『お前は何か望むものはないのか?』
ソグ山の決戦は明朝から始まった。推定時間よりも早い敵襲の報に陣営は浮き足立った。
「どうやら敵軍は休まずにそのまま突っ込んでくるようだ」
「吹雪が来る前に一気に片を付ける気か」
「まずいぞ。少しでも時間を伸ばしたいというのに」
空から儚げな粉雪のみが降り続けとてもじゃないがこれから吹雪が訪れる雰囲気ではなかった。
そんな中においてバルツは報告に泰然とし全部隊に指示を出し布陣を命じた。男の隊は龍旗を手に最前線に立つ。前方には誰もいない、誰の背中も見えない、最も龍に近い場所。自分が立つ場所。
「アル! 死んだとしても旗だけは絶対に手離すな」
雪崩を起こすかのような返事をしは両脇の兵に声を掛ける。
「いつも通りだブリアンにノイス。俺が先頭で敵に突っ込み二人がフォローで他のみんなで左右後ろで戦ってくれ。前方は止まらない、一気に果てまで駆け抜ける、この気合いで自らの命を切り開いていくぞ」
男の指示に隊員達は唾を呑み込み首を素早く縦に振る。その声を聞けば勝てると思うように。その言葉に従えば命が助かるものと思うように、この男の後ろで戦えば自らの罪が許されるように、それはたとえ途中で倒れ伏したとしても罪は浄化される。
「バルツ将軍は念を押して申された。龍旗を戴くこの隊の戦いは龍の加護があり、また恩寵も厚いと。敵に討ち取られたとしても、俺はその者の戦いと貢献を決して忘れずに報告する」
救いが必ずあると。この人が現れて以来、刹那主義的であった隊の色が変わった。戦いのなかにこそが救いであるとする男の活躍に影響され、積極的に戦い自分達の罪が確かに日々薄れ清められていく恍惚感によって。
後退戦の早い段階で古参隊長の死は男を自動的に隊長の地位にあげ、こうして今では隊は連合の要となりつつあった。
白雪の地平線を見つめながら隊員達は緊張し待機し続ける間に一部のものはいつものことを考えていた。隊長はどのような罪を背負っているのかと。
罪人である隊員達は他者の罪については敏感であり聞かずとも察するものがあった。この誰よりも勇敢に戦い必ず最前線にいる隊長の行動の英雄的行為は罪と背中合わせの自罰的行為とも思えた。
なにもここまで戦わずともと言う行為がいくらでもあり、どれだけ戦っても罪滅ぼしをしたという表情を見せずに、無限の戦いを望み続けるその顔に、隊員達はある意味で畏敬心を抱いていた。この人はいったい何を望んでいるのかと?
誰もがそのことを聞けずにいる中で、その男は誰よりも先に立ち上がり声が上がった。
「来るぞ!」
皆の視線の先、白の地平線、音は雪に吸い込まれ静寂の世界、その男だけにしか聞こえない何かがあり隊員はいつものように駆け出す構えをとる。
この男が、隊長が来ると言ったら、来る。それはいつものことだ。いつだってそうだ。いつだって我々はそれで先手が取れ、いつだって勝ち続けた。
注目の中、男はバルツの剣を抜いた。合図が来ると全隊員が中腰となると同時に男が叫んだ。
「続け!」
男が駆け出しその背を隊員が追いながら今までの言葉を反芻する。
隊長がいつも言うあの、私は死なない、このジーナは死なない、龍以外のなにものにも打ち砕かれない、と。その不敬さと何故か相反せず矛盾もしない敬虔なる言葉の響き。
それは一つの信頼さえも生む、隊長を倒せるとしたらそれは龍のみであるのだろう、そうであるのだから敵など、人間など、恐れるものは何もないと。
宙に白を乱れさせる呼吸音と雪を踏みつける己の足音の他に前方からようやくなにかが迫ってくる音がする。
そう音がしたなと感じるのとほぼ同じタイミングで既に先頭を駆けていた男が飛び宙を斬り白の空間に赤を散らす。偽装の白いマントか。
「旗を振れ!」
そのことで頭が一杯なアルは重圧から解き放たれたように旗を振りだし、もう一つの合図が来る前に全隊員は抜剣し各々に架せられた使命の方向へ構えた。いつものあの言葉が来る。
「我が罪を滅ぼす為に」
男の言葉はいつしか隊全員が詠唱する呪文とも気合いとも祈りとも言える戦いの歌となった。
「龍を討ちに行くぞ!」
金色の光が雪原を照らし、戦いが始まる。この敵先陣の出鼻をくじく末番隊の先制攻撃からソグ山の決戦が始まり、その後の突然の大吹雪によって戦闘はソグ側の完全勝利へと流れていった。
その末番隊はソグ山の戦いまでの戦闘及び『龍戦』の功績により論功筆頭としてその名が知られるようになった。
多くの隊員は罪が恩赦され軽罪のものはそのまま他隊の復帰が認められ、また除隊も一部で認められた。
だがただ一人だけはそのような恩恵に預かれないものもいた。
「ジーナ、お前は何か望むものはないのか?」
龍の血と命以外望まないものが、いる。