何度分裂しても調和によって修復されていく世界
あちらの民は未婚の女に髪に関するものを贈るという。となるとその南のものはルーゲンにこう言ったのではないか?
『どうかご夫人様へどうぞお贈りなさいませ』とか。
ということはこれはシオンに教えてはならない、とヘイムはすぐに結論づけた。
「まぁ意図は不明ながら贈り物を貰ったのは良いうことですね。軽く今つけておきますか?」
「いらんだろうに。表彰式で自分の匂いなど気にするものか別に使わん」
「こういう時に限って真面目なんですからね。これは私が預かっておきますから使う時は言ってくださいよ」
使うような時は来ないだろうなとヘイムはそのことをすぐに忘れて椅子の上に座り瞼を閉じ瞑想をしはじめた。
これは祈りであると同時に一つの儀式でありその行為はそのまま龍へと近づくためのものであった。
龍身を宿らせているだけでは龍化は進まない。思い望み唱え続ける。自らを龍へと近づけるために。
この状態となったヘイムに語りかけるものもなくまた呼びかけるものはいない。
耳を澄まし限りなく近い無音の境地に達したヘイムは何の前触れも起こさずに瞼をあげ立つ。
女官らはその時だけをひたすら待ち続け額ずき案内をしはじめる、ここに龍身様としての準備が完全に整ったということとして。
世界には自分の足音と呼吸の音しかしないように静まり返っていた。人は皆、いる。いくらでもここのこの場に、いる。
それでも何も音がしない。いや、聞こうとすれば命の鼓動ぐらいは聞こえるが、それは聞く必要のないものであった。
龍の耳には人の声や言葉は基本的には聞こえないことを知ったのはいつの頃であったのか?
儀式の途中から周りがあまりにも静寂すぎることに気が付いてからか?
意識しなければ聞こえない。聞こうと思えば、聞こえる。
だけれども龍として人の何を知ろうというのだろうか、とヘイムは半分自分のことであるのにそう考えてしまう。
龍とはただ一つの孤高たる存在であり世界を統べるものである。その一方で人の時よりも聞こえるものがある。
脅威というものは、はっきりと聞こえる。自らの命に係わる音はそのまま耳に入って来る、うるさく痛いぐらいに頭に響き渡り反射的に臨戦態勢を取り出す。
龍は人の悪意に敏感なのであろうか?それとも好戦的なのであろうか? そうであるけれどそんな心を龍に向けるものなどいない。いるはずがない。ここはそういう世界では、ない。
龍への畏敬と信仰で満ち足りた世界。いくら乱れようがやがて正しき秩序に向かう。何度分裂しても調和によって修復されていく世界である。
存在するはずがなく、存在を許されないというのに、だがそれはいた。そのうえそれは、この会場内にいる。
龍身は杖を鳴らし安定した歩みで壇上へと登っていく。
目の端にて会場にいる民を見るもその呼吸音すら聞こえてはこない。その龍の世界においてヘイムはジーナのことを考え、それからこう想像をした。奴は目を背けるだろうな、と。
それはいつものことだ、自分を見るときの奴の視線がそれだ、と心中そう思いある意味で油断をしていた。
ジーナは今の自分を見ても特には何も感じないだろう。あれはこの檀上で妾の右目を見つめそれから去る。それで終わりだ。だがそれはとてもとても大切なことのようにヘイムには思われた。
何故だと自分に問うこともなく、そう確信を抱きながら挨拶の言葉を語りだし表彰式がはじまる。




