男の前だと聖人君子なジーナ君
「君は体力があって羨ましいかぎりだ」
「私からするとルーゲン師のタフさには驚かされましたね」
「それは僕が青白い僧であるからそうみたのかな?」
「僧であるというよりもルーゲン師の線の細さからですね。その身体のどこにそんな力があるのやら」
「言い方に嫌味が無いのが人徳というものですか。もっとも君からしたら大半の男は細身の優男かもしれませんけれど」
手紙を書いているルーゲン師の手がゆったりとした慎重な動きから、急に荒々しい動きへと変わったのを見てジーナは最後の署名だとわかった。
「もしも僕にタフさというものがあるのならそれは、精神の力といえるものでしょう」
「信仰心の力ということですか?」
手紙を封筒に入れているルーゲンが振り返りジーナを見つめながら薄い笑みを浮かべた。
歪んだ笑み。
歪み、ルーゲンの元から非対称的な左右の眼もそれに合わさってそれはいまにも崩壊しそうな積木のような顔だとジーナには感じられた。
バラバラなものがなにかによって繋がっているような無秩序な統合。
「もちろん、それも含めての精神の力ですね。信仰心にそれと……」
歪んだままルーゲンは停止した。崩壊寸前な家屋が傾いたまま奇妙な角度で留まっているような不安感をジーナは抱かずにはいられなかった。
いまここで少しでも動いたら壊れる、かといってこのまま停止し続けるわけにもいかない、ジリジリと意識が追い詰められる焦燥感のなか、ジーナは目を離さずにいたルーゲンは突然歪みを一切消滅させた。
その瞬間に何もかもが元に戻り秩序が回復したように感じられルーゲンは今のは嘘だったというかのような声で、こう言った。
「復讐心だとしたら、君はどう思いますか?」
東西南の龍の護軍の同時攻勢によって勝利を収めたあの戦いの後に会議が開かれた。
「殲滅といった決定的勝利とは行かなかったがこの兵力差で敵を撤退させたのならば良しとしよう」
参謀や隊長らに対してバルツは謙虚にこう語ったものの誰もがその言葉は勝って兜の緒を締めよ的なものだと分かっていた。
客観的に見て大勝利である。本来なら南下してきた中央軍の圧力の前に敗走か良くて膠着状態となるしかない戦闘前の情勢のなかで、敵の攻勢を跳ね返し敗走させただけではなく、大損害を与えることができたとは楽観的な参謀すら考えもつかなかった。
「中央軍も彼我の兵力差を見て一気にかかればこちらを崩せると判断したのが命とりとなったな。しかしその判断は妥当であり指揮を執るものなら誰もがするだろう、俺だってそうする」
攻勢をかけ深く入り込む予定であったために東西からの挟撃に半ば恐慌状態となり本来の力を発揮できずに敗走となった中央軍。
「油断せぬように」
重ねて訓示をしたものの中央軍の背骨をへし折り砕いたとはいかずとも、ひびぐらいは入れたというのが衆目の一致するところであった。
捕虜からの報告も中央の士気は著しく低下しており今度の戦いに賭けるものが大きくそれを頼りになんとか意識を保ってきたが、この惨状だ。
中央軍の指揮官は軍の精神的支柱と言うべく御方であったが側近と共に戦死し、その点も兵隊たちは意気消沈しており我々としてはもうこれ以上どうしたらいいのかわからない、と言った証言も数多く出されてもバルツは表情を変えなかった。
「この度の戦いに勝利し東西両軍と合流したことは喜ばしいことだが、これで以ってようやく巨大な中央軍と互角もしくはやや劣るといったものだ。諸君ら指揮をとるものは努々おごることなく次の戦いに備えるように」
大勝利には浮かれることなく身を引き締めよと繰り返すのを聞きながら、ジーナは将軍の修練を積んで来たもの特有のその姿に感銘を受け改めて見直していると目が合い、睨み付けてきた。
「この度の戦いは主に二組の隊の活躍が目覚ましかった。まず敵総司令官を多大なる犠牲を払いながら討った第一隊。流石は筆頭部隊だと先ず俺がその名誉を讃えよう」
天幕にいたものたちが拍手をすると第一隊長が顔を真っ赤にしながら涙を流し出した。
シアフィル解放戦線の最古参かつ最精鋭の第一隊。本来なら軍の要となる部隊であるはずであったのに解放戦線の老幹部から一族可愛さのあまり温存されがちであり、その代わりに第二隊が最前線に立ち数々の名誉を授かるのを見続ける屈辱を味わい尽くしていた彼らだが、この戦いでは全隊員からの志願により最前線に立ちどの隊よりも犠牲を払いどの隊よりも戦果を得た、
このたびの戦いにおける正真正銘の英雄的な隊であるとジーナは思いながら手を叩いているとバルツの声が続いた。
「その次はルーゲン師及び第二隊のものたちによる東西両軍への共同作戦要請の成功だ。これがなかったらこの度の戦いはどうなるか不明だった。特にルーゲン師には深く感謝する。第二隊もご苦労であった」
これにも大きな拍手が起こりルーゲンは挙手で答えジーナは頭を下げた。
「昨日龍身様からこの度の戦いにおける祝勝のお言葉を戴いた。勅使も派遣され後日に訪問なされるが、予定通り我々は前進する。前に、北へ、中央へ、世界の中心にだ」
戦いが明けて幾日かの間で陣営のなかは戦闘の興奮がだいぶ下がり平静さが戻っているとジーナには感じられた。
「バルツ将軍は第一隊の面子を重視しましたね」
傍らを歩くルーゲンが些細な天気な話からいきなりあの話に戻した。
「客観的に今回の功績筆頭は我々の他ないのですが、内部の政治をとったと僕は見ます」
「互角かあるいは第一隊が最優秀だと私には思えましたね」
切り替えしにルーゲンは反発をせずに満足気にそれを受けとめた。
「君ならそう言うと思った。謙遜ではなく心の底から思っているとね。だからバルツ将軍も第一小隊を最大限に立てこちらを最小限に立たせた。損失的にあちらを立てなければならなかったのだろうことは僕は了承していますが、君は何かお褒めの言葉を戴かなかったことについては不満はありません?」
「私を褒めたところで何も変わらないし無駄ですからバルツ様は賢明です。最前線で戦った第一隊の活躍こそ讃えられるべきだ」
「男の前だと聖人君子ですね本当に。君は自分に自信があるからそのような言葉は必要ないのかもしれませんが、ではハイネ君から褒められたらどうです?」
ジーナは足が止まりそうになったが、踏み止まりというか踏み止まらずに前に歩いて行くと隣にルーゲンはいなかった。
「あのジーナ君? ここでお茶にする話だったじゃないか。どこに行くんだい?」




