私という理解者がいて良かったですね
ソグ山。その名を聞くだけでジーナはあの戦いの雪の嵐を思い出す。視界が白で遮られる白銀の世界、あの白い地獄のような光景を。
「あんなに降ったのにな」
「その時の雪の勢いはしばらく続いたわけで中央も攻め入るのを諦め、ここにソグとの停戦状態が成立したわけでしたね。この山の記録を取りはじめてから大凡百年ぐらいになるみたいですが、降雪は春まで続きその間に両地域への移動が不可能となるのが常識でした。これは誰もが知っているからただいまソグはまるで平和を享受しているような太平楽だったわけで、あちらは元よりこちらもはじめから動くという発想はありません。しかし……ソグ山の雪の量は明らかに減っている」
またマイラの口調に戻ったハイネの言葉にジーナは緊張する。それは会に参加したバルツらと同じ心境であることと想像できた。自らの運命が語られているのだ。
「このあとは詳細な情報の質疑応答でしたのでここは省きまして、ジーナさんはどう思われます?」
「一時的なものにすぎないのでは?またいつもの豪雪に戻って」
「当然の指摘ですよね。最初の会合でもその意見が大半でして様子見という結論になりましたが、二度目の会合でソグ山の異変は継続中と報告が来たのです、もうジーナさんったらその顔。あの会に参加した方々と本当に同じで笑っちゃいますよ。すぐその気になって面白いですね。それでこうです、この異常気象は今だけなのか? これからもなのかと、文献と古老たちの意見も参考にしての大激論となりましてね、さすがに私もその様子は再現しませんが、結論としてとりあえず準備は前倒しにして整えておく、というものとなりまして今皆さんが訓練や演習で苦労なさっているわけでなのです」
もしも可能であるのならそれはもう今すぐにでも攻撃を仕掛けた方が良いに決まっている、
とジーナは指揮官の気持ちにも兵隊の気持ちにもなって考える。
占拠されたソグ砦の兵力はこの閑期において多くなく春に近づくにつれて増員するはずだ。あちらもこの雪の少なさに不安を募らせ中央に増員を依頼しているかもしれない。そうであるのなら日を一日伸ばせば伸ばすほどに不利になっていく。
「敵側の動きは確か交代もなく士気低下しているらしいが、何故だろう」
「昔の情報なのですが中央側はこちらとは雪によって強制停戦状態であるので、各地の蜂起に対する制圧を優先しているとのことでソグ砦はほぼ放置状態らしいのです。あちらが心配になって要請してもこの異常気象をどう捉えるのかは、両方の指揮官の意思で決まりますね。天から授けられた好機と捉えるか天の気紛れによる罠と捉えるか、この状態がこのまま続く中で攻撃をしたのなら結果は確実に来年の春の攻勢に比べて少ない損害で陥落させられるでしょう。逆に砦についてもつかなくても山中で突然気候が元に戻ったとしましたら惨憺たる結果となるのは明白です。さて赤か白か、ジーナさんはどちらに賭けます?」
それを言うなら黒か白かでは? とジーナは思うも各地で言い方は違うのだろうなとハイネのほんのりと赤みが増した瞳を見ながら答えた。
「様子見かな」
「もう面白くない。それは卑怯ですよ、どっちかに選ばないと駄目です。男らしくズバッと赤にするとか」
「この場合に決定権があるバルツ将軍の気持ちになって考えると迷って当然のことだ。将軍の場合は意思の一つ一つが兵の命と直結することとなる。簡単には言えない」
「そっそれはそうですけど、この場合は想像というか、そのですね、あの」
慌ててたどたどしく言い訳をしだしたハイネが珍しくてジーナは嬉しくなった。いい気味だ。
「別にハイネさんを責めているわけでなくてね、これは兵隊である私とバルツ様の関係のことで。考えることなど誰にだってできるしそんなのは軍師にでも任せておけばいい。重要なのはバルツ将軍は決心の方だ。今まで全責任を背負って何事も決断してきた御方だ。それは兵隊の命を生死をずっと預かり苦悩してきたからこそ、我々はその決断に従うという思いはある。将軍は兵隊の命は平等で全てに価値があると見て下さっているのを我々はよく知っているからな」
話し過ぎて口の中が乾いたのでジーナは茶を一口呑むが、ハイネはその間に口を挟まずに黙ってそのままの姿勢で聞いていた。その表情は不思議なものを見るような眼のようで疑問を抱くもジーナは話を再開する。
「そういう御方だから一番損耗率の高い前線の隊を目にかけ優遇してくれる。主に前線に配置される私の隊は普通なら異邦人に異民族や罪人に志願と大切にされるはずもないのにバルツ様は分け隔たりなく扱ってくれる。そのおかげで私も優遇されているからね。護衛とか講義とかで」
やけによく回る口だなとジーナは我ながら思っているとハイネの表情が溶けていくように驚きから優しいものへと変わっていくも、まだ口は閉じたまま。
これもなにか珍しくジーナはその顔にいつにない心地良さを覚え、いつもと違う言葉を見つけ取り出した。
「そう考えてみると私はハイネさんからもこうして良くしてもらっているし、ありがたいことだ」
回転し続けた舌がここで止まり二人の視線はまた驚きで以て交わされる。静視して数秒、それでも耐えられなかったのかハイネは視線を外し苦笑いしだした。
「ハッハハ、その、いやいやびっくりしました。いやそれは、私のことではなくてバルツ将軍のことです。噂じゃ事あるごとにいつも反抗ばかりしているのにそんな言葉で以って感謝を語るだなんて。頭でも打ちました?それともこれがあなたのやり方?」
ハイネは机の上に置いた手に視線を落とし、指をせわしなく動かしながら聞いた。
「頭は打っていないしやり方とか言われても、私は反抗はするがこちらは嫌ってはいないから、そうなのかもしれないな」
「そうですよ」
ハイネは顔をあげてジーナを見る。
「その思いをバルツ将軍に直接伝えたら喜びますよ」
「いや、それはなんだか嫌だ」
「出た! 男らしい照れというか面倒臭さ。そうやって何事も大げさに重く考えてめんぐさく考えるのは駄目ですってば。いいんですよ。もっと気軽に自分の感情を相手に伝えても。悪い事ではありません。むしろ良いことなんです」
ジーナは自分の手に熱いなにかを感じるがそれはハイネの手が乗ったのだとすぐに分かるも視線を落すことは無かった。今はそれよりも返事をするほうが大事だと思い、無い頭で言葉を探した。
「そうやって人に何かを伝えるのは苦手だからあまり」
「それがいけないんですって。ただでさえあなたは人を勘違いさせるのですから損ですって。あのさっきの、ありがとうもそうで、一言が必要なのですよ、一歩が、人との間には、そう思いませんか」
ハイネはいつもの表情で変わらぬ声でゆっくりに語るがそこにはなにか演じているものをジーナは感じた。ただ重ねられた手の熱は上がり続け力も加わりだしているのが分かった。
「そうすれば、限りなく近寄り、一つになれるのですよ」
ジーナは手の甲を返し掌にてハイネの手を受け取り握る、というよりかはその熱を貰った。
「そうかもしれない」
ジーナはそう答えるとハイネは視線を先に落とし息を吐き、手を離し引いた。
「まったくもう、相変わらずですが許してあげますよ。しかしあなたは果報者ですよ。私という理解者がいて良かったですね」
「そうなのか?」
まるでそう思えないためにジーナはそう返した。