっやっぱりそうだったんですね。ここが更衣室であることを承知の助で迷わず入ろうとしたわけでしたね。早く着替えといて良かったです」 


「そこは絶対に違う。ああ私はどうしてこの扉を開けてしまったのか……」


 ジーナは真剣に答えたが女はもはや彼が冗談を言い続けているとしか受け止められずまた笑う。


「おかしな人ですね。失礼ですが話と聞いた方と全然違うというかイメージが異なるのですけど、念のためお名前をよろしいでしょうか?偽者でしたら困りますし」


 偽者?


 それは違うと男は急いで名乗ろうとすると女が先に名乗った。


「あっ私はハイネと申します。出身はここソグではなく中央西です。それであなたのお名前をお教えください」


 男は改めて尋ねられ、答えた。


「……名前はジーナ。出身は西の砂漠の向うだが、これで合っているかなハイネさん」


 ハイネは声を立てずに口元と夕陽色に染まる瞳で笑みを現した。


「合致しましたよジーナさん。私の名前はキルシュからたまに出ませんか?」


「ええ出ます。あなたがそのハイネさんだったのですね」


「文句とかいっぱい言ってましょうね」


「……いやいやそんなことは」


「あっ間があったってことはそういうことですよね?別にいいんですよお互いさまで私達友達ですからフフッ」


 お喋りな女だ……こうなったら苦肉の策としてこのまま無駄話を繰り広げて大遅刻をしてはどうだろう?とジーナは思うもそれはすぐに砕かれる。


「おっと失礼いたしました。もうそろそろ行かないといけない時間ですよね。それでジーナさんは果たしていったいどこで迷って分からないのですか?」


 全く失礼じゃなかったよと思いながらジーナは言った。


「それはもちろん龍の部屋に行く扉がどれか分からなくてね」


「だから更衣室の扉に手をかけたのですね。ある意味で当たりを引いたわけで、大当たり」


 またハイネは笑い出しジーナは居た堪れなくなって広間の方を指差した。


「更衣室は置いといてだ、こんなにたくさん扉があったらどれがそうだか分からないじゃないですか?この広間の扉のことを教えられたのかもしれないが、私はちゃんと聞いていなかったので分からなかったのですよ」


「わからない?ふーん、わからない、ですか。あと扉のことは誰も教えるはずはないと思うのですよね」


 人を小馬鹿にした態度にジーナは軽い苛立ちと焦りを覚える。


 私は何か、間違えているのか?


「それはどういうことだ?だってあんなに扉があったら」


 言っている途中に右手に誰かの手が添えられ持ち上げられ見るとそれはハイネであり、まだ笑っていた。


「冗談が本当にお好きですね。どこがその扉が分からないだなんて、いままでそんなことを言う人いませんでしたよ。はい、人差し指を立てたままにしてください私が誘導しますから振り向いて、どうぞ。ほーら、あの真ん中の大きな扉、あそこが龍身の間へ向かう扉ですよ。見えますよね?迷う必要もなくとてもとても簡単で分かりやすいことです」


 ハイネに導かれたジーナの指先には龍の模様のある特徴的な扉があったというか、出現した。


「さっきはなかったのに」


 声が震えているもののハイネはまたふざけていると捉えそれに付き合った。


「ふーむそれは不思議ですね。となるとその可能性といえばジーナさんが無意識に見ないようしていたか、龍身様が不審者を警戒して扉を隠したか、または私が導いたから出現したか、そのどれかですね。どれだと思います?」


 にこやかな表情で楽しげに語るハイネとは対照的にジーナは扉を睨み付けていた。


「……その三つが重なり合ったからこうなったのでは?」


 ジーナは低い声で答えるもハイネはまた笑い声を混ぜて答える。


「なんです?ジーナさんは龍を怒らせるようなことでもしたのですか?だからこの役目を辞退したがったり、扉を無意識で見えなくしたり、挙句の果てには更衣室に侵入して不審者として捕まろうと自暴自棄的な行動を取ったのですね。もしもそれが本望ならそう報告してもよろしいのですが」


 我に返ったジーナは慌ててハイネの方を振り返った。


「更衣室の件は誤解なんだ。どうか信じてくれ」


「他のも否定していいのですけど。なにはともあれあの扉の先に廊下がありまして、その先に龍の部屋があります。どうぞお行き下さいな、あっ」


 ハイネの手がまた額に触れ表情を曇らせた。


「さっきの扉の一撃が……薄らと痣になっていますね。その、すみません」


「いや、こんなのどうってことないが」


「初日だというのにこんな目立つところに痕をつけてしまって……」


「痕だなんて。私の顔は痕だらけだから今更一つや二つ増えたって問題はない。こんな額のなんかよりこの頬の方に誰だって目が行くから」


 ジーナはこう言うとハイネの眼はその左頬の痕を凝視し首を軽く振った。


「その傷痕と私がつけた痕を同じものにすることはできません。その多くの痕は龍のために負った名誉あるものですよ。あなたをここに導いた栄えある勲章、そのはずです。しかし……どうすれば」


 龍のため?


 その言葉にジーナの心に黒いなにかが覆う。

 衝動的な感情が胸に集まるのを感じ、抑えるために手を強く握った。


 この手の勘違いはいつものことであり堪えられるものであるのに、どうしてかジーナは眼の前のハイネの表情に戸惑いと怒りを抱いた。


 違う、悲しむことは無い、あれにはそんな痛みをあなたの苦悩を捧げるような価値など無い、あれは……これは……


「これはそういうものではないんだ。この痕は戦場で負ったものではなくそれ以前のもので……なんというかそう、授かった印、ある意味で天啓といえるものかもしれないな。だからハイネさん。そういう解釈はしないでくれ。そういうことではないんだ。苦しまないでくれ」


 まるではっきりとしないことを苦しげに説明するとハイネの表情は安心したのか若干和らいだ。


「だからあなたがつけた額のこれもある意味では天啓であるかもしれない。まぁそんなことだから心配は不必要だ。この顔は龍とは無関係な傷が沢山あるんだから」


「ならば私のは天啓というよりかは人啓といっても良いですかね。しかしそうなりますとあの御方のは龍啓と言えるかもしれませんねフフッ」


 我ながら上手いことを言ったと思っているのかハイネは一人で笑い出したが、ジーナは尋ねた。


「あの御方って、ヘイム様のことか?」


「ヘイム様?」


 ハイネの赤い瞳が左右に揺れた後、真ん中に戻った。なんだろうその反応は?


 昨日のルーゲン師のような反応で。


「ヘイム様、とあなたは龍身様をそう呼ばれるのですか?どうして?そのようなかつてのお名前を?」


「一身上の理由でちょっと」


「龍とトラブルがあったから?」


「あの、そういうのは」


「冗談です。宗教上の理由とかですね。ふーんヘイム様、か。ヘイム様ヘイム様……フフッ、フフフフッ」


 うつむき独り笑いをしだしてジーナはそのわけを聞こうとするとハイネは笑顔で見上げた。


「そう呼ぶのは、良いことだと思いますよ。私は賛成します。是非そうなさってください。私もあなたといる時はそう呼ぶことにしますね」


 何故?と聞くことをどうしてかジーナは躊躇った。まぁいい。


 どうせ今日一日だけの務めなのだし。


「では初日を頑張ってくださいね。龍のお部屋にはそのヘイム様とシオン様がいらしておりますので」


 聞き慣れない名前が出てきたためにジーナは記憶を探ってみると、あれはたしか……


「龍の騎士だっけな、そのシオン様というのは。どのような御方で?」


「どんなとは。これだから外部の人との会話は新鮮ですね。こっちはもう知り過ぎるほど知っているからそんな風に考えることすらありませんよ。うーんそうですね……はい、シオン様はとてもカッコいい御方であらせられますよ。見れば惚れ惚れしちゃうぐらいにです」


 ちっとも参考にならないことを聞くもジーナはそれを心に刻んだ。


 とてもカッコいい男である、と。


「では、行ってきますね」

「はい、いってらっしゃい」


 手を振るハイネを尻目にジーナは扉に向かって進む。


扉に入るふりをして違う扉へ……はもう無理だと観念した。


 背中に強い視線を感じる。


 これはハイネによるものだろう。ここで途中で引き返したら額の痣を気にしてといった意味として彼女は捉えてしまうかもしれない。


 私は口では違うと言っても行動がそれだと解釈するだろう。こうなったら、とジーナは腹を括り感情を押し殺しながら龍の扉に手をかけ、開く。


 不快な空気が中から流れ込んできたためジーナは顔を背けるとハイネと目が合った。


「私と仕事で重なる日は少ないでしょうから、次お会いできる日はいつかは分かりませんが、私のことを名前も含めて忘れないでくださいね。もっともあの最前線の英雄であるジーナさんに傷を負わせ膝をつかせたこの私のことは、忘れたくても忘れられない女になるでしょうけどね」


 微笑みながら軽口を言うハイネにジーナは息を吐く。


「ええ忘れませんよ。傷と一緒に覚えておきます」


「傷物にされたってことですか?ちょっと責任は取れませんね」


 何を言っているんだかとジーナは手を振り中へと入り扉を閉じた。


 眼前に広がるは長廊下。


この龍の道の果ての果てに扉があることを眼で確認したジーナは思う。


 これは自分の目が見せている抵抗感なのだろう、と。

 実際はもっと短いはずだ。今はその時ではない、そういうことだ。その時はまだ先であり、それは必ず訪れる約束の時。


 だとしたら……どうしていまここに私はいるのだろう?だが、行かなくてはならない。


 ジーナは矛盾した心のまま足を一歩前に出した。


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