『たぶん俺はお前のことをずっと想ったまま終わる』
どうして? は男も思い動かない手を見て左手で以って動かそうとすると動き、だが書こうとすると、動かなかった。
「僕はその反応が意外だな。だって君は継承者であることを僕よりも優先させる男だからね。
そういう人だとは僕は分かってはいたけれどさ」
軽い口調であるが奥の方から苛立ちと怒りの響きが聞こえてきた。それは自分にしか聞こえないものだと男は思った。その響きを聞いていたのはいつも自分であったと。
「俺も意外だ。お前の本音を知ってこんなに苦しい心持になるだなんてな。俺がこんな反応をするのは今だともうお前ぐらいだろうな。それとお前が誰かをこう言うのは今だともう俺ぐらいじゃないのか。ツィロにこういう風に詰ったりするのか?」
「えっ?」
闇から声が聞こえ少し間をおいてから女は答えた。
「……たまにはするよ」
「あまり厳しくやるなよ。この場合はお前にはそう非難するだけの資格があって俺には聞く義務があるものだからな。けれど確信とか分かっていたというけどお前は少し見込み違いをしていたな。俺はあんなに継承者になりたくてなれないから全てを捨てたというのに、あろうことかその使命よりもお前の身を優先させてしまった男だ。しかもそれは誤りであり間違いだと分かっていながらしてしまったどうしようもなさもある。お前は重っ苦しく責任を感じていると言っていたが、逃がしたのは完全に俺のせいだ。だからお前が継承して良かったんだ。今更ながら印の選択の意図に気づいたわけだがな」
闇が沈黙し頬に冷たいものが触れると男は感じた。これはたまに女といると感じるものであり、どうしてこれは俺に対して喜怒哀楽が激しいのかと思いながら話すまで黙っていた。
「僕が継承して、良かったのかな」
女の声が男の胸にへと入ってきた。だがそれが声なのか男には分からなかった。
「はじめて龍を取り逃がした継承者だよ」
「追えば良いだけの話だ。追う場合の取り決めだってある。逃げられるのは始祖様も想定していたんだ」
「山を降りて砂漠の果てに行ってしまったら……もう」
「砂漠なら俺が案内する丁度いい。アリバさんも一緒ならもう踏破したも同然だ。それにもしかしたら龍は砂漠の熱で野垂れ死にした可能性だってある。傷だって浅くはなかった。この季節の砂漠は進めば進むほど温度が上がって過酷になって、白骨化した獣の骨があちこち現れるからな。龍の骨探しで済むかもしれないぞ」
男は冗談を言ったつもりはないが闇から笑い声が聞こえこれも胸に染み込んで来て、嬉しさとなった。
「なんだよ君は。行く気満々でさ。でも君は連れて行かないよ。部外者は駄目だ」
「それなら東の地に店を開く。そこを拠点にして活動すればいいんじゃないのか?」
「フッフッフッフッ」
女はまた笑いだして男は首を振って苦笑いした。そういえばこれとの会話は意味不明だがたまにこうなるなと。
「少しは変わろうよ――。いいかい僕はもう君の妻になる女じゃないんだよ。そこまだ勘違いしていないかい?」
言われてみると、たしかにそこがまだ実感というか現実感が無いなと男は唸ると女はその音を聞き、追撃する。
「僕は君ではない人の伴侶だ。だから言いたいことはね、昔のようにそんなに変わらない優しさを示されると、悪いなぁと思ってしまうんだよ。分かってる、君は別にそんなことは気にする男ではないけど、僕は女でそれをさも当然のように受け取るほどに図々しくないから、気にするんだ」
「俺に対して図々しいのは変わっていないと思うが」
「うるさい。義兄妹にしたって優しすぎだ。だいたいさっきの僕の悪意ある言い方に対して怒ったりした方が良いんだよ。それなのに俺が悪いから当然だって、そう返されると僕の方が悪者じゃんか。もっと言うと君を追いだしたのは僕で今回も追い出そうとしたり殺そうとしたりしたのは僕だ。これだけのことをやられてまだ君は、耐えるというの?」
闇が問い掛け男は心の中で何も思わず考えずに言葉がすぐに口から出た。一度も出たことのない言葉が無意識に口の端からこぼれ落ちる。
「俺がただ無神経な男というよりかは、今も俺はお前のことを想っているから耐えることができているのだろうな。それでもってたぶん俺はお前のことをずっと想ったまま終わると思う。ここまできたらな」