彼女はあなたのことが好きですよ
安堵の息で以って飛ぶがが如くにジーナは扉の前に立ち開くと紛れもなくルーゲン師がそこにいて喜色満面で出迎えた。
「おや? 僕が来たことがそんなに嬉しいのですか? それならこちらはもっと嬉しいのですけど」
「いやいやいや私の方が絶対に嬉しいですって。ささこちらにどうぞ」
ルーゲン師ならハイネも追いだすことなどできないし休み時間も増えると丁重に席に勧め自身も座った。
「ここに来る途中でアル君から聞きましたよ。凄い量の勉強をしているようですね」
「拷問と同じです。逃げ出したいくらいですよ」
「それはいいですね。バルツ将軍にジーナ君には勉強をさせるのが一番効くと教えましょうか」
「勘弁してください。それとハイネ並に監視して強制できる先生は他にはいませんから駄目でしょうね」
自棄みたいにジーナが声をあげて笑うとルーゲンも笑い立ち上がり机の上の書き上げた文章を点検しだした。
「うん。とてもいいね。ハイネ君もジーナ君は頑張っているよ。上達が一目で分かる」
「私は自分のことですから頑張るのは当然ですがハイネは他人のことですからね。よくあそこまで頑張れるもので」
しかもこちらからは何も与えずにいるのにあんなに楽しそうにやっていて……
「でも少し暴走気味で君も疲れていましょう。正直迷惑ですか? そうであるのなら僕から何か言いましょうか?」
ルーゲンの左右非対称な眼がジーナを冷たく捕え縛る。それは自分の中の何かを見極めるような無機質な光を放つ目であった。
「いや、いいです」
その光に抗うようにジーナは反射的に答える。
「こちらからは一切そこまで頼んでいないけれども、ここまでやってもらえるのなら、限界まで応えるつもりです。実際に辛いがありがたいし、こうしてルーゲン師からもお褒めの言葉をいただきましたしね」
ルーゲンの瞳から冷たい光は消えいつもの熱のある光がこちらを見つめるようになった。
「ハイネ君の全力を受けて根を上げないなんてやはり君は強い男だ。君とハイネ君は相性がよさそうだね」
「どこがです? あっちはすぐに怒るしこっちはなんで怒っているのか分からないことばかりですよ」
苦々しく言うとに大きい笑い声が部屋に響いた。
「そういうのを相性が良いと言うのですよ。怒り合ってもそのあとは大して引き摺らずにこうして共同作業ができる。喧嘩は問題ではないのです。あれは人間が二人いれば必ず発生する事故ですし、問題はその後にどうするのかが肝心なことですよ」
そういえば自分はそこは全然に引き摺らないなとジーナは思った。
昔からもソグに来てもあの人と何があってもまたハイネと何があっても……とジーナは慌てて額を叩いた。そこにハイネをどうして入れるのかと。
「彼女はあなたのことが好きですよ」
額を叩いたら出てきたかと思うぐらいの距離にルーゲンの顔が現れる。それこそ額が触れる距離に微動だにせずにそこにあった。
「何を言うのですか?」
「その当の本人であるあなたも彼女のことが好きなことに、気づいていますか?」
「……何を言っているのです?」
「間が生まれましたね」
生まれた、とジーナは今の間について息を呑んだ。無意識から生まれたそれは、自身への疑問にもなった。
ルーゲン師は何を言っているのだろう? いま、何を言ったのだろう? 自分はいま、なにを思っているのか?
しかし言葉や思考が遠ざかり不明瞭なまま心の宙に散らばりそのまま消え去った。