『ジーナは死なない』
「今日はここまでにしようか。明日は君が山に登り僕が山を降るところからはじまり、ようやくここに辿り着く。長い長い旅だったが、共に歩もう」
男は席を立ち扉へと向かい痛む手で開くと、珍しく振り返った。薄い闇であるもやはり女の姿はシルエットとしてしか見えないものの、女もこちらを見ていると感じ少しの間見つめ合うと、男はなんとなく手を振った。
女が振り返したように見えたのでどこか満足感を覚え男は外に出た。変わらぬ夕方。時間が進んでいないことに慣れたが、いつも通りシムが向ってくるのが見えた。
その完璧なタイミングに男は今日も感心しながら挨拶をしようとすると、シムの表情が明らかに辛そうであった。持病があるとたいへんだな。
「やぁシム。あの、どこか具合でも悪いのか?」
眼の前に男がいることに気付いたシムは慌てて笑顔を取り繕った。こんなことをする人ではないのだが。病気は人を変えてしまうのか。
「いえなんでもありゃせんよ。ただもう歳だから連日の仕事が辛くなって顔に出たんじゃねぇかな」
それにしてはと不審になった男がさらに問おうとするとシムがその言葉を遮った。
「あっ朗報だよ。明日ツィロ様がこちらにいらっしゃるよ」
「おっついに来たか。良かった。じゃあ経過は良好なんだな、夫婦そろって怪我人で治る日もほとんど一緒って笑えるな」
男は笑うとシムも大声で笑った。どこか一生懸命なその笑いに男は不自然さを感じる。
「夕方には来るそうで、あんたたち二人のお仕事のあとに合わせてってことになるな。そのお仕事は順調か?」
「順調で明日には完了するよ。これでこの手の痛みと薬草の色と臭いとはおさらばできるな。染み込みすぎて手の色がおかしくなっているからな」
「頑張ってな。あれはあんたが頼りなんだから」
これもまた滅多にないシムの激励に目を丸くしながら男は答えた。
「いやこんなのであいつの気が晴れるのならずっと付き合ってやりたいところだ。明後日のことでもいいし来週の来月来年の話だってしても構わないからな」
笑いながら冗談を言うと一人の声しかなかった。シムを見ると笑わずに男を見つめる。その視線は女のと同じようだと感じるも、
問い質す前にシムは荷物を手に持ち足早に立ち去った。なにか隠し事でもあるのかと、下らぬあれこれを考えながら倉庫の前まで歩くと、物音がし覗くとアリバが馬車の準備をしていた。
「あっジュシか。明日はツィロさんがやってくるから応対よろしくな。大事なお客様だからな失礼のないように、同郷だからって馴れ馴れしくするんじゃないぞ」
会って早々説教を述べられるもいつも通りの雰囲気に男は安心しながら荷物を持ち上げ荷台に積みだした。
「これって砂漠越えの装備ですよね。すると……」
「なんてこった! あぁ見られちまったら仕方がないな。ここだけの話だがこれはジーナさんの依頼でな。明日からジーナさんは砂漠に向かうそうだ」
そんなことを、と男は悪人面な笑顔のアリバに対しかつてないほどの笑顔を向けた。あいつはあんな演技をして隠しているがもうすっかり良くなっているんだ。
「ツィロが来るということはそのことについて話し合う為なんですね」
「そこはワシには分からんが、とりあえずジーナさんが旅立ちというのは間違いないとのことだ。俺は案内役となる」
俺は、と男は聞きかえすことを自制した。あいつが自分を外したとしてもそれを責めることはできない、と。ジーナが村から出たものを使うなど問題がある。呪身は聖なるものの傍にはいてはならない。
「しかしアリバさん。今の季節だと砂漠越えは相当に困難なのでは?」
「ワシもそのことをジーナさんに説明したがな、行けるところまでで構わない。その後は自力で行けると申してな。こっちはそれについてちょっと困っているところだ。少し暴走気味かもしれんが中止なら中止で構わんし、明日来るツィロさんとの話し合いが終わってから決めるのもいいだろう。何はともあれ」
アリバは男の方を叩いた。
「よく考えて話し合うことが大事だ。お互いに心の底からな、そうだろ?」
「はい? そうですね」
何をいきなり否定できないごく普通のことを言うのかと男は思い、またやけに脈絡のないことを自分に言うのだなともアリバの顔を見るとまた笑った。怖い悪人面。
「そうと分かれば。早く荷物を積むんだ。明日は忙しいぞ」
男は頷き急いで荷物を積みだした。そう明日は忙しい。しかし喜びの日であり祝福の時が近づいているのだ。
ジーナが立ち上がり砂漠を越えに行こうとする。これに対し恐らくツィロが止めてジーナはリハビリを始めるだろう。
それでいい。それ以上は何も望まない。前に進んでいるのならそれでいい。
そうジーナは必ず龍を討ちに行くのだから。