『ジーナだ』
首が折れそうなほど見上げ、目に広がるのは天幕の骨と白天井、真っ白となった思考。
静観していた担当官もあまりの要求に何かを言おうとするも言葉を失い口を動かすばかりであった。
男はそれ以上何も付け加えずにバルツの反応を待った。男はこの要求は通ると信じていた。相手は狂信者である普通の思考回路を有してはいない、そうであるのなら……
そのバルツだが、白いどころか透明となった意識の中でどこから聞こえてくる声を頭の中で響かせていた。幻聴というか妄想を聞く。
言い伝えによれば西は無信仰の地である。哀れなる地に哀しむべき民がいる。お前はその地に信仰を広めなくてはならない。ところがいまその地からものがやって来て俺にこう言った、無信仰であることを認めろ、と。
龍よ……バルツが透き通った意識に真っ新な言葉が舞い降りてきた。
『赤子に罪は無い』
そうだこの者は知らないのだけなのだ。龍の偉大さを。生まれてきたばかりのものと同じくただ知らないだけなのだ。
それは無知なるものの罪ではない。教え広めなかったものの罪だ。無信仰を理由に罰するは自分の務めではない、自分の務めとは無信仰者を教え導くことである。
それであればこそ我が信仰は龍に通じ天に通じ、世界の平和は広がっていく。ならばまずはこれぐらい純粋な奴が良い。俺は龍などというものは知らんから無信仰だからな、と。なんとも可愛らしい純真さでないか。
知らない癖に俺に取り入るために心にもなく言葉や形に物だけをもって龍の信仰を持っていますとアピールされたとしたら、善き信仰者になれるわけがない。知らないものは知らない、という態度は智であり美でもある。
赤子も初めは龍のことを知らないではないか! その点こうもはっきりと言うのなら、見込みはある。
それどころか萌芽すら感じられる。現に無信仰であるが龍のために戦うと言っている。これだ、ここからこいつの信仰は始まるのだ。
出世もあろうが自らの栄光と龍の守護という役目の一致は悪い事ではなくむしろ推奨されるべきだ。こいつが最終的に龍の信仰者となり西の地に帰り信仰を広げるとしたら……そのために龍はこの男は西の地からここに召還したのだとしたら。
バルツは天を仰いだまま妄想を拡大させ未来を夢見て、愉悦の中で結論に到達した。一方で担当官はいつまでも仰け反ったままのバルツの異様な姿に焦り、男も余裕がなくなり身構えだした。
もしも見込み違いで激怒されたとしたら……と剣の柄に手を掛けようとすると同時にバルツは顔を元に戻した。
その顔は妄想中のにやけ面ではなく厳粛そのものの面持である。しかしやたらと脂ぎり明るい。火を近づけたら燃え広がりそうである。
「この俺の前で無信仰者であると告げるとはいい度胸をしているな」
「信仰を持っておりますなどと言いましたらあなたは嘘だと見抜くでしょう」
言い返しにバルツは心の中で同意し、気に入った。
「抜かすな。まぁいい、どこの馬の骨だろうが、無信仰者だろうが戦力は欲しいところだ。それが口先が達者な西の男だとしてもな。要望は全て受け入れる。最前線がご希望とのことだが、そうなると配属は末番隊であり別名懲罰隊だ。罪人しかいないが、いいのか?」
「無信仰は罪でしょうか?」
「罪だとする狂信者もいるが、俺は馬鹿は罪ではないぐらいに無信仰も罪ではないと思っている。この俺は許す。流石にここが嫌だと言うのなら一つ前の普通の連隊に配属させてやるが」
男は首を振った。それでは駄目だ、と。龍の討つ位置は、そこではない。
「是非とも罪人連隊に配属いたしてください」
「懲罰隊だ。しかし呆れた前代未聞だぞ。無罪の身でありながらその隊を希望するとは」
無罪? この身のどこに罪が無いと言うのか、と男は思うと同時にもう一つの罪を考える。この国における龍を殺すのは、どれほどの罪なのであろうか?
「是非ともその隊に配属していただきたい」
「まっそこまでお望みなら反対はせん。手続きをしておけ。それはそうとな、お前の名前はなんだ?」
問いを聞くと男の身体は固まり、瞬きすらしなくなり、死が訪れた。
「どうした西からやってきた無信仰者。答えないのならこう呼ぶしかないが、これでは困るだろ。さぁ名乗ってくれ。その自分の名前をな」
意識が暗いところに落ちて行くなかで男は声を思い出した。君は……君は……あの声と言葉から自分の魂には名が刻まれた。
ならばその言葉をそのまま、とはじめて息を吸うように深く吸い、はじめて息を吐くように強く、産声の如く、はじめて目覚める如くに
「ジーナだ」
声量に押されたのか二人が後ずさりをするが構わず、続けた。
「私の名前はジーナだ」
二重の声が頭の中で響き渡らせると同時に使命の叫びが全身を駆け巡り血を熱くさせる。
『私は龍を討つものだ』