『私である理由は、やはりありません』
東の言葉は難しいなと意味が分からず返事をせずにいると今度はバルツが告げた。
「お前は龍のために無限の献身を捧げ戦ったものの代表だ。この推挙はその精神と行為に対する当然の結果だ。驚くのも無理はない。お前は自分みたいな無信仰者がそんな大役を? と思っているだろうが、それはただの知識の問題だ。知らない、ただそれだけだ」
「ジーナ君それについてはこの僕が」
ますます意味不明な状況であるために男は自然と不動の姿勢となり全身が痺れ指一本動かせぬために、目玉だけをルーゲンに向けるといつものように爽やかに微笑んでいた。どうしてかその表情が、忌々しく思えた。
「知識については僕が講義を聞けば問題はないでしょう。戦場における行動に精神と龍についての知識の二つがあればあなたに欠点はございません。非の打ち所がない戦士に、そう『龍の護衛』にこれ以上に無く相応しい存在となるでしょう」
異議なしというようにゆっくりと頷くバルツを視界に入れながら男は首が縦には動かなかった。それどころか舌がもつれうまく言葉が出ない。掠れた声が静かな部屋の秩序を乱す雑音となって汚す。二人は返事を待つがどうも様子がおかしいので近寄ってくると、ようやく口が開き舌が動きだしために男は、妙な声で尋ねた。
「どうして、私なの、ですか。いや、駄目です私では、絶対に駄目です」
「どうしてって、将来的なことを考えたらお前がこの役に相応しいからだ」
脱力から崩れ落ちそうな身体を後ろから支えたのはルーゲンであった。男は声を掛けられるも言葉は耳には入らずにただ自分の言葉を発しようとしていた。
「私であったら駄目だ。私は有り得ません」
心の中でその言葉は叫びとなって反響している。大きく思えば思うほど反響は大きくなりそれが口の中に届き、外に漏れ、世界に飛び出て、自分の意識を、架せられた使命を守るためのものとなるように、それから声が出た。
新しい世界に対し生まれ落ちることに対して嘆きの産声をあげるように。
「私である理由は、やはりありません」
自分で声を出しながら闇の中でジーナは目を覚ました。まだ明けぬ夜の時、星が空に煌めきを見ながらジーナは夢を思う。
夢というよりかは記憶を走馬灯を巡らせるとジーナは皮肉なものだと顔を歪ませ自嘲する。よりによってこの自分が龍の護衛になるだなんて。この世で最も相応しくないものが、なるとは。
あれから抵抗虚しく結局は龍の館へ赴き、ハイネに導かれあの扉を開いた。一目見て、とジーナはいつも避け続けてきた考えから逃げずに真正面から挑んだ。
ヘイム様は、ヘイムは、あの女の龍というものは……あの毒龍なのではないかという疑惑。そうだとしたら、とジーナは自分の両手を闇の中で開きながら睨み、それから強く握った。
自分はあの龍のために命を賭けて戦い続けたということに……いや違うな、とジーナはあっさり首を振った。
龍のために一度も戦ったことなどなく、ここまでの戦いは中央の龍を倒すためのものであると。それがいま着実に進んでいてなんの心配もいらないと。中央の龍を討ちそれからあの龍身が龍となったら、討つ。
はじめからこうであり、今のところは何も支障はないはずだ。そう考えると左頬が熱くなり、なにかを伝えに来た。
その心が何であろうかはジーナには明白であった。
『そうは言うけど、君はこちらの龍を、討てるのかい?』
気づけば瞼を閉じ声が聞こえていた。自分が間違えている時にだけ現れるあの声が。正しきものの声が。そうだ、とまたジーナは思い出す。印を刻まれてから自分はこの声を一切聞かなかったと。それどころかあの存在すら忘れていたと。
それは当然のことであった。
「私は僕はジーナなのだから」
一つの魂であるのだから、分離などせずに声など聞こえない。聞こえるのはその使命から離れた時、つまりはあの人を、ヘイムを思う時にこの一つの魂がずれる。
何故だろう? ジーナはそのことについては深くは考えずに記憶の奥へ行く。
見た瞬間に毒龍の可能性への疑惑で目を逸らしたのをあの人は見逃さずに揺さぶり挑発を掛けてきた。
それどころか龍を討つものであるとも質問してきた。あれは言葉の綾か? それとも知っているのか? だが分かっているのならその後のことを不問し、いまも何の問題にもしていないのは、いったいどうしてだ?
毒龍が取り憑いているのなら、私のことはすぐに分かるはずだ。あの時のやり取りだってそうだという感じだった。
その眼その指その脚はこの私の手によって傷つけられた痕、私が龍に掛けた殺意と、あなたに掛けた呪い。
そうであると思っていたのに、あの人は一切そのことを掘り返さずに次の日も同じに過ごした。よって違うのでは? 毒龍ではなく、この地にはじめからいた龍であるのなら?
全てのやり取りが勘違いと違う何かであるとしたら……それが本当であったのなら、私はこの手に掛けなくて、済むのでは?
そう思いながらジーナは耳を澄ましどこかから届く声に耳を傾けたが、声はなにも返ってこず耳に入るのは夜の闇の音、朝が近づく音、迫りくる光の予兆の音だけであった。
今日となる明日が始まる。
ここで過去編は終わります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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