豆で気絶するシオン
車輪が跳ねたせいで馬車が大きく上下運動をした。大きめの石を踏んだのか段差が激しかったのかは不明。
そのせいで馬車の中にいる女官は悲鳴をあげ転んでいるなかで二人の女は姿勢を崩さず対峙したままでにいた。
右目を閉じ瞑想に耽るヘイムと炒り豆をひたすらに齧り続けるシオン。
二人の女は女官たちの動揺などには目を向けず耳も傾けずに己の世界に閉じこもっていた。
長年連れ添って来た夫婦のような関係でもあるヘイムとシオンの間には、二人だけにしか知らずに通じないルールというものがいくつかある。
どれも他愛のないものであるも話合いをして生まれたものや自然の習慣が生み出したものもあり、それがいつ始まったのかは記憶が朧げになるも、どれも破られたことは一度としてもなかった。
この今の状況もその二人の関係から生まれたものでありシオンは忌々しそうに目を細め睨み付け際限なく干し豆を食べている。
ルールというものは豆袋を手にしている時のシオンには話しかけない、というものでは決してなく、睡眠時以外の時にうつむき瞼を閉じている状態のヘイムに話しかけてはならない、これである。
いわば会話の拒絶を示したものであるためにシオンは苦々しい気持ちでその瞼が上がるのを待つほかない、豆でも齧っている他ない。普段のヘイムは決してこういうことはしない。疲れている時でもいかなる時でも人を前にしている時に微睡むなどするはずもない。
するとしたらそれはそうこのシオンの前ぐらいであり二人の関係であればこそ起こる珍事であり、女官たちも異変を察して緊張した面持ちで待機していた。
気に喰わない、とシオンは豆を喰らいながらこの一念だけが頭が一杯であった。馬車内では不自然なほどに豆が砕ける音が断続的に響いている。
いや響かせている、シオンが意図的に豆を粉砕させ音を立てているのだ。
聞こえている癖に目を開けないなんて……ちょっとなんなんですかね、とこれはシオンにとっての声を出す代わりの催促であった。もういい加減にそれをやめてというメッセージ、二人だけにしか分からない合図。
こういう状態は、とシオンは記憶を探り思い出そうとする。そうだ私はヘイムの昔話を思い出さなくてはならない。
最近では龍身化の影響によってヘイムという存在を巡る記憶障害が起こるも、シオンの心の中は未だにその影響をあまり受けることは無く記憶を取り出すことができた。
前回を思い出すと昔も昔、戦争前のあの恋人たちとの遊びの際に起こったひと悶着で、当時ヘイムがお気に入りだった青年が他の女と仲が良くなっていると知った時にこうやって瞼を閉じて何も聞きたくない時に……
でも今はそんな時じゃない、とシオンはその記憶を奥に仕舞い込んだ。これは違う件による違う何かである。
それはひょっとして私自身が原因では? とここでようやくシオンは普通の人らしい思考の地点へと到達し口の中が乾きを覚えた。焦ると喉が乾く、そんな体質。
最近……そうだ私はヘイムに無理をさせているのかもしれない。ここのところの公務で忙しい中であっても彼女は私に文句一つ吐いていない。これも珍しいことだ。いつもなら私に対して愚痴の一つや二つ、いいや百つを投げかけてくるのが普通であるのに、一つもなかった。
もしかしてこれは抗議だったのでは? もはや私は愚痴を吐くにも値しない人物であるということで。
そう思うとシオンは息苦しくなり胸が痛みだしたが、閃光が走るように記憶の棚が突然開き、ある景色が眼前へと浮かんだ。「私に話しかけないでシオン」「お姉さんでしょ」とシオンはその時に返した言葉を心の中で呟き少女時代のヘイムの姿を見つめていた。
「明日すごく楽しみなの、それを想像しながらこうやっている時がすごく楽しいの。だからね、こういう時の私には話しかけないでね」
うむ、記憶が見事に再生されたのは良いがこれもあまりあり得ないのでは、とシオンは箪笥の棚を押し戻し記憶に封をした。
このあとそこまで楽しい事があるというのか、と。それはいまここにいるとき、つまりは公務から解放されているこの時が既に楽しい時なのでは? しかしヘイムはそれをこうやって放棄し想像の世界で遊んでいる。心を高揚させながら一人で遠くへと。
シオンは今度は腹が立ってきた。一人でどこに行っているのやらと、それは自分よりも大切な何かであり独り占めするなにかであり、そうしてその腹を探られたくないばかりに瞼を閉じ半分眠ってこちらを拒否しているとは、気に喰わない、だから豆を食う。そうだ投げつける代わりに豆を食べるのだ。
しかし両案を出したものの、このうちのどちらだ? とシオンは息苦しくなりながら考える。
どちらでもなくその両方だとしたら……なんて苦しいことを考えるのだと自分に言いきかせているとシオンは随分と息苦しさを覚えて来て、手の豆袋を落した。あれ? 私はなにかに閃いた? ヘウレーカしちゃった?
その音に驚いたのかヘイムの瞼が開き呆然としながら見ている姿をシオンは斜めの角度から見つめた。どうしてヘイムは反転しているのだろう、床が目の前にあるのだろう?
「おいどうしたシオン! あっ水だ水! 早く水を出せ」
大慌てのヘイムの声を聴きながらシオンはどこか安堵感を覚えそのまま意識が闇の底へと沈んでいった。




