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『ジーナは旅立つ』

 声のする方に男は左頬を向けると息を呑む呼吸を感じた。


「ここに刻まれれば俺は忘れない。なにがあっても頬に手を当てれば自分の身体が何のためにあるのかを思い出し、鏡や水面に剣の映る自分の姿を確認するたびに忘れず思い甦る。自分が何であるということを」


 今度は息が静かに吐かれ頬にかかる。女はいま悲しげに微笑んでいるのだろうなと男は想像した。


 昔から自分が見ていないと油断している時は、そういった素の感情を出す奴だったと。


「フッフッいいね。微妙に歪んであまり芳しくない顔が印のおかげで良くなるだろうね。カッコよくなって女の子にモテたらいいね」


 見た目の話になるとすぐに他の女を出してもてないと言い出すのはいったい何故だろうかと結局謎のままだなと男は聞かずに、返した。


「東のものにはこれはただの傷痕にしか見えないだろうから、そんなことを言うのはお前だけだよ」


「勘違いしないでほしいのは君が良いのではなくカッコいいのではなく、印が良いだけだからね。まぁ僕以外の誰に対しても満遍なく優しい君は、女からは好かれないよ」


 また意味の分からないことを。逆を言うな逆をと女が言い間違えたと思いながら男は告げる。


「お前以外から好かれる必要も無かったからそれで良かっただろ」


「底なしの馬鹿だよね。だからこれからその必要が出て来るわけで……では刻むよ」


 腕の中のそれは左手を男の首に掛け心臓に当てていた右手を離し頬を撫でた。冷たさは無く男は自分と同じ熱に触れた感じがした。


「短刀で刻むから決して動かないように。特殊な印となるから刻み終わるまで時間がかかるけれど、その際に呻き声をあげないことはもとより頷きもせず瞼もあけないように、いいね」


 男は頷かず闇の中で女の動きを想像しながら刻まれるのを待った。


 印は、二本の交わらない平行線から始まり、そのうえに文字なのか模様なのか不明なものが覆い被さるものである。


 おそらくその交わらない二本の直線が原型の印であり、そのうえに歴代の後継者たちの言葉か何かが刻まれるのだろう。


 だがその線の意図や模様や文字の意味を男は考えおうとはしない。それはひとつの禁忌であった。


 闇の中で短刀の切っ先が頬に当てられる。男は動きを予想する。二本の平行線を刻む動きを、憧れたあの線を、あの時授けられなかったそれがこうして……


 風が薙ぐようにして一本目の直線が頬を走った。男は痛みよりも恍惚感で心が満たされていくなか、間髪をおかず逆方向から直線が流れ刻まれていく。


 上下に刻まれた決して交わらない平行線。男は血が出ていないということで実感をする。既に発揮されていく印のその効力を。


 それから頬が短刀で二本の線に被らぬように模様が彫られまた文字が刻まれていくのを男は微動だにせずに受け入れていた。


 心中による感動から起こるも震えは身体には現れなかった。また女の指先もとい剣先も一瞬の躊躇もなく機械的に印を刻み上げていく、だが彫り終わり間際に女の手が少し止った。それは完了の合図にはとても思えずに男は動かずにそのまま待った。


 もう終わりであるはずだが、最後の一刀が入るのだろう。重大な仕上げであるなにかが。


 また女は一度息を吸い吐く動きをし息が刻まれ剥き出しとなった頬の肉に生温かくあたる。


 そこまで緊張しながら刻まなくてはならないこととはなんだろう?


 お前が俺にこれ以上の何を刻むのだろうか?


 男は女の心を想像するも、想像は女の心には届かぬまま、女は刻みだした。今までの動きとはまるで違い、勢いも正確さもまるでなく慎重どころか戸惑いや躊躇が入り混じったものを剣先から伝わり、それは知らない文字を初めて書くようなもののようだと男には感じられた。


 およそ彼女には似合わない動き、だけれどたまに自分にだけ見せるその心の弱さを思い出そうとすると剣先が離れ、深い呼吸が終わりを告げているようだった。


「継承の儀はこれにて完了だ……かっこいいよ」


「ありがとう。お前も綺麗だな」


「ちっとも嬉しくないよ」

「俺は嬉しいけどな」

「嬉がっても困るけどね」


 女が笑い出した。今までとは違う笑い声に男には聞こえた。印による加護が弱まったのだろう。


「平行線だ……」


 それが合図というように男は円となっていた腕を解除する。


「僕から君へはこれのみだ。これ以外には何も無い。あとは全てをツィロへ、何もかもをツィロへと捧げる。記憶も命もね。だから行こうか……こっちに来て」


 男は闇の中へ向けて言葉を呪文を唱えた。


「ジーナは行く」

「そうだよ龍と戦うために」

「ジーナは旅立つ」

「龍を討つために」

「だからあの龍との戦いで敗れて毒によって死にはしない」

「そうだよ、だから……きて」


 男の両の手は闇へと伸びた。

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