進軍の予兆
兵隊を含めたソグ地方の多くの人々はこのまま一時停戦のまま平穏な日々が春まで流れていくと思っていたが、しかしここ最近は訓練時間の増加によって民間含め兵隊間でも噂が広まっていった。
戦いが近づいている、と。
主張するものに対して次の戦いは春からだというものとの口論があちこちで起こるも、冬のソグ山の状況を知るものが多いために論争は春からだとそこに落ち着いた。
だが訓練は次第に冬の雪山を想定した演習へと変わっていくにつれ、春からと主張するものの数は少なくなっていった。
新しい装備や武器が支給され兵隊たちは不安と緊張に包まれていく。まさか始まるのだろうか? この季節に?
兵隊の疑問に上層部は常に冬季演習の一環であるの一点張りであり、そもそもな話で上層部にしてみてもこの訓練がどこに行きつくのかなど分かってはいなかった。
軍の指揮官であるバルツは忙しい勤務の間の時間を作り講義に極力参加しつつも、その顔には疲労と憂いによってシワが深く刻まれているとジーナは観察し、またルーゲンはルーゲンで逆に日に日に身体中に生気を漲らせているようであり、両者の様子から動き出しているものがあることを見て取ったジーナもまた気分が高揚する。
戦場に行ける、と。
けれどもそれは戦場というのが目的ではなくその先の、遥か先の到着点へ近づけるということであり、その為には最前線へ……
「ジーナさんの隊は最前線の真正面に配置される予定なようですよ」
こちらは流れるがままにいつの間にか定例化したハイネとの兵舎の裏の例の場所で仕事の話をする会? が催されていた。
最近では簡易机を持ち込んで茶を効率的に呑んだり書きものも可能となっており若干の違法感も出始めていたが、ハイネはハイネで守秘義務をここではどこかに放り投げてジーナに情報を提供して遊んでいた。
「すると冬季戦が始まると?」
「そうですね。すっかり噂になっていますけど実は事実でして、ヘイム様にマイラ様からバルツ将軍たちとトップの方々による会合が増えております。最近の雰囲気ではもう最終調整の段階に入っていますね。当初は春の予定でしたが情勢の変化を踏まえまして変更致したく、とこんな風にマイラ卿の提案からはじまりましてね。あっお茶をどうぞ」
勧められるがままに茶を貰うも口をつけずに続きを待っていると、ハイネが不思議な眼でこちらを見ていた。
「そんなに気になりますか? あっいけないこれは機密情報でしたね。だったらもうこれ以上はよしましょう」
「待った待った。それはひどい。こんな中途半端なところで終えられたら困る。せめて最後まで」
「私そんな気はありませんよ」
「先にその気にさせたのはそっちだろうに」
何だこの会話はとジーナが思っているとハイネは我慢できずに笑い出し咳き込み息を荒くさせた。
「やだジーナさん必死すぎ。分かりました。まっ秘密は共有するものですから仕方ありませんか。でも、もしばれたらジーナさんに強要されたと泣きながら証言しますから覚悟してくださいねこれは共犯ですね共犯。そうでよければ教えますけど」
「分かった。私は必死でハイネさんに強要した共犯だから、どうか教えて貰いたい」
フフッと気持ちよさそうに微笑みハイネは説明しだしだ。
「ごく少数ですがソグ山付近には斥候が張っておりましてその情報によりますと、ソグ山の砦は守備兵の数があの戦闘後のまま減った状態であり、それどころか交代時期になっても一向に交代の動きがなく、砦は内部では士気の低下も伺えるとの報告が入りました。これがこの時だけの機会であるかもしれず逃すかどうか、いま判断が揺れているわけですよ」
ジーナは話を聞きながらソグ山の砦を思い出していた。我々の軍は限界状態であった砦を放棄し雪の到来を頼みに野戦に挑んだものであるも、それは作戦上のことであり砦は砦で堅牢不落とは言えないまでも脆弱なものでないことは知っていた。
「にわかには信じ難い話だな。ソグ山の砦といったら向う側とこちらを繋ぐ要所中の要所で、ここを突破してしまえば中央側もここまでの苦労が水の泡となるというのに」
「いくつかの点で考えられますね。一つ目はソグ教団は龍の歴史に凝り固まっている連中だという先入観で故事とあの奇跡に倣って春まで待つ戦略をとるとの観測をしている可能性もあります。実際教団の上層部もはじめからその判断でいこうとしていましたし、その頃に情報を得ていたとしたら砦の方針もそうしたのでしょうが、マイラ卿はそこを隙と見越しまして」
「裏を突くということか。だけど、ただ単純に裏をついても成功するかどうかは不明では」
「バルツ様と同じことを言うとはジーナさんも中々やりますね。その通りでしてマイラ卿の提案に対してバルツ将軍が鋭い目でこう睨まれまして」
オホンと咳払いをするとハイネは突然眉間に皺を寄せ眼は鷹の眼がごときとなりそれはそのままバルツ将軍のものであり、口からは低い声がし呼吸のリズムと声の雰囲気がそっくりであった
「とはいいますがなマイラ卿。奇襲はバクチみたいなものだ。無理をして裏をかいて逆襲されやられた場合は被害が大きくなり元も子もなくなる。可能性がある可能性があると言われましても、こちらとしては賭けのようなことは最後の最後まで控えておきたい。まずは確実な方法をな……オホンッいかがでしたジーナさん?」
表情が元通りとなるもその変わりようにジーナは慄いた。また一つ恐怖ポイントが増えた。
「そんな特技があったの?」
「仕事上必要ですし。あっ諜報の時とかですよ。これも秘密にしてくださいね」
「なるほど……あっバルツ様の見解は当然のことだな。だいたい今は雪の季節だというのに、
奇襲効果を狙って危険な雪の進軍をするのは無謀に近いとしかえいないし」
「ところがです……バルツ殿のご意見は当然のことと思われます」
今度はどこかで聞いたことのある男の感じであったが、ジーナはマイラだと思い出した。何度か演説を聞いたもが、内容は覚えていない。シオンが隙あらばその婚約者の素晴らしさを語るもののジーナの心には湧き立つものはなにも無かった。
龍の血族の一員であり中央の龍の側近中の側近であったが、ソグ側の龍に奔ったあちらからすれば裏切り者であると同時に自動的に龍の宰相候補となり現在ソグ側の政治的には最高権力者。
一度も直接会ったことはなくともシオンの口からいくらでも個人情報が出てくるために、なんでも知っているような気もする知らない人。
「こやつは掛け値なしに一本気なやつでな、物心ついたころからマイラ以外の男を想ったことは一度たりとも無く、あっちもシオン以外の女に特に見向きもせぬ、正真正銘のバカップルだからジーナも惚気話で疲労せぬように気を付けるように」
ヘイムのいつもの注意の声が耳の奥から聞こえてきたがジーナはすぐにハイネの話に耳を傾けた。
「通常であれば私もこのような賭けを主張することはないのですが、現在ソグ山は雪の勢いが弱まっているのです。それも止む勢いで」
あまりに意外なことを耳にしたせいでジーナは何も言えずにいると役をやめたハイネが微笑む。
「フフッ今の顔バルツ様の反応とそっくりですよ。そうなんですよ、観測班によるとソグ山は現在かつてなかったほどの雪の少なさとのことです」