殴っている気がする
「なんでそう物わかりが悪く分からないのですかね。あなたが分かったというだけで丸く収まることが沢山ありますよ」
「けど分からないものは分からない」
「分かろうとする努力をあなたは放棄していますよね」
空を見上げながらハイネが溜息混じりに言うとジーナは反発心が湧いた。
「そんなことはない。こうして考えながら誤魔化さず話をしている。よく分からないけどハイネさんともこうやって難しい話をしているし」
ハイネは遠目の姿勢のまま無言であった。聞いているようで聞いていない、そんな角度であったためにジーナは後頭部にうなじに向かって話しかけた。
なんでこう言わないといけないのか不明なまま。その不動の姿勢を見ていると不意にハイネが話し出すもジーナには遠くから聞こえてきた。
「ジーナさんは、私とこうやって会話をして楽しいですか?」
「楽しいという感想は湧かないかと」
答えるとまた間ができてジーナは呼吸をするだけであり、なんで返事をしないのかと思った。するとくぐもった変な笑いがあちらから鳴ってきた。
「あなたってなぜ私に対してそこまで正直なんです? そういうのを馬鹿正直というんですよ」
「ハイネさんだけじゃないよ」
「嘘ばっか。どこのどんな女がこんな対応をされて相手にするんですか。頭が変ですよ。イカれちゃっている」
「まぁ若干頭の調子はおかしいかもしれない」
「ハハッあなたにお似合いですね。普通でしたらこんな扱いされたら離れますよ。そんなの当然ですからね。私だけですよ三行半を降さないのって」
「まぁそっちは離れたいだろうけど、こっちも離れ難いよな。ヘイム様のことがあるし」
ここでもまた間が生まれ今度は長かった。ハイネは背を向けたまま動きはしなかったが、それでも観察を続けるとほんの少しずつとだが、身体をこちらに戻すように回転し続け顔を伏せながら反転した後に、そこから普通の動きとなって空となったコップに茶を注ぎ一息ついた。
なんでそんな動きをしたのかはジーナは分からずそこは触れてはならない気がしまた、聞きもしなかった。
「考えてみたらジーナさんはソグでのお知り合いの女性って少ないですよね。他所から来たものですから仕方がないでしょうが。他はキルシュやシオン様で、それって仕事関係ですし私もヘイム様もそう。他にいます? いるわけないでしょうけど」
小馬鹿にした顔をしてくるもジーナはハイネのその顔の意味がよく分からなかった。異性の知り合いが多いと良いことでもあるのだろうか?
「バルツ将軍の奥様に食堂のおばさんやその飼い猫のメスの」
「その先はもういいです、もういいです、もういいです。軒先の鳥の巣が出て来ても数にはなりませんから。ものの見事もありませんね。そう思うとほら最初に出会ったのが私で良かったですね」
「キルシュの方が先だけど」
「あの子はブリアンの世話を焼いているだけですよ。彼女にとってはあなたは恋人の所属する隊の隊長で感謝と義理はあるでしょうが、その先はなんの発展もありませんよ」
「そんなことを言ったらハイネさんは私にとって」
音が途切れる響きが聞こえるとジーナの口が急に閉まり、眼前の世界が停止し色彩が一斉に失われていくのをジーナは見た。灰色となっていくハイネが音も立てずに崩れだしていくのをジーナはまず手をとり肩を支え引き寄せる。
「ハイネ!?」
叫んだ途端に去った色彩が瞬時に戻りハイネにも命が戻ったのか驚いた顔をこちらに向けて口を半開きにしていた。
「ああっといまのは、無しで」
なんだか知らないがジーナがそう言うとハイネは頷き視線を外した。
「とりあえずこのままでいいのですが、ええっと何の話でしたっけ?」
ハイネは心なし体重を傾ける態勢をとりながら尋ねてきた。
「無しにして、どこからはじめます? 私が許可しますから、どこからでもいいですよ」
その余裕のある笑顔に向かってジーナは話を切り出した。
「そういえば逆に私はハイネさんの男友達の名を一人も知らないないな。噂だけの存在で姿も見たことがない」
「気になります?」
「全然」
答えると今度はもっと気持ちよさげな笑顔を向けてきた。
「全然、ですか。へぇ全然興味ないのに聞くっておかしくありませんか? 逆にすごく気にしているように聞こえますよ。もしかして詳しく聞いたら嫌な思いをするかもしれないから、聞きたくないということですか?」
「そんなことはない」
「そんなことはない」
言葉が同時に出て重なりジーナは驚きハイネはくぐもった笑い声を出す。
「似てました?」
「むっタイミングが一緒過ぎて似ているかどうか分からない」
ハイネの小さな笑いが続くと間に手と腕にかかる重さが増していくのが分かった。もたれかかりそのまま限界まで。
「けどそうだな。気絶した時に世話になったからそのお礼もしたほうがいいから、今度会えるのなら是非とも」
「今度ですねいつかの今度。そういうことにしておいてあげます」
妙なことを言ったハイネは揺れ始めジーナの腕に負担をかけてきた。
「みんないい人ですよ。理解があって話が成立して、あなたみたいな分からず屋で私を殴ったりしませんもの」
笑顔であるのに挑発するような表情と声でハイネがジーナを目で詰った。あなたはそういう人だと。
ジーナは思う、殴っている? そうか殴っているか、と。返事の代わりかジーナは固定させている腕に寄りかかるハイネを更に傾けさせた。
「こんなことを言われてあなたは否定しないのですか? 怒っていいのに」
「確かに殴ってはいないが、殴っている気がする。なんでか分からないが、私はいつもハイネさんを深く傷つけているような気がするから、すんなり否定はできない」
眠りだすようにハイネは瞼を閉じ小声で訴え出した。
「はいそうですよ。あなたはいつも態度や言葉で、私を殴っています。話をしている最中に殴られたような感覚によくなるんですよ。心に、来るんです痛みが。触れてもいないのに、あなたは私を傷つける。まるでそういう存在であるかのように」
ジーナの胸に軽い衝撃が来た。ハイネの手による掌底が入ったのだが、まるで痛みは無かった。
「あなたは、なんですか? 私を一体何だと思っているのですか?」
ジーナはその言葉には痛みを覚えた。
「私を傷つけていい存在だと扱っているのですか?」
語尾へ向かうにつれ消え入るように小さくなっていく言葉を言いハイネは沈黙する。眠るように、死ぬように。
「ならハイネさんは私を苦しめていい存在だと思ってはいませんか?」