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『君は僕のことをジーナと呼ばないといけない』

「痛いのってなんのって、それはもう筆舌に尽くし難いという言葉通りだよ。あれだけは君にやってもらいたかったな」


 山道の途上で右手を振り回しながら、昨晩行われた儀式の様子を娘は事細かく繰り返し繰り返し語り続けていた。


 前を歩く――は無言かつ無表情のまま聞いている、いや聞いてはいない?


「事前に火で手をあぶるとか練習をしていたけれど、そんななまっちろいもんじゃない苦行でね。それこそ魂まで刻印されるってやつでさ。全身全霊で以て耐えたけど、僕は苦しい顔とかしていなかったかな? っておい? 聞いてる?」


 ――は聞いていると一度頷き歩を進める。昇りゆく夕暮れの陽に進むように登ってはいくが、あの陽は自分を現しているものではないと、分かっていた。 


 儀式の後は祝宴やら片付けやらの最中において――は誰とも口を利かず、また誰にも話しかけられずに過ごしてきた。


 腫物に触れぬように、と言うよりも存在しないもののように、あるいはもう亡くなったもののように扱われていた。ただ一人だけを除いて。


「儀式のあとは約束通りあそこに行くんだろ?」


 不意を突くように声を掛けてきたのはあの娘であった。その声はまだ――にも知っているものの声であり、表情であり、心だった。


 まだギリギリ残っているものを持って来ている、そんな感じを――はした。


 約束か、と――は山頂を見上げる。その約束は遠い昔に交わしたもので定期的に確認し合っていたもの。自分が大人になったら……いやあれになったら、継承したら、あの二人でいつもいた山頂で。


「だから聞いているの――」

「ああ聞いているよ――」


 はじめて口をきいたその時、はっきりとした亀裂を自覚せざるを得なかった。互いの名を呼ぶ、その呼び方が。


 よってかつてのものとなる名で呼ばれた娘は口を閉ざす。一つ目のスイッチが入る、まるでいまあるこの世を終わらせるために。


 それを機に娘も登り切るまで黙り二人はいつもの場所に辿り着いた。その思い出の場所に、だが思い出とは?


 ――は辺りを見渡し過去の記憶が走馬灯のように走っていくのを脳内で見ていた。


 それは何かの予感であり、その流れは止められないことに対する諦めだったのか。一方で夕陽がまだ登り切ってはいないことが――の気を急かせた。


 夕陽にだけは見られたくない、そんな切迫した謎の思いに駆られながら――は振り返り、見つめ合った。


 ――は娘の顔の変化がまだ分からない。少女と大人の女の間にあり、今は疑うことなく大人の方へと急速に進んでいる最中であるのに、――の眼にはまだ少女寄りの顔にしか見えなかった。


 それは自分がまだ認めていないため? だが現実にはもう決定されているというのに。覆すことは不可能だというのに、世界でただ一人だけこの事実に逆らうことの意味は?


 思い苦しんでいると眼の前に白いものが覆った。


「では始めようか、あの約束をここに叶える」


 娘は右手を――の顔に突き出し催促をする。その白は何の変哲もない白であるのに、――にはあまりにも眩しいために目を逸らすと白が追ってきた。


「逃げないで」


 その言葉によってどす黒い熱が体内を走るのを――は感じた。


 かつて向けたことがなかったこの感情。だが――はすぐに冷ますものの底に恐ろしいものを覚えた。


「逃げない。これは約束だったな。立場が逆になったが、やろう」


 そう言うと娘の顔は悲しみに歪んだように、見えた。封印のための包帯に手をかける。本当なら手をかけられるはずだったのに――は彼女もまたそう感じているのでは?


 どうしてこうなったのか? こんなことになるなんて自分達は全く予想すらしていなかったのに。ただ俺は、と――は何遍も考えたことを消化できずにまた反芻する。


 自分の印に巻かれた封印の包帯を彼女に解いて貰い、これからの二人のことを宣言する。


 そう信じてきたのに、と自らの手で解いていく包帯が後戻りの出来なさを物語り、また完成へと向かっていた。


 あの時に見ることができなかった印を、見るということ。


 最後に見るものとなることを……やがて解き終わり、その印が目に入りそうになる前に反射的に目をつぶろうとするも下から指が飛んできて、瞼を広げる。


「お願い、見て」


 癖を把握している娘は――の逃げを防ぎそれから懇願した。その切なる願いの響き。


 だから――は目を大きく開きその手の甲を見る。印がそこにあった、確実に継承者の印であるそれが刻まれていた。


 衝動的に――はその手を掴むと娘と目が合った。よく知っているものの眼が、誰よりも知っているものの眼が、だからその色がいま何であるのかが分かる。


 泣き出す前の色がその眼に宿るもそれは自らに向けたものではなく、こちらに向けたその色、哀れみの色、そうだ自分の目に涙が宿っているのを映したのだと。


 見つめ合ったまま二人は停止した。だが世界は動いている。風は吹き木々は枝葉を鳴らし鳥や虫たちは囀りまたは鳴く。何よりも陽は昇り続け二人を照らしだしてきた。


 朱色に染まっていくなかで――は思う。このまま溶けて二人は一つになれればいいのに、と。赤はそれを可能に出来そうな色だと感じるのに、それは可能なはずであるのに、ただその印があるから、それがあるからこそ俺達は、もう一つには。


「駄目なの?」


 陽の光の中でようやく声が聞こえた、もはや二人は正しく相手の姿を認知できない。ただ言葉だけがあった。


「僕の名前は呼べないの?」

「前のを呼んでもいいのなら」

「まだ覚えている?」

「覚えている。そして忘れない」

「駄目だよ」


 光の中で指と指が触れあうもそれ以上は進まずにそこで止まる。いつもなら握り絡まるというのに。それすらもう許してはくれない。


「君は僕のことをジーナと呼ばないといけないんだ」


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