『起きよ残骸』
この暗闇の中で外の音をひとつ聞くとそれがなにであるのかを知っているはずなのに別世界のもののように聞こえた。
鐘の音から足音に人の声とそれらが何で誰のものかもを知っているはずだというのに。今では彼方へと離されていったしまったものたちのように。
いいやそうではなく、自分が離れただけであり、ここにあるなにもかもはあの日から特に形を変えずにそのままなのである。
ただ変わり果てたのが自分であり、それはいわば生と死の線が引かれた世界。もちろん死とはこちら側で……ここにいるのは死体だということだ。
生きる屍……歩く亡霊……呪身……ツィロも驚くわけだ、とジュシは薬臭い箱の中で自嘲し女も瞳を思い出す。
彼女は言った「言って」と。自分は答えた「言えない」と。
何故ここも頑なに言えないのか。もう世界は戻らないことは分かっているのに、なら現実を受け入れ少しでも戻れる世界で耐えることが、最善であるのに。
……彼女のあの時はこう思っていたのだろう。そうだよ、と男は頷く。お前は正しい。間違いなんかない。それでなにもかもが丸く収まる。お前があの夕陽の日と同じ瞳と声であの時の続きをしてくれたが、分かったのは自分の心の変化の無さという絶望だった。
だから自分は無抵抗のまま死を受け入れることにした。アリバさんが止めなかったら自分は死んでいたのだろうが、それは早いと遅いの違いどころか、ひとつのけじめに過ぎない。
そうであるからこれは柩だ。お前の言うように死体に相応しいもの。自分自身で選んだこの闇の世界。そうだ、お前は全て正しい。
こちらが全てを間違えている。けれどもこれはもはや正しさの問題では、ないのだ。その正しさを受け入れたとして私にとってその世界は必要なのか? 逆にその世界は私を必要とするのか? 受け入れたところでどちらにせよ生きながら腐る、生きながら燃やされ、生きながら朽ちていく。終わっている。
遠くにいようが近くにいようが、過去だろうが今だろうが未来だろうが、変わらないのだろう。
それが印に選ばれずにその名を呼ばず自らの名を捨てたものに相応しい罪であり呪いだとしたら、実に相応しい罰だ。
もはや私にはこの世界においての名は無くあの名で呼ばれることはないのだろう。ここにあるのは、時が止まった残骸。
眼前には闇、一切の闇の中でジュシは瞼を閉じより深い闇と一つになることを願った。呪われた身も闇に浸ればもしかしたら浄化されるのかもしれない、そうしたら自分もこのまま闇に溶けて二度と目覚めず……
「起きろジュシ」
朧げな後光のなかアリバの髭面が眼前に現れジュシは悲鳴をあげると辺り一面から笑い声が起こった。
「なんだずっと寝ていたのか。それが正解だったな。いろいろとちと長引いた話もあってからな」
箱から顔を出すとそこは山の中腹より下だとジュシにはすぐに分かった。ここまで来たら龍の眷属も来るはずはないと。
「ここからは安全だと向うの人は言ったが、まぁ不安でな。だからこうして起こしたんだが、どうだ身体の具合は」
一同が歩き出すなかでアルバがジーナに尋ねてきた。
「若干痛いですが大丈夫です。もう歩いた方がいいでしょう」
「ああそうだな……そのな、具合はどうだ?」
なんだか不思議と心配するアリバにジーナは妙なものを感じた。具合なんて最悪だというのに、何を聞いてくるのかと。
「特になんでもないですよ。ちょっと立ちますね」
「あっ待て。いい、とりあえずこれをな」
慌てるアリバがいつもの焼き菓子の袋を出した。