渡そうか渡さないか
これは私がしないといけないのだ。他の誰でもなくこの私が。
封筒をまじまじと見つめると差し出し口が開いたままであるのが分かり、あまりの隙に思考が停止すると言葉が鷹の爪のように頭を掴みに来た。
「気になるのか? 読んでも良いぞ」
耳に入ったその声には挑発の色はなくごく普通のいつもの声であるとハイネの頭は理解をしていた。これには何の含みもない。そう作っている。
ここでもし自分が態度を強張らせたり声を荒げたりしたらそれは滑稽なことであろう、とハイネは自分自身を客観的に見ていた。
だからとるべき自分の態度はこの人と同じくいつもの態度で普通の声を出せば、良い。
簡単だ。いつもやっていることだ。私はできる。いとも容易に呼吸をするように外面の良いハイネらしさを出せば、終わりなんだ……だけどそういうのはいまこの人にやりたくはない、とどうしてか思いハイネは自らの仮面をかなぐり捨てた。
「そういうわけにはいきません」
威圧的な低い声が出た。恐らくというよりかは確実にこの人に対して出したことのない声だろうし態度だろう。
ある種の覚悟をハイネは決めていると固まっていたヘイムの口元が微かに溶けて歪んだ。
笑った? と分からないもののハイネはなんともいえない満足感が身体に湧いてきた。
「フフッ真面目だなハイネ。分かっておる。そなたは断るだろうとな封をしそこねただけだ返してくれ、すぐにやる」
手紙を戻るとヘイムは軽めに封をしすぐに返した。それは故意であったのか ?とハイネは疑惑を抱くもやめた。これ以上考えすぎて本音を出すのは賢明ではないと。
「これよりジーナのもとへ持っていきます」
早くここから出たい、いや、あの塔へと行きたい。
「別に急がなくてもいいのだがな。では頼んだぞ。それとな、ひとつ言いたいことがある」
ハイネは動きだそうと……走り出したい足にいきなり杭を打ち込まれたように仰け反るような姿勢となってしまった。どうしていま止めるのだろうか。
「あの先程のは」
「違う違うそなたのことではない。ジーナとのことだ」
なお悪いと思うもののハイネはヘイムを見つめた。見てはいけないのに、ほら目が笑ったとハイネの胸に疼いた。
「手紙が届くたびに字と文章の上達が如実に分かるぞ。特に今回の最初の手紙の一文は内容よりも字の上手さに感心をした。これも全てそなたの指導の賜物であろうな。奴に代わって礼を言っておく」
「どうしてヘイム様が私にお礼を言われるのですか?」
間髪おかず無意識に声に出てハイネの身体と心は宙に浮いた。ヘイムもまた予想外なためか言葉を失っている。
立つ瀬を無くしたハイネの意識は落下していく感覚の中にいた。掴まらなくてはどこに、どこへ、なにに……だからハイネはヘイムの服に手に取った。
落下の感覚は、消え失せた。息をしなくてはならない。それは言葉を続けれなくてはならないという意味であるとハイネは了解した。
「その必要はありませんよ」
「そうはいくまい。あれは妾とやつとの手紙のやり取りだ。それを支障なく可能にしたのはそなたのおかげ以外のなにものでもない。礼は必要だ。ジーナの代わりというのはあやつは礼など言わぬ男であろうに?」
「いいえヘイム様。そのことでしたら既に彼からお礼は頂いております」
だからこそ私はあなたからそんなお礼など貰いたくはない。
ほぉ、とヘイムは感心したような声を出し息が吐いているのをハイネは見る。どうしてかそれに癒されているとハイネは不思議な気持ちに気付いた。癒されたくないというのに。
「上手くいっているようだなそなたらは」
手に力が入るのを察せられないようにハイネは勢いよく手を離した。危なかったとハイネは震える。その言葉は、危険であると。
「そっそこそこに、です」
無様にも舌がもつれながら言うもヘイムは気にもせずに言った。
「あれからきちんとそんな言葉を引き出せるとはな予想はせんかった。じゃあ妾からの礼にしとくか」
「もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございます」
身体中を縛っていた鎖が外れたようにハイネはいつもの声が自然と出て普段の心にもどっていた。
「改めて手紙は頼んだぞ。これでこの件はおしまいだ。まぁこんな簡単なことでも清々とするな」
そうは言うものの左手にもつ手紙が重さは増していくのをハイネは感じていた。簡単か。
これは、渡すべきなのかどうなのか……ハイネは頭をなかでジーナを思い描き、すぐに現れる。
いつもの彼があの手紙を見る姿に雰囲気を……何も言わずにただ何度も読み返す手紙を……私にも見せて読ませてくれるこの手紙を……けれどもこれをあの人は私に見せてくれるのだろうか?
私に見せるのだろうか?




