彼でなければならない
語る度に輝きが増しているようなルーゲン師の言葉に対しバルツは同意し首を縦に、だが動かすことができなかった。
引っ掛かりが、ある。小石程の大きさの何かがあり、扉が閉めることができない。
いくら引いても完全には閉まらない。そして自分もまたそれを取り除くことが、できない。
だから抗うことしかできない。
「ジーナは、駄目だ」
「彼でなければなりません」
バルツは心臓を獣の爪に掴まれたかのように息が止まる。その声には正しさしかない。
「彼を選ばない理由は、どこにもありません」
同じくルーゲンも息を止める。呼吸音どころか心臓の音さえ消えてしまった静寂な時の中でバルツは考えることしかできなくなる。
だが心の中で思えば聞こえてしまう、それほどの音が絶えた世界においては自分の心の声がうるさすぎた。
そのなかでバルツは考える、ジーナのことを、彼を選んではならない理由を、どうしてか考える。
それはあれは龍を……誰よりも……ほかの誰よりも……信仰……
「いいえ彼は不信仰者です」
重ねられたルーゲンの言葉によって静寂は破られ思考は途絶える。だからやっと呼吸ができた。それから論理が迫ってくる。
「彼は不信仰者。この世界でただ一人の存在です。あなたもお分かりでしょう。彼が龍への信仰にやはり目覚めなかったことを。どのようなことを言いどのように導いても、あなたの心も届かなかった。彼は目覚めないままここにきた。違いますか? だからいま一度言いましょう。ジーナでなければならないのです」
その言葉は正しく何ひとつとして誤りはないということは分かっているのに、それでもバルツは頷けなかった。
どうしてもなにかがそこを妨げている。それが小石だとしたらその小石とはなにであるのか?
いいやそうではないとバルツは思い出してきた。それを自分は知らないのではない、と。
知っている、はじめから知っているのだと、ほんの小さな認知のズレが全体を少しずつずらし大きくその全体像を誤らせていたのだと。
小石程度の認知とはジーナとの出会いの際に……俺はあいつのことを。
「お迷いなさらないでください」
手に痛みが走りバルツは思考の世界から帰ってきた、ルーゲンの黒い炎を思わせる大きさの異なる二つの眼に射竦められた。冷たい熱が身体に侵入してくる。
「はじめからあなたはこうなると予想していたはずです」
そうなのか? と、ここで生まれたバルツの疑惑はルーゲンに導きによって遠くへ追いやられていく。
「あなたのような篤信家があのように西から来た不信仰者を手元に置いたのは、教化の他にも目的があったはずです」
あった、あったのだとバルツは今も懸命にそれを探すもルーゲンの手はバルツを引っ張っていき探すべき位置から遠ざかっていくばかりであった。
「だがそのことは、あなたにとってはあまりにも罪深いことであるために意識の潜在下において隠され、今まで露わになることは無かった。そうであるからこそ命令違反を繰り返し反抗するジーナをあなたは庇い保護し、誰よりも大切にしてきた。その全てはこれから行われることに彼を用いるために」
「俺はそんなつもりでは」
「なかった、そうです究極的にはあなたの意思では、ありません」
辛うじて出た反論を予想通りであったのかルーゲンは一気に呑み込み、言葉と思考を殺していく。
自分の意思でないのなら、とバルツの停止した思考を聞いているかのようにルーゲンは頷く。
「龍の御意志がそうさせたのです。西から来るものを保護しこの日のために手元に置いておけと。他の地域からそのようなものは来るはずがありません。西からしか来ないのです。その西の地域に、あなたがいた。そして他の将軍の元ではいけません。どれもあなたの程の信仰心は持ち合わせてはいない。そのようなものの元には、それを預けることはできない。篤信家でありいつの日か西への教化を考えていたあなただけが、あなただけに龍は信頼を置いた」
そうなのか……そうなのか? とバルツの心は二つの割れ揺れる。片方に傾けば自身が救われるのは分かっていた。
ルーゲンの言葉の導きに納得をすれば、屈すれば、もう思い煩うこともない……けれどもやはりバルツはまだ傾けない。
これは何に対する抵抗であるのか? あの反抗的な不信仰者を庇う理由とはなにか?
それは自分はずっと……なにかを間違い続けているような気がしてならないためであり。
「彼はどうしてずっと不信仰なままだったのでしょうか?」




