無音の世界
奥底へと踏み込む一撃をヘイムは軽く受け止める。
「よいぞ」
「事務仕事に加えて中断してしまっているあの件を再開させるということも含まれていると考えてもよいのでしょうか? つまりはヘイム様の婿選定ということを」
鳥の囀りが高く部屋中に響き渡る。その美しい鳴声は壁や机に反響しながら二人の皮膚をその下の肉に刻み込んでくるほどで。
「だからシオンがいなくなってから話すのか?」
「はいそうです。シオン様はヘイム様の前ではその手の話をしたがりませんし。だから私がその話を任せられているわけで」
「そうだな。あいつは妾が他の男にとられるのが惜しいのだろうよ。そこは昔から独占欲が強くてわがままだからな」
「姉様はお気に入りが自分から離れるのを凄く嫌がりますものね」
「当の本人は本命を確実に手にしているのにな。あれがもしも男だったらかなりの危険な男になっただろうな」
「ここだけの話ですが悪い男になったでしょうね。一人で何人もの女も悪気なく本気で愛しちゃうタイプに」
「違いないな。額に禁欲の刻印でもしてやりたいぐらいだ」
「酷いですがやむを得ませんね」
二人は同じタイミングで咳払いのような笑い声をあげるも、視線を合わせずに会話は続けられていく。
「このことはあまりシオン様とは相談はせずにヘイム様と直接お話ししながら進めたいと思います」
「それでよいぞ。龍の婿選定を進めなけばならないからな」
「はい。ヘイム様の婿選定は是非ともこの私めにお任せください」
すると途端に鳥の囀りが消え一切の音が消え室内に無が舞い降りた。怯むハイネは恐怖から息を潜め無意識に呼吸音すら殺した。
返事を待つも何も無く視線をあげることすらできずにハイネはそのまま止まっていた。 無のなか止まらざるをえない。
一線を超えたか? もしくは踏み抜いたか?
何ひとつ音がせず聞こえないなかでハイネは目だけはつぶらないよう耐えた。
ここで闇を自ら招きだしその中に入っていくとしたら……この無の場に死が訪れてしまうのでは?
だがハイネの身体は硬直し耳鳴りすらなく緊張は瞼に集中しもはや閉じるのを待つのみとなっているようであった。
瞼が重くなり徐々に下がっていくのを止めることができずに眼前に闇が迫って来る。激しい瞬きによって闇と光が点滅し意識も散らし、 抵抗むなしく ますます闇を欲するように瞼は半分以上も閉じて行き意識が遠ざかるなか、完全なる闇に覆われ覚悟を決めるその直前に言葉が鳴った。
「申し訳ありません、か。どうも怪しいなこれは」
それから光が現れハイネの瞼は開きヘイムの方へ顔を向けた。だがヘイムは想像通りの姿勢であの手紙に目をやっているばかりであった。
「どうなんだ? 家庭教師ハイネよ。うん?」
また再び耳に生なる音のごとき名も知らぬ鳥の囀りが聴こえ世界に音が戻る感覚の中で呆然としながらハイネは違うことを口にした。
「あのさっきの件のことですが」
「さっきの? ああ婿選定か。それがどうした」
「いえそのご許可の返事を待っていたというか」
「……したけれど聞こえなかったのか?」
なぜ聞こえなかった? いやそうではない。言っていないという可能性だってある。だがそれは……音の戻った世界でハイネはヘイムを見つめるもその顔は俯いたまま全く上げない。手紙を、見ている。執拗に見返している。
こんなに自分が見ているのに何故顔を上げないかと怒りに似た衝動によってハイネは懐から手紙を取り出すとヘイムは分かっていたように顔を上げ、眼を合わせてきた。知っていたぞと言いたげなその目の色にハイネは声が大きくなる。
「ご明察のように手紙はもう一通ございます。これがそうです、どうぞ」




