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『頬に印を』

 男の脳内に刻まれた習慣が掟がその意味を示す。


『龍を追うことが不可能となるのならば、代理を立て印を預け、その者に龍を討たせよ。』


 女はいま、その特例措置を発動させようとしているのだろう。だが、それは、その条件に該当するものは。


「細かい規則によって使命に支障を来たすことがあってはならない。君が一族から離脱したものであるのがなんだ。きみは……私の義兄だ。永遠の兄妹であり、共に使命のために命を捧げられるものだ。それに実際問題として砂漠を越えられ東の言葉を使えるという条件に該当するものは村にはいない。その強さも含めてね。私の次は君以外にいないのだよ。それは、君が誰よりもよく自覚しているだろう」


 だが、それは、お前が……と男は女の口調が初めて改まったことに気付いて、どうしてか声を出さずに薄笑いを浮かべた。想像も出来なかった非現実的な出来事に対して笑えば、消えるとでも思ったのか。シムに対して怒声を上げた時のように


「……見えないけど、伝わるよ」


 闇の先から軽い、軽くしようと努めている声が男の耳に届いた。


「戸惑っている様子だよね? それはそうだよなだってこの僕が君を選択するだなんて。フッフッフッ……アハハッ驚いただろ? 僕は……私はこういう人間なんだよ」


 虚無的な笑い声が放たれ室内の闇に撥ねまわり、どこにも落ち着かない。それはその言葉が偽りであるからだと男はすぐに思った。


 そうじゃない、お前はそういう人間ではないと、男は思うも女は届いているであろうその心を無視し、知らない笑い声を続けた。


「結局はこうなる。こういう選択をする。私はこんなことをする。そういうことなんだよ。皮肉だね。業を背負わせたくなかった私が……僕がよりによって君に……君に……誰よりも強い業を……背負わせて……ごめ」


「――!」


 返事は女の名であり、最後の言葉を被せて消すために男は叫び瞼を閉じ闇の中へと進んだ。


 これなら到達できるはずだと男は直感のもと行った。何も見なくていい、見えているんだ、それはあれと同じことだ。


 二人の間にある数歩ほどの距離の間に男はもう決めていた。お前の謝罪も涙も俺は受けない、お前の心と死も受けない、受け取るものはただ一つのものであると闇の中で屈み腕を広げ闇を抱く。


 誤りなく見えずとも見ずともそこにはよく知るものの輪郭と体温がそこにあった。その小さく弱くなりつつある身体のその魂の音を聞いた。


「俺は背負うんじゃない。こうする、あの時のように、こうしてその名を受ける。お前なら分かるだろ。こうすれば俺は絶対に落したり無くしたり諦めたりしないということが」


 女から返事はないものの男は耳に微かな呼吸音が聞こえた。それは長く息を吸い込む音であり二度吸い二度吐いた。


 同じ時間をかけて、何かを確かめるように、最後の呼吸のごとくに。


「君は僕が離してと言っても離さない男だとは知っているよ。あの時何度も何度もそう思ったのに、君は離さなかった。そうだよ君は本当は分かっている癖に分からないように考えていつも僕の心を無視する、いつもだ」


 男は腕の中にいる女が自分の心臓の位置に手を置くのが分かった。その強く押し手は心臓に命に届くように中に入っていく感覚の中で女の言葉が直接心を打ちに来た。


「嫌いだ。僕は君のことを憎んでいる。僕が世界で唯一憎んだ男だ。けれども信頼はしている。心の底から信じている」


 男が打ち付けて来る言葉によって高鳴る鼓動を聞いていると女が不審げな声をあげた。


「なに笑ってんの?」


 笑っている? 男には自覚が無かった。


「見えないのに?」


「それぐらい分かるよ」


 女の返事を聞くと男は頭の中ですぐに女の顔が思い浮かんだ。


「だったらそっちも笑っているよ」


「見えていない癖に?」


「それぐらい分かる」


「なんにもわからない癖に」


 応えると今度こそ自分が笑っていることが言われずとも分かった。


「その笑いは自惚れそれとも自嘲から?」


「いや分からない」


「もし僕が笑っているのならそれは呆れからだろうな。君に僕に対して、だ……印を刻もうか。だから手を」


 女がそういうも男は腕を緩めず離さずにいた。


「聞こえなかった?」


「印を刻まれるまで離さない」


「何を言っているの?」


「このままでいい」


「馬鹿だけど馬鹿なの?」


「頬に印を刻んでくれ」



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