『君を傷つけたいだけ』
「義父様と義兄様の命が燃え尽きた時に、僕は――が龍を討つものにならないことを祈り続けた。彼がそうならなければ僕の家族はもうこれ以上減らないのだから」
闇の中での語りは女が養子に入ったところから始まり主に男とツィロを交えた他愛もない幼少期から十代へ、それから戦士となる年齢を経て、年に一度である龍との戦いへと入っていった。
「――は悲しみの言葉や涙も零さなかったが義妹にあたる僕に対してはこれだけは言った。俺が龍を討つものになる、と。僕は頷いたが心の中では首を振っていた。君には無理だと。だって彼は強いものの非情に徹しきれず優しさとは言えない弱さをも兼ね備えているのだから、と僕は思った」
男が知らない女だけが知っている物語。女は予め頭の中で考え抜き練り上げていたのか語りに澱みも突っかかりもなく完成しており、男がただそのまま書き留めるだけでそれは出来上がりであった。
男もまたその語りを、ある意味で告白を胸に薄い苦しみを覚えながらも微かな蝋燭の灯の元で書きとった。
「大丈夫かな。休むかい?」
闇の向うで女の労いの声が聞こえたが男は思った。逆じゃないか、どうして労わられると。
「こっちは大丈夫だ。そっちこそ疲れてはいないのか?」
「大丈夫だよ。女は喋ってもそうそう疲れるとかないからね。むしろ回復をする気分だよ。そっちこそ手が腱鞘炎で辛いんだろ?」
どうしてこんな暗闇の中でこちらの手の動きが見えるのか? 金色の力か? 指摘されるとその手はもっと早く動かした。
「そっちが疲れていないのなら先をどうぞ。俺も疲れていないから心配いらない」
くぐもった笑い声が奥から響き、それから女は語りを再開させた。その口から語られるこれまでの物語は男も半分知っているものであった。
物心ついたころから始まる、同じものを見て同じものを食べ同じもので寝る。世界は一つであり違うのはその心の中だけ。語りを聞くほどに書き続けるほどに思い知らされるのは、その心の剥離ともいえる分裂。
「彼が選ばれ印を授かり正統な後継者となった場合は、予てからの約束通りに僕は君の妻となると彼は当然の如く何気なく言うが、僕の心は君ほどに楽天的にはなれなかった。おそらくと言っては逃げだから確実と言って戦うことにするが、僕と彼が夫婦となったら上手くはいかないだろうと。その当時はそう思っていたが、今のようにツィロと夫婦になってその時の考えは正しかったと時々ふと思ったりする。君が思う程には僕たちの心は重なってもひとつでもない」
途中から男の手が止まり文章が書けなくなっていた。それに合わせてか女も語りを止めて男の手が動くのを待っていた。
男は今の語りの部分を心の中で復唱すると腹の底に重いものが入れられたように、意識が沈み落ちて行く感覚となった。
「いまのは、君を傷つけたかったんだ」
どのくらいの時が経ったのか不明であるがとうとう女が口を開き正しく時を進め出した。
「だからその反応は、良いね。怒鳴ったり泣いたり逃げたりは君らしくないからそれだよ。その呆然としながらもその場で持ちこたえ悲しみに耐えているのがとても君らしいよ」
男は今の心境がどこかであったことを既視感を覚えたが女が心を読むようにして答えを言った。
「義父さんや義兄さんの時と同じ反応だ。心の底からの、それ。君は僕に対しても見せるんだね……どうして?」