無関心になってもらいたい
「ハイネ君はジーナ君に無関心ではありませんよね?」
ちょっとルーゲンが顔を離しながら聞いてきた。その動きにジーナは全然不快感がなかった。
「無関心になって欲しいです」
「毛嫌いされてもいないですよね? 婦人にありがちな生理的嫌悪感に晒されたり距離を置かれたり存在の認知を受けなかったり」
「そんな人があんな行動的になりませんって。彼女は昔から距離感がおかしいし近づき過ぎですが、文句は言われますが嫌われているとはあまり」
「まぁまぁそこは大丈夫です。別にハイネ君はジーナ君に関心がなかったり嫌っているわけではない、とご理解いただけますか?」
まぁそうだなとジーナは思うと同時に胸騒ぎがしてきた、このままだとなにかやられてしまうと、認めてはいけないものを認めてしまうと、それは、よくない事なのに……禁じられていることで……なにによって?
「普通はですね。その二つの状態でないものを好かれているというのですよ」
「お言葉ですがそれは極端では?」
もう一歩遠ざかるルーゲンに対してジーナは反論するが師の立てられた人差し指一つで地に伏せられる。
「ジーナ君。もっとね、シンプルに行こう。そちらの抑圧的な慣習かもしれないけれど人情というものはもっと自然らしく簡単なものです。好意には段階があります。第一段階は第一印象ですけれど君とハイネ君の出会いは、険悪ではありませんでしたよね?」
そこを思い出すと額にあの時の痛みが鈍く走る。いま思うとあの時からハイネは頭の調子がおかしい女だったと。
あの一撃で頭が自分の頭はおかしくなったのでは? そのあとの頭突きでハイネは頭がおかしくなったのでは?
全ては、とジーナはあの扉に手を付けたことがこの結果を招いたと今でも信じていた。
「悪くはなかったと思います。でも女というかハイネは誰に対しても愛想は良いはずですし、それと私みたいな正体不明な男に警戒するためにそうしたとも考えられますけれど」
「第一印象で悪感情を抱いたら間違いなく距離を置いてきますよ。そう君は誰が見てもすぐさま力が強い男だとわかりますからね。警戒心が生まれたのなら絶対に近寄りません。でも第二段階である今もこうして一緒にいる。印象が良かったのですよ、最初の頃からずっとね」
ルーゲンは組んだ両手の絡めて指の上に顎を乗せた。そこに乗る顔を見てジーナは思う。
男なのになんてきれいな顔をしているのかと。整って美しく、妖しくて、魔の色が、不自然さがそこにあって。
「ハイネさんは男友達が多いのでその関係もあるのでは。もしくは同僚として」
「フフッ、ハイネ君の男友達ねぇ。あの中から彼女の恋人になるものはいないよ。あれはそういう関係で、間違いないと言っていい。でもこのことは彼女に言っては駄目だよ。事情を知っているのは一部のもので僕がバラしたと分かってしまうからね」
それはなぜだと疑問に思うもすぐに打ち消した。そんなハイネのプライベートが気になるだなんて、それこそ何よりの証拠だと突っ込んだらルーゲン師に組まれてしまうと直観したためにジーナはその話題から離れた。
「それでも他の人だっているでしょ。彼女は貴族で女官で社会的地位が高いのだから家柄があう誰かが」
「えっとそんな素敵な男はどこに……あっここにいましたね」
爽やかな笑顔でルーゲンが目を合わせて来るがジーナは逸らした。あんな笑顔のあの眼は見るとまずいものであると。
「焦り過ぎです。僕が言っているのは結婚の話ではありませんよ。人の好悪の話ですからね。だからほらこっちを見てくださいよ」
そうだ焦り過ぎだ。何もルーゲン師はハイネと結婚しろだなんて言っていない。それなのに家柄とか愚にもつかないことを言ってジーナは恥をかいた思いでいっぱいだった。しかも相手があのルーゲン師ということもあって苦しげに時間をかけて顔を前に戻し、
相手の目に合わせるその間にルーゲンは急かしたりもせずに笑顔のまま待っていた。
「気にしなくていいですからね。それで今もこうして一生懸命に頑張っている彼女のことですけど、ここまでの確認によってハイネ君は君に好意を抱いている。これは認めて頂けますね」
これ以上の恥は避けようとジーナは降参した。はじめから勝ち目などはなかったが。
「何を言っているのか分かり難いですが、そう言われるのならそうでしょうね。はい、客観的な事実であるのなら認知する他ありません。分かりました。辛いですがひとまず認めましょう」
答えるとルーゲンの表情がクシャッと潰れて弾け笑顔と笑い声が響いた。
「何とも奇妙な受け入れ方を。もっとも君がそうやって無駄な抵抗をしてもね、ハイネ君はハイネ君で君の心はきちんと認知はしているよ」
「そんな馬鹿な」
何を認知しているのだと反発心で以ってジーナは立ち上がるとルーゲンも同じく立ちだした。
「そんな馬鹿なと言えば、事実が裏返るというつもりはありませんよね?」
「そういうつもりはない。だけども自分は違う。自分の心は自分が誰よりも知っている、だから、分かるはずが……」
……本当に? ジーナがそう思うと
「本当にそうですか?」
同時にルーゲンが同じことを言いジーナが放心状態となるとその肩に手が乗せられ、ルーゲンが腰を降ろし始めジーナも共に降ろしだし、座る。
ルーゲンはさっき変わらぬリラックスした体勢をとった。
「難しい事ではありませんよ。ジーナ君はハイネ君のことに関心はないのですか? いてもいなくても気にしない存在?」
「そんなことありません。現にこの部屋にいるときは彼女のことで頭が一杯で……いやそれはその、プレッシャー的なものでしてね」
「分かってます分かっています。そのプレッシャーですが、不快ではありませんよね」
「不快というかキツいというか、ちょっと私にはこの二つの感情を上手く分類できるほど器用で無いのでちょっと」
「いいのですよそれはそれで。ただ彼女が苦しんでいたり辛そうでいたりしたら、君は嫌ですよね」
「嫌です」
即座に言うと、胸の奥に火が灯ったような熱を感じた。
その位置はまるで自分が今まで知らなかった体の一部分のようでありルーゲンの笑みが深みを増しているように見えた。
「しかしそれはどの他人に対しても同じものではないのですか」
「不快で嫌いな人が苦しんでいたら人は喜ぶものですよ。線引きはそこでいいと思います。僕はこのことをいけないことだと言いたいのではなく、人とはそういう感情があると認識することが大事だということです」
ルーゲンはまた額をつくかつかないかの位置に顔を乗り出しジーナの鼻に息がかかるなかジーナはいま胸の熱の位置を探ってもいた。
「だからジーナ君。繰り返しになるけどもっとシンプルに行こう。君は難しく考えすぎだ。いつもは単純明快で真っ直ぐだというのに。その一直線な強さを得る代償が迷宮じみた複雑怪奇な思考回路なのかな? そこまで好悪の心について拗らせているのを聞くと、なんだか君は婦人を想うことが罪だと思っているみたいだね」
ジーナは意味不明な言葉によって胸の奥に痛みが生まれた。