私はあなたを生贄にする
扉が柔らかい音とともに開きハイネが現れた。龍の間に基本的にはノックせずとも入っても良い数少ない存在の一人、それでもいつもハイネはノックしてから入るのだが、かのソグ撤退戦の功績者が珍しくその権利を行使して入室してきた。
すると途端にヘイムは口をつぐんでさっきの話を打ち切った。
シオンはシオンであの話を続けたくは無かったのでありがたく、その理由を尋ねることなくそこで終わった。
どうでもいい話だから助かったとしかシオンは感じず、入れ替わるようにして心の底から起き上がって湧いてくるのは先ほどのあのことであった。
だがそれをヘイムの前で蒸し返すのも無意味なことでありハイネの名誉にもかかわることであるのでシオンは黙ることにした。
当然のことだが挨拶のお久しぶりも突っ込まずにそのままにすることとした。そもそもこの集いもただの休憩時間のお喋りのためであり、そう重要なものでもないなとシオンは見なしていたが、過ちでありそのために一手遅れて押し込まれることとなる。他ならぬ自分の愛する後輩に。
「ジーナのことですけどいかがでしたかシオン様?」
言葉が真っ直ぐに来すぎたためにかえってかすらずにシオンの頭の回転を作動させなかった。
入り身のように懐に入られそのまま体を通り抜けられたような、無の感覚。
「あのことですよ。ジーナと私の関係についての話し合いのあとのことです。彼がどうしても表彰式に出たくないからシオン様が説得に行かれまして」
関係についての話し合いのあととわざわざここで強調する必要はどこにあったのだろうかと、ようやく動き出したシオンの思考の歯車が回りだした。
ここには私とヘイムしかないというのに今日は妙に回りくどいですねこの子は、とシオンは観察し始める。
近づいて席に座るのでその顔を見ると生気に満ち溢れているというか、気合いが入っているというか、とにかくだらけることを目的としたこの場にはまず相応しくない雰囲気なためにシオンがたじろぐも答えた。
「あっはいその件でしたら解決しましたよ。あれではあなたが手こずるでしょうけど、あの手この手を使ってなんとか出席させることができましたよ」
「さすがはシオン様。ありがとうございます。彼が出席してくれて私はとても嬉しいです」
ごく自然にシオンが微笑みながら言うもハイネはその嘘っぽさに冷や汗をかいた。どこに嘘があるのかは分かってはいたが、ここまであからさまな嘘を吐く必要はあるのだろうかと?
いくらヘイムが眼の前にいるとしても、どうして?
「妾の名を使ったらすぐに動いたそうだなシオン」
今度は上座から声が降った。えっなにその言葉と声は? さっきまであんなにグチグチと嫌がっていたのになにその落ち着いた声は? とシオンの頭はこっちでも混乱しだした。
「それはすごい。まぁ龍身様のお名前を出したからには彼だって従わざるを得ませんからね」
「龍身の名ではないよなシオン」
話を振られるやいきなり三本の光線に貫かれたとシオンは体感する。
斜め右からヘイムの右眼から一本、正面からハイネの両目から放たれた二本、と視線が集中した。
この視線の意味とはなんだ? 二人は何を求めている? シオンは不可思議な闇の中へ引き摺り込まれていると感じながらもそちらへ向かって行く、その沼へ。
「彼に龍身様と持ち出しても効かないのでここではヘイム様の名を使いましたね。でも、あのねあなたはそのことで文句をさっき私に」
「あれは戯れだ。お前は実にいい仕事をしたぞ。妾の名に力があるのならいくらでも使え。あれはわがままで人の言うことをロクに聞かぬからな」
言葉を遮り声をいつもよりも一段張り上げながらヘイムが話だした。このような話し方をヘイムは普段しないというのに。
「ハイネもあれには苦労したであろう」
労いつつもヘイムは顔を横には向けなかった。
「いやそれほどでも。彼はそこまでわがままではないと思いますし」
ハイネもまた顔を前に向けたまま話だしその声には感情はこもってはいなかった。なんだこの会話は、とシオンはこの異様な雰囲気に首を捻る。二人とも自分を見ながら違う人と会話をしている?
今日の私はどこか変なのか、それともひときわ目を惹く美しさなのか、と悲観と楽観が入り混じったことを思いながらも、シオンは休憩中だが話題に出たことだしこうなったからには仕事の話をすることにした。
それが如何に危険なことであるのかを気づかずに。
「まっ折角ですしあの件を片付けましょうか。ジーナのことですが結論から言いますと彼は表彰式に出るためにヘイム様に御詫び状、これは龍の護衛を任期前に辞任、というか勝手に辞めてしまったことに対する謝罪を文書にして、こちらに届け内容によって出席を決定する、そういうこととなりました」
ハイネの両の眼が瞬きもせずにこちらを見ておりシオンはなんとか目を逸らさずにつっかえることなく言い切った。
「御詫び状ですか……しかし彼はあのことについてそこまで悩んでいたという風には」
「会わせる顔が無いと頻りに言っていたそうだなのぉシオン」
「その一点張りでしたね。だからこちらはヘイム様のお名前を持ち出さざるをなくなりましてね。私だって何も好き好んでこのような手段を使ったわけでは」
そう答えるとハイネが一度瞬きをしたかと思ったら開くとその眼は小さな光を放っていた。
「なるほど。それならヘイム様のお名前を出さざるを得ませんね。もぉシオン様ったら上手いんだからそういうのを方便というのですよね?」
「うん? まぁそうですけど」
どうしてだか急に生き生きとしだしたハイネを見てシオンは少し怒りに火が点き出した。




