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『龍が、来る』

「薬草というものはこーんなに軽いのに値段が高いのが実に素晴らしい」


 というアリバの口癖を脳内で再生させながらジュシは薬草が入った薬箱の中にいる。


 彼は元々薬商であったものの武器も一緒にしたら売れるのではないかという、奇妙な組み合わせではじめたらこれが大当たりし、一財産を築いたうちのボス。


「商人たるもの客の需要をただ供給するのではなく、客が気付いていない需要を発見しそれを示すことが大事なんだぞ。わしの場合はそれが武器と薬の組み合わせだったわけだ」


 その教えを耳にしこれまでずっと彼の下で学び続けてきた。ゆくゆくは東の国で店をもつのだが、それは自分であるのか?


 時に頭の中でその思考が蠢くとジュシは頭を振りながらあの日の夕陽を心の中で照らす。お前はもうあれではないのである、と。


 追放された時に、いや印が現れなかった時、自分は死んだのだと。ここにいるのは死体であり生まれ変わったもの。


 そう思っていた。思い込もうと努力し続けた三年だった。だが山を登ると聞き決心した途端に足があの時の足取りとなり、剣があの頃と同じように握り、声もまたあの頃に戻った。


 戻りたいということなのか? ではいったいに何に戻りたいというのか?


 もはや回復できる人間関係でなく継承できる資格のない自分は何を求めているのか? 再び無意味な問答が頭を支配したためにジュシは頭を回すも一緒に回るばかりで消えはしなかった。


 そんな救われ難い望みを抱いていては……救われ難いどころか救われないというのは望みではなく、自分なのではないか?


 この世界で自分が生きられるところを探している時点の自分なのでは? また冷たいものが全身を覆いそれから自嘲する。なるほど呪われている、と。呪われた身どころか心も、そうだと。


 山道を登る車を押される揺れの中でジュシは呼吸をする。薬草の臭いに包まれているというに鼻に入るのは山の香り、故郷の匂いであった。


 入口からここまでの時間からジュシにはいまいる地点がどこかがなんとなく分かっていた。思い浮かべればそれから甦る記憶も自然に脳裏をかすめ、否応なしに声から姿、自分のその頃の心すら胸に湧き、かきむしり血を流させる。


 その黒き血を。露出する臓腑から流れ出す血より濃き呪い。だから暗く熱した思いが漏れだす。


 俺はどうして後継者になれなかったのだろうか? 印が現れなかったのだろうか?


 もはや防ぐ皮膚も肉もなくジュシはそのことを、最も肝心なことをまた性懲りもなく考え始める。


 何かが足りなかった? そういうことではない。だが、そういうことだ。選ばれなかった、この一点だ。


 だが他に誰がいた? みんないなかったではないか。俺よりも強いものはどこにもいなかった。ただ一人を除いて、あれ以外は……何故認めない?


 同じところを延々と回転し続ける思考の玉が外に弾きだされ、転がり出した。かつてここに意識が跳んだ記憶はないというのに。


 これは危険なところへと向かっているとジュシには分かっていた。一つの思考の枠の中で回り続けていたのは、ここに飛ばさせないためだったのかもしれない。


 そうであれば自分は永遠に悩み続けあの日からあの夕陽から停止しもしかしたらの可能性を維持できる、が。


 認めないというのはつまりは……認めなければ元に戻れるかもと。いつの日にか元に戻れると。あれは誤りだったとなる日が来ると。


 ジュシは笑おうとしたが口角が上がり声を上げようとするも、何も出なかった。闇の中で見えない笑顔のままジュシは笑う。


 ジュシにはいまの自分の笑顔がどうしてか見えた。そのうえで誰も話しかけていないのに声が聞こえ、語りかけて来る。耳を塞ぐ術もなく、押し込まれる。


 認めるということもまた自分の生きようとしていた世界の消滅だ。どのみちお前は戻れない。拒絶され野垂れ死にした、それがお前だ。


 誰もお前が生きているとは思っちゃいない。いわばこの箱は柩でありお前は死人らしくこの中に入ったまま故郷へと帰る。


 だからこれはお前の葬送であり最後の確認だ。もうここはお前のいる世界でないということを、知るためのな。


 お前は、との声に合わせてジュシは声を出した。お前は、俺は、この地で死ぬ。


 肉体は死なずとも名と存在が消えたことを知る。知り、そして、死ぬ。柩もまた拒絶され遠い地において埋葬される。


 ここ以外の世界であるのなら、それはどこでもよい。どこへでも行き何にでもなればいい。

だけど、とジュシはここでまた声を出した。


「俺が望んでいたのはこの地と印だった。それ以外にはなにもない」


 声が止み再び揺れと車輪の音が耳に甦って来る。ジュシはもう何も考えず心には静寂がおり、限りない無に近かった。


 無意識に目を拭う。指先が濡れた感覚があるも、それが何を意味するのかすら考えずに音だけに耳を澄ませて聞く。


 匂い同様に全ては知っている音。風に揺られる木々のせせらぎに季節の虫の声、ここにもしも故郷の声が聞こえたら、何もかもが満ち満ちているはず……異音だが知っている音がした。


 異臭であり知っている臭いがする。


 それが何かであるのかは思い出すことも考えることも躊躇うこともなくジュシには分かった。


 柩じみた箱の蓋を中からあけて立ち上がりアルバ並びに皆が驚いているなかでジュシは無視し森の中を目を凝らして、見た。やはりそうであった。


「アリバさん! もう少し登れば中間の広場になります。そこまで全力で走って!」


「おっおいお前が出てきちゃ駄目なんだぞ!」


「今はそんなことを言っている場合ではない。出てくるんだ怪物が、龍が、こちらに!」


 ジュシの言葉にアリバは迫りくる危機を悟ったのか、一度震えてから、大声をあげた。


「全力疾走だ!もたもたするな速く走れ!」


 普段は絶対に客の前以外では走らないアリバが走る。遅くても懸命に走る、誰にも追い越せないぐらいに。


 その間ジュシは鼻を嗅ぎ耳を澄ませる。奴らの音と臭いを捕えるために。しかし走っている間にその二つを捕えることができずにアリバの行商隊は広場に辿り着き身を寄せ合い臨戦態勢をとるも、辺りには変わらぬ木々のせせらぎに虫の鳴き声。誰も口を利かずにいる緊張感の中でジュシの気は高揚すると同時に、陶酔感にも似た安らぎを覚えていた。


 ここにこの山に立っている。立ちそして対峙している。敵を、龍と、それは自分の運命と。


 久しく忘れていた五感が研ぎ澄まされているのが自分自身でもわかっていた。それもあの頃よりもずっと強く激しく、鋭く。


「おい何も起こらんぞ。本当に例のあれがいるのか? だったらまだ来ないうちに村まで走った方が」


 恐慌に駆られたアリバの訴えをジュシは退ける。


「待ち合わせ場所はこの広場でしたよね? この広場というのは龍を迎撃するための地点でもあります。視界を広げ見通しが良い様に伐採したここにいれば四方から龍の動きを伺える。奴らはアリバさんのような考えによる動きを狙っているのです。そう、迎撃態勢が崩れ狭い林道に入っていくのを」


 ジュシの言葉にアリバは唸るも改めて四方を見るもやはり敵の影は見えず聞こえず感じず。

アリバは自分の勘の強さに自信があったが今はその自信が揺らいでいた。


 もっともそんな化け物退治なんてしたこともなくそれ用の勘などは持ち合わせていないだけかもしれない。


「待ち合わせの時刻まではもう少しだから迎えの村人たちが来たら助かるのか?」


 荷持ちや傭兵として雇われた男たちが不安の声が上がるがジュシはそれを掻き消すほどの大声をあげた。


「村のものたちが来たら確実に助かる。彼らは龍を討つことを使命とするものたちだ。眷属程度ならわけなく征伐できる」


 納得の声が漏れ聞こえ各々が臨戦態勢のまま待機し続ける。ほんの少しの時だというのに、何倍も何十倍もの時間の圧力が加わり、疲労感が増していくがそれでもジュシは構えを微塵たりとも崩さなかった。


「本当にいるとしたら龍って怪物はこんなに知恵が回るのかよ。獣には思えないぜ」


 誰かの悲鳴に近い言葉にはじめてジュシは同感する。そうだあれは獣らしくはない。


 山から降りあちこちの地で獣と戦う時もあったが龍に似たものはどこにもいなかった。


 無論あれは人ではなく獣ではないとしたら、なにであるのか? そうなるとあれは東の地で信仰されているように……人智を超えたなにかなのでは?



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