あなたには私しかいないってわからないのですか?
そうジーナは手紙を見せろとか言う人でないから上手くいける、と。そもそも読んでもわからないもの。よって確実に勝てる。
「そうか、だけど困ったな。シオン様は私が中央の字を書けないことを知らないんだよな。なまじっか字だけは多少は読めたからそんな要請をしてきて」
「おまけに中央の言葉も硬いながらもほぼできていますから、それはもう深い付き合いが無い限りはそこは分かるはずはありませんよね。しかし、いったいどうしてそんな中途半端に?」
「いや前に話した仕事先の商人の親分から教育してもらったんだが、本格的に字を習う段階で戦争になってな……そこはともかく私には文章が書けない。申し訳ないがこの件は断るということで返事をしてもらえないか」
絶対にそう言うと思っていましたよ、と既に予想済みであったために、ハイネは自信なさげにうつむくジーナの肩を掴み顎を手であげさせ自分の方へ顔を無理矢理見させた。
「そんなに簡単に諦めてしまって……情けないことを言っていると思いませんか? なにもシオン様は後方にいて暇だから前線の話を聞きたいなといったことではありませんよ。誰よりも最前線にいて活躍をするあなたの目を頼りにしてこのような依頼を出したのです。他のものではなく、あなたにだけ。これは言うまでもなく戦争に勝つためなのですよ。あなたの報告が後方のシオン様たちの状況判断の材料となるのです」
演技だとハイネは認識をしているが語るうちに自然にうちから熱いものが湧きでると、あの冷めがちであったジーナの眼にも熱のようなものが浮かび出てそれに魅せられたハイネはいま演技をしているということを忘れた。
「私じゃ嫌なのですか?」
口どころか心までもが滑って本音が本当に聞くべきことが出てしまったと、ジーナがその言葉の意味を理解しかける寸前の表情が目に入った瞬間にハイネは正気に戻った。
「そういうことじゃないです。いえっ違うんですよ、違う。つまりはです、つまり、中央の字なら私が教えられますが、先生が私じゃ嫌ですか? と聞いたのですよ、いいですか勘違いしないでくださいよ」
あぁ成る程とジーナは言いながら納得していく表情を見るとハイネの心は安堵感が広がるもその片隅に微かに後悔の念が滲んだ。
もしかしていま誤魔化さなかったら……いやそんなことはない、と二度心の中で繰り返し否定した。この男はかなりめんどくさいひねくれものだから、簡単にいくはずがない。
「ハイネで嫌ではないけれど忙しいのに悪いと思うから、だからこれはその」
拒否の流れに反発心を覚えたハイネはまた頭に血が上り演技などしていられなくなった。低い声が出る。
「私の他に良い人でもいるのですか?」
ジーナが近づいてきた、のではなく自分が近づいたのだろう。いまハイネの鼻はジーナの鼻に触れそうなほどの距離となっていた。
自然に自分から。それは焦りか、危機感か、もしくは好機だったのか、どっちにせよハイネは苦笑いしながら自ら壊した。
「まぁいませんよね。この砦内だと文官はごく一部ですしあなたと交流があるのは私だけですから。だったら選択の余地はありませんよ。忙しいと言いますが、いまこうやって休憩している時間を使えば良いのですし、私も別にあなたのためにほとんどの時間を費やすのではありませんから、ね?」
抑えているのにどうしても懇願調となり、しつこくなり、くどくなるのを自覚しながらの訴えをジーナは神妙な表情で聞いていた。
こういうのを笑わないタイプの男で本当に良かったとハイネはまた感心をした。
「あなたはそこまで重く考えることはありませんよ。重く考えられるとこっちも重くなります。重いのは嫌なんですから、もっと軽く考えてください。そうですよ、ただあなたはですね、あなたは」
ハイネはどうしてか言葉に詰まり、間が生まれた。見つめ合っているジーナはハイネの瞳の色があの色に変わるのをみた。
ハイネもまたジーナの瞳の光りの変化に導かれるように、心を伝える。
「私を選べばそれでいいのです」
言った途端に口が完全に閉ざされ言い訳も誤魔化しもハイネにはできなくなった。
ただ相手の返事を待つ形となり、時も思考も心も停止しただ見つめただ呼吸をするだけとなり、それ以外のことはなにもできずまた許されないものとなる。
ジーナは異様さを感じながらもハイネの心を知ることも共感することもあるはずもないのに、最も欲しがっていた言葉がその口から出て贈られた。
「他にではなくハイネにお願いしたい」
こう言うとハイネの表情が和らぎ頷くとジーナの心には温かさに満ちた。
「あなたがそこまで言うのなら応じてあげますよ。忙しいのに困りますけど勝利のためですからね。では早速始めましょうか」
机の上を片付けだしたハイネにジーナは驚いた。
「今からって、あの仕事の方は?」
「そんなもの、猫にでも食べさせてやればいいんですよ」
新しい苦難が始まる。