妾のことを龍身様と呼べ
ジーナは黒い感情と共に身体の奥から力が湧き出しだし手に力が入りヘイムの小さく華奢な手を握り潰す勢いで握りしめているにも関わらず、ヘイムの表情は痛みどころか何も感じてはいないもののであった。
それがジーナの激情を加速させ力が入るというのに、それ以上は抵抗がかかり進めず、だから言葉を続ける必要がある、と心のどこかからか声がする。まるで戦いの最中のように。
「あなたは中央へ行き、それは」
口が動き出しさらに力も加わる。だがヘイムは能面のまま言葉を聞く。それは憎しみを誘うようなものとみえた。だから忌まわしい言葉をジーナは口にできた。
「龍と、なるために」
とどめだ、というぐらいに手にはかつてないほどの力がこめられたはずであったのに、抵抗どころかヘイムのその手からはありえないほどの力が溢れ出したかのように逆に握り返され、ジーナは驚異の顔をとなるとヘイムは薄笑いを浮かべながら久方ぶりの声を、苦しげのない声で出した。
「そうだ。全てはその為の儀式であり旅であるからな」
力の反射のごとくに逆転しだした握り合いはヘイムの手がジーナの手を圧倒しだした。
「これを機によく覚えておくがいい、この手の感覚をな。そなたはいま妾の身体と命を握り触れているのも同然だ。大きさは? その湿度は? 感触は? 指は何本ある? どう握られるのが最適で好まれるのか、そなたは知ってるよな」
もちろんよく知っている。ヘイムのことは何一つ知らないし知りたくはないにしてもこれは知っている。今の凄まじい力も知ることができ、一層理解は深まったが。
心が何ひとつ交わせずに一つになることは無くても、これだけは幾度も交わり分からないもののなかでなんとか分かるものの一つ。
「そなたもよくよく知っているであろが、これは後に失われ、消え去る。分かるか? それはな龍と一つになるのだからな」
なんだその言い方は、とジーナは誇らしげに顎をあげるヘイムにまた激情を抱く。この女はよくよく私を揺さぶってくる。けれどヘイムは焚き付けのための言葉を並べ、燃やす。
「分かっているだろうが、これは今は妾のものだが、将来は龍のものとなるからな。そうなったら二度とこのようなことはできぬな。特にそなたのようなものにはな」
「なんですかその言い方は?」
感情が漏れ出しジーナは心の声をそのままヘイムにぶつけると間をおいてヘイムは皮肉そうに微笑みながら一歩近より懐に入る。
何故近づく? 遠くに行く癖にとそれだけでもジーナの心は荒々しいものが渦巻いているなか、ヘイムは見上げながら問う。
「気に入らぬのか?」
「あなたは龍となるのはもとより決まっていることでありませんか」
感情の激流に呑み込まれ出しているなかで顔を水面からだし努めてそう言うことに成功するも、ヘイムはそれに石を投げつけてくる。
「違う違う。妾が聞いておるのはそのような客観的なことではない。そなたの感想を心を聞いておるのだ、気に入らぬのか?」
石は見事に額に当たり血が流れているのがジーナには分かった。川岸ではヘイムが石を握りながらこちらを見る、だからどうした。
「私の感想が何だというのですか? そんなものがいったい何の意味が」
「聞こえておらぬのか? 聞いたのは、妾が龍となることに対するそなたの感想を言えということだ。きちんと言え。なぁ気に入らぬのか?」
もう答えを知っているというのに、なにを聞きたいのだとジーナは鈍光を放つヘイムの濁った瞳を睨みながら思った。
「分かり切ったことを聞いて、どうしたいのですか?」
「分かり切っていることすら口にしないものがそのような言葉を口にするでない」
何が分かっているというのか? あなたはいったい何が分かり切っているというのか? 無言のまま睨み付けて来るジーナの視線に怯まずに見つめ返していたが、途中でヘイムは鼻で笑って視線を外した。それがジーナの勘に障った。
「もうよい。ではあなた様は偉大なる龍となっていただきたい、とそう言え。そうしたら解放してやる」
解放? その意味不明な言葉にジーナは戸惑った。何からの解放だと? 今は何についての束縛に伏せられているのだと?
手は確かにヘイムによって掴まれ拘束されている状態にあり、尋問めいた言葉もまたこちらの思考を掴んでいるといえる視線も、そう、さっきからずっと自分はヘイムのこと以外をなにも見ていない気がした。
風景や景色などいまはどこにもなかった。あるのはただ、ヘイムの表情のみであり、外すことはできず、もしも外れたらそれは解放なのだろうか?
手を離し声を無視して顔を遠ざける、今すぐにでも自らを解放できる、できるというのに、手は力一杯にヘイムの手を握り、耳は呼吸すら聞きとるほどに澄まさせ、眼は表情のその変化に完全に呼応し反応している。
それがなにを意味するのかジーナは分からないまま自らを拘束し、思う。どうしてヘイムはそんな私を解放できるとでもいうのか?
「いや、そんな御大層に言わずともいいか」
意識と眼の前の流れにズレが生じだしているとジーナには感じられた。ヘイムの動きは非常にゆったりとしているのにジーナの心は高速で回転する。
ヘイムは次の言葉を発するまでに三度瞬きをした、多すぎるその動きは何を告げているのだろうか? 口が開くその前にヘイムの表情に死を決するもののような緊張感に満ちたものとなるもすぐさま嘲笑的なものへと変え、言った。
「龍身様と呼べ」
「嫌です」