『それは今となり終わりとなる』
いつものように女が語り続け男が書き続ける。女が促すと男も語りだす。その時のことを、その時の心を。
「呪われた身は時が止まったかのように僕の前に立っていた。その眼は印のほうにしか向いていなかった」
女の口から自分の名が久しぶりに出てきたと男は気づいた。夕日の時以来、約三年ぶりに女は男のことを口にした。
ただしそれは自分の本名ではなかった。
「呪われた身は死を望んでいた。口ではなく瞳がそう言っているから僕は思い出した。檻に閉じ込められたそんな君を救い解放したかった、と。だから僕は手に力を入れて……」
女の物語はアリバたちを村へ案内し武器を受け取ったところまで続き、龍の襲来へと向かった。
「古老も言っていた、過去に類を見ないことだと」
二頭の、その後三頭だと発覚する龍の同時侵攻。眷属との戦いに追跡それから待ち伏せ。
「呪われた身が現れ敵がもう一頭増えたのかと僕には思えた。構え剣を抜きまた切っ先をその首に当てた時に僕は今一度確信する。僕の手で呪いを解き放つしかないのだと。僕たちはそういう関係であったのだと」
男もまた再び二人の関係について考えだした。印によって翻弄された二人のこれまでを。その分岐を喪失を。けれども今はこうして呪いから解放された。されたはずである。あの時から。
「龍に噛まれた瞬間は痛みよりも先に、死を感じた。即効性の痺れもあるのか印の力を以てしても身動きが封じられ瞼が開かなくなる闇のなか、僕は雄叫びを遠くから聞きながら龍の口から解放された。それはその呪われたものの消滅も意味した。僕は聞いた、ジーナは死んではならない、と。それは僕の生きる意味ともなった」
語りから女ははじめからずっと起きていたことが男には分かった。
「抱えられている最中にそういえば彼はこうやって得意そうに僕を持ち上げるのが好きだったなと思い出した。でも僕は君のこういう相手の感情をあまり考えずに行う独占的な行為があまり好きではなかった。だからね君は気を付けた方が良い。君のそういう感情と行為が良いと感じちゃう変な女と将来出会うかもしれないけど、それは絶対に感情がおかしくて危険な女だからそんなのとは出来る限り避けて貰いたい」
「あの、いまのそれは書いた方が良いのか?」
慌てて男が聞くと笑い声が起きた。それもまた得意げな響きで。
「あたりまえだろ書いてよ。後でツィロも読むんだからさ。彼も僕の意見に賛成してくれるはずだよ。君はなまじっか力があるからそうやって俺は力があるんだぜと自慢しているけど、そういうマッチョ信仰的なものは良くないからね。それが好きな女もロクなのがいないよ。ついでに言うと箱の中に入れてくれた君の上着は足元に配置しなおしたからね。これは別に君が臭いとかじゃなくて汗だくで冷たいうえに龍の血がついているから不快だなと感じただけで」
「臭いと言っているのとあまり変わらないのでは?」
「だから言ってないって」
臭いんだが不快なんだがわけのわからないことを言うものだなと男は思っていると、妙な沈黙がちょっと生まれたと感じると女が言った。
「今のは、書かないでいいや。えーとその先は僕は眠っちゃったんだよな。フッフッいまも半分寝ているようなものだから同じなんだけど。次はしばらく君が話してくれないか。君の話を主流にして僕の言葉を時折混ぜて合流と行こう。ここまでね」
男は語るも女は黙りつづけていた。そう黙るしかないのだと男は分かっていた。毒による異変を自ら切り出せないのだから。
「俺は手の痛みと共に――の物語を書き出した。これは彼女にとってのただの退屈しのぎであり、もしかして自分にとっては二人の間には過去しか語り合うことしかないのかもしれないと、たまに思ったりもした。未来のことについてはツィロとだけ語りたいのかもしれない。それこそ明日の夕飯のことも含めて」
小さな笑い声が聞こえたが何が面白いのか男には分からずとも反応があったことは嬉しかった。それでも女は何も言わずに男の話の続きを待っている。
これまでとは逆に女が自分の話を優先的に喋ってから聞くのとは違う。話はもうこの間になり昨日になり今日になりさっきになりそして今となり、終わるとなる。
終わり?
俺は何を言っているのだ? 男は自分の言葉に恐怖を覚え首を振った。どこにも終わりなどなく、ここで終わるはずはなく、ジーナが旅立たずに終わることなど絶対に有り得ずに。
「――? どうしたんだい。言葉を止めないでくれよ。止めないで続けて……僕にはもう……」
時間が無い、と女が言わない、言えない言葉を男は聞くと口が動き出した。
「腕は一日中痛むが痛まない時間というものがある。今この瞬間がその唯一のものだった。どうしていかというとたぶん動かしているからという理由と、語りを聞くことが好きだからかもしれない。たまに自分を腐す告白も出て来て怒りや悲しみは覚えるも、どうしてか嫌悪感までには至らなかった」
語れば語るほどにルーティンワーク化された日々であったと男は確認をする。薬草を作り仕事である商売のため働き夕方になればここに来て語り聞き書きとめ夜となり眠り一日が終わる。
「ここに連れてきた初日のような焦りや緊張は徐々に薄れて行った。何となれば彼女は良く喋る時に辛辣で記憶力も抜群と、自分がよく知るあの頃のとまるで同じなのだから。そういうよりもまるで同じように努めているのかもしれないが、どちらでも良かくそれで良かった。だからなのか時に自分は彼女が治療中であることを忘れてしまう。忘れざるを得なくなることが殆どであり、来るたびに覚え去るたびに覚えていることは一つであった。良くなってきている。ああ良かったと」
女は何も言わない。きっと今考えているのだろう、自分の身体の状態のことを。いつ言うのか? いやこれからいうタイミングを考えているはずだ。どうして考える? それは俺を思って……俺がその身体を慮るようにお前は俺の心を慮り……
「霧の日となり、夕陽が隠れている中、薬房へと俺は向かった」