リヴァレ・ドゥ・デュール
第二章 リヴァレ・ドゥ・デュール
リリスとサントの出会いから、一夜が明け。
「朝ですぅ~!起きてくださぁい、サントさぁ~ん!」
お人形のような、金髪のスキュラ・メイド、キューレが起こしに来た。
「あ、うん。今、起き・・・」
「早く起きないとぉ~・・・えぇ~い!」
言い終わらないうちに、彼女のお腹の犬頭が、勢い良く伸びてきて、
サントのお腹に、ドスッ!と突き刺さる!
「ゲフッ!・・・起きた!起きたから!」
「お食事ができているのでぇ、食堂へどうぞぉ♪」
言いながら、ジーっと視線が下に降りる。
「それとぉ、お嬢にソレをお見せしたらぁ、勇者さんウインナーはぁ、
キューのワンちゃんのおやつ、ですよぉ♪」
言われて、下を見る。朝の生理現象・・・
「ち、違うんだよ!これは、寝起きにはこうなっちゃうって言うか」
慌てて言い訳をして、手元を見ると、縫いぐるみのようだった犬頭が。
ガチッ!ガチガチッ!!と、牙も剝き出しに、嚙みつこうとしてきた。
「うわっ!・・・か、勘弁してよ・・・」
思わず犬頭を投げ返し、溜息と共に、寝台を下りた。
食堂に入ると、テーブルには、パン粥やローストした魚、サラダが並ぶ。
「おはよう。うわぁ、美味しそうだね」
普通の食事が、素直に嬉しい。
「おはようさん。朝は、二人に作っといてもらったよ」
既に席についていたリリスが、微笑みながら、応える。
「おはようございます。昨日は瘴気中りを起こされたそうでw、
まだお腹の方も落ち着かないだろうとww、お嬢のお心遣いですwww」
ガイーヌの、小馬鹿にしたような失笑に、軽くイラッときたものの、
一々目くじらを立てては大人げない、と、勤めて冷静に振舞うことにした。
「うん、ありがとう・・・」
ここで、気になっていたことが一つ。
「ところで、ガイーヌってガーゴイル、だったよね?」
「はい、左様ですが」
「女の子のガーゴイルって、初めてみたよ」
何の気なしに問うてみると、その質問を待っていた、とばかり、
「それは当然でしょう。何を隠そうこの私は、お嬢にお仕えする為に造られた、
注文製造ですから。量産型とは違うのですよ!」
ふんす、と鼻息荒く、その小さな胸を反らせる。
「へぇ、ガーゴイルって【製造】されてるんだ?知らなかった」
「まぁ、石だからねぇ」
専門の石工が、魔力の篭った魔岩塊から、一体ずつ削り出すのだ、と、
お茶を口にしながら、リリスが補足する。
「ところでサント。この後なんだけど・・・」
「うん、まずは一番近い街から行ってみるつもり」
「ってぇことは、オーク坂シティ、だねぇ。あすこは、商人が多い街だから、
ハナっから目の敵にされる、ってこともないんじゃねぇかな?」
話を聞いていたガイーヌも。
「そうですね。港から近いこともあって、ゴレイシアとの交易を行う者もいるとか。
こちらから揉め事を起こさない限り、問題はないかと」
「食べ物も、美味しいって聞きますぅ。テンタ焼き、とかぁ、オコノミぃ?
なんでもぉ、【コナモン】って言うらしい、ですぅ☆」
テンタ焼き。海洋系の触手を小さく切って、スープで溶いた小麦粉と混ぜて、
丸い形に焼き上げたもの、らしい。
しかし、海洋系の触手を、スキュラが食べたがるのは、如何なものか。
サントが苦笑を浮かべていると、扉をノックする音が聞こえる。
「?こんな森ん中に、誰だろうねぇ・・・ガイーヌ」
「かしこまりました」
ガイーヌが扉を開けると、そこには。
「毎度~!【バステトメガミ】の宅急便ですニャ!」
縦縞の制服にキャップを被った、チビッ子猫耳娘が、満面の笑みで立っていた。
「宅急便・・・ですか?」
「はいですニャ!こちらに、リリスさんはいらっしゃいますかニャ?」
「へ?アタシかぃ?」
何の用だろう、と、リリスは扉に向かった。
「で?アタシに何か用かぃ?」
「はい!お届け物と、お願いがあって来ましたニャ!」
まずはこちらを、と出された荷物を、用心しつつも開けてみる。
出てきたのは、手の平大の三角形の物体。曲線を描いた管が突き出している。
「なんだい、コイツぁ?」
「通信機ですニャ。調整は済んでますので、耳にお当てくださいニャ」
耳慣れない言葉に、首を傾げるも、言われた通りにしてみる、と。
『八ッロー!はじめましてニャ!リリスちゃん!ボクはバステト、ニャ♪』
「うわっ!な、なんだい?耳元で声がすらぁ!」
『うんうん、初めてだもん、仕方ないニャ♪それは、離れたところの人同士、
会話ができるアイテムなんだニャ☆』
俄かには信じ難かったが、一先ずは置いておいて。
「で、バステト、だっけ?お願い、とか言ってたみてぇだけど」
『それニャンだけど、キミ達の世界の女神がふつ・・・体調不良になってニャ。
代わりに様子を見てきてって頼まれたんニャけど・・・』
(危ない危ない、あの子が二日酔いなんて、言えないニャ・・・)
「けど?」
『三千年以上も使ってなかったから、ソッチの世界へのルートが塞がってて、
ちょ~っとばかし、召喚して欲しいのニャ♪』
つまりは、自力で行けないので、呼んで欲しいということか。
「ちょいと待った!アタシ、そんなのやったこと無ぇよ?」
『大丈夫ニャ♪そこにいる子が、準備してるハズだニャ♪』
目をやると、先ほどの猫耳娘が、扉の外で動いていた。
三メートル四方の、幾何学模様の描かれた布を敷き、張りを確かめる。
塩やら燭台やらを置き、ブツブツと何かを口ずさんでいたが。
「準備できましたニャ!こちらへどうぞ、ですニャ!」
促されるまま、召喚陣の前まで行くと。
「それでは、私が触媒となりますので、この紙の通りに唱えてくださいニャ」
渡された紙を見る。触媒という言葉に、少々引っ掛かりを覚えたが。
「コイツを読みゃあいいんだね?」
召喚陣の中央に移動した猫耳娘が、頷く。
「じゃぁ、いくよ。【界を渡る風 星の彼方に吹く風よ 混沌の導きによりて
二界を繋げ 我の呼びかけに 歪管の音をもって応えよ 召喚!バステト!】」
猫耳娘の身体が光に包まれ、何処からともなく、喇叭のような音が聞こえる。
悪寒を伴う不協和音。やがて、光が収束してゆき。
『呼ばれて登場!ニャンニャニャーーーーーン!!』
陣の中央にいた猫耳娘に代わり、おかっぱの黒髪に猫耳を生やし、
色とりどりの、ゆったりとした服を着た、二十歳前後の女性が立っていた。
片手を挙げ、もう片方は胸元、クルリ、と猫手にして、片足を跳ねさせる、
元気いっぱい!と言いたげな、陳腐・・・いや、独特のポーズを取っている。
「ほ、ホントに、出て・・・き・・?」
驚愕の表情で眇めていたリリスだったが、ある一点を見るなり。
「!見るな!サント!」
「え?あ!お、お、お、おぱ、おぱおぱおぱ・・・」
アタフタと慌てふためき、真っ赤になりながら、眼を逸らす。
初心なサントが慌てるのも、無理もない。
女性の服装、刺繡や玉石で飾られた揃えの中で、隠されて然るべき部分、
巨・・・とまでは言わずも、胸部、その双丘部分だけが露出していた。
ビシィッ!!と女性、バステトを指差し、「アンタ!バステトって言ったかい!」
『ウニャ?』と、バ・・・もとい、屈託のない笑顔を返す、バステト。
「出てくるなり、なんてカッコしてんだい!」
『格好って、あ、もしかして、コレのことニャ?・・・ヘンかニャ?』
わざと見せびらかすように、突き出した自らの胸を指差す。
「だ・か・ら!隠せって言ってんだよ!あ~、もう!・・・ガイーヌ!」
血管も切れよとばかりに、頭を抱え、指示を飛ばす。
例え神とはいえ、想い人を誘惑するものはユルサナイ!
「承知致しました・・・失礼!」
飛び上がったガイーヌが、手にしていたケープを、勢い良く被せる。
『わぷっ!え?プレゼントかニャ?ありがとニャ~♪』
手近にいたガイーヌに抱きつき、トテトテッ、と駆け寄ってくる。
「違ぇって!あ~、このうざってぇ感じ、やっぱアンタも神さんだね・・・」
目の前の人物に、(失礼な)確信を得て、リリスは盛大に頭を抱えた。
「・・・ねぇ、リリス。もう大丈夫かな?」
耳まで真っ赤に染め上げたサントが、後ろを向いたままで言う。
「あ、悪いね、サント。隠したから、もう大丈夫だよ」
ニャフ♪と悪戯っぽく笑いながら、チラチラとケープを捲ろうとするバステトに、
鋭く睨みを利かせながら応えた。
『や~や~、お出迎えありがとニャ♪それにしても少年~?そんなに真っ赤にニャって、
ウブだニャ♪恥ずかしいニャ?それとも、見たいのかニャ~~~?』
厭らしいほどニヤニヤしながら、サントをからかっていたバステトだが、
胸元に掲げた手に、ボゥ、と黒炎を灯したリリスに危機感を抱き、
『じょ、冗談ニャ!冗談。だからソレ、引っ込めてニャ!』
慌てて火消しに努める。
『コホン。では改めて、ボクはバステト。女神だニャ♪さっきも言ったけど、
こっちの女神がダウン中だから、復活するまで、様子見に来たニャ♪』
「それって・・・大丈夫なんですか?」
真剣な表情で問うサントに。
『だ~いじょうぶ大丈夫。ただの飲みす・・・じゃなかった、とにかく、
何日かしたら、また元気に戻ってくるはずニャ♪』
「そんな直ぐに治るんだったら、アンタが来る必要、あったのかい?」
半目で睨みつけるリリスに、
『そんなこと、言わないのニャ♪暫くあの娘に任せっきりだったから、
この世界がどうなってるか、神界としても、そろそろ確認しないとニャ♪』
「にしたって、三千年とか言ってなかったかい?・・・放っとき過ぎでぃ」
『ふふん♪その程度、神にとっては、一眠りしたのと同じニャ♪』
「吞気だねぇ・・・で?アタシらに引っ付いて来んのかい?」
言外に、どっか行け、と含ませながら、若干嫌そうに問うてみると。
『う~ん、キミ達が向かう、次の街までは一緒に付いてくニャ。そんでもって、
街をひと回り見たら、ボクはボクで勝手にアチコチ見に行くニャ♪』
お構いなく、という言葉に、ホッと吐息を洩らすリリス。
『心配しなくても、お邪魔はしないニャ。遠隔で覗くかも、だけどニャ♪』
「~~~~~~~~!!」
小声で囁かれ、怒りか羞恥か、顔を赤らめるリリスであった。
「・・・あの、そろそろ離していただきたいのですが」
あまりに自然に、バステトに抱きしめられたガイーヌが、漸う訴える。
『あ、ゴメンニャ。重たいとは思ったけど、可愛いから、つい、ニャ♪』
「重たい・・・重たい・・・」
解放されたガイーヌが、石である己を分かってはいても、ショックは隠せずに、
ガックリと膝をつく。
「大丈夫ですよぅ。ガイーヌちゃんはぁ、カワイイと言われたのですぅ」
隠れて様子を見ていたキューレが、傍らに寄って慰めていた。
『よ~し、そんじゃ、ひあ~うい~ご~!ニャ♪』
バステトを加えた一行は、木洩れ日射す森の小径を行く。
『それにしても、さっきのはスゴかったニャ♪お家がずぶずぶって、
あっという間に沈んでったニャ♪』
「いえ、それほどでも・・・」
先程の件からか、微妙に距離を取ろうとする、ガイーヌ。
一方のバステトは、獲物を狙うかのように尻尾を揺らめかせながら、
ジり、ジリ、と距離を詰める。
「何だか気に入られちゃったみたいだね」
苦笑交じりにサントが言うと、
「あぁ、まぁ絡んでこなきゃあ、願ったりだねぇ」
二人の攻防を他所に、長閑な空気が流れていた。
しばらく歩いてゆくと、不意に。
「あぁ~~~~~~~~れぇ~~~~~~~~~!!」
女性の悲鳴が耳を打つ。
「!誰か襲われてるのか?行ってみよう!リリス!」
言うや否や、サントが駆け出す。
「あ!サント!しょうがねぇ・・・行くよ!お前ぇ達!」
(でも、さっきの声、どっかで聞いた気がするんだよなぁ)
急いで駆けつけてみると、果たして。
一人の少女が倒れ伏しており、その全身には、衣のように絡みつく、粘体。
その粘体が、脈動しつつ、少女を苛んでいた。
「これは、【粘体拘束の呪い】・・・」
粘体拘束、いわゆるスライム服の魔物罠と呼ばれるものであり、
物理攻撃に強い特性と、被害者に障るため、魔法攻撃も困難であるという、
解除の難しいトラップの一つでもある。
「いぃ~やぁ~ぁ~~~!どなたか、あ♡助けてくださいませぇ~~~!
気持ちぃのは、はぅ♡嫌いではないけど・・・おふぅ♡・・と、とにかく、
スライムは嫌ぁ~~~~~~~~~~~!」
艶めいた嬌声を上げ、イヤイヤ、と身を捩る少女。
先行していたサントも、赤面しつつ、手出しを躊躇っていた。
「サント!どうだった!・・・って、あ”~、お前ぇかい・・・」
「リリス、知り合い?でも、どうしようか、コレ」
手でも剣でも難しい、と困り顔のサントだったが、
「とりあえず、燃やしっちまおうか?」
掌に、ボウッと黒炎を灯し、面倒くさそうにリリスが言う。
「なっ!ななな何てことを言い出しますの?リリス!あふぅ♡・・・
こ、この状況で・・・んんっ!卑怯ではなくって?」
身悶えながらも、抗議の声を上げる少女。
「んなこと言ったってなぁ・・・」
やいのやいの、と議論しているところに、後ろから声をかける者が。
「もし、お困りのご様子ですね?」
振り返ると、旅装姿の女性が一人。フードを目深に被っているため、
口元くらいしか見えないが、恐らく人間であろうと思われた。
「あの、貴方は一体・・・?」
この様な場所に、女性が一人?訝しんだサントが問うと。
「私は、ただの通りすがりの魔導士です。見たところ、粘体罠の様子。
幸い、水属性には心得があるので、お力になれるかと」
言って、ふわり、とフードを掃うと、青み掛かった黒髪に、碧眼。
柔和な面差しの、細面の女性の顔が現れた。
「これ以上は、彼女も我慢できないでしょうし・・・プル?」
誰ともなく呼びかけると、その懐から出てきたのは、手の平大の、スライム?
prrrrr、pypy!と音を発し、のたのた、と女性の手に移動する。
「さ、抑えてちょうだい?」
その、スライムらしき物体を、少女の胸元にそっと降ろす。
puiiiiーーーー!pi!
体表に紋章のようなものを浮かべ、少女に纏わっていた粘体を、侵す。
ビクリ、と脈動しながら、粘体は抗うも、やがて。
「~~~~~っ♡・・・え?止まっ、た?」
限界間近だった少女は、呆気にとられたように、己が胸元を見やる。
そこに据えられた一体に、恰も屈伏したような粘体が蟠る。
「これで、もうおイタはできないでしょう。こちらもどうぞ、お嬢さん」
未だ荒い息に囚われていた少女に、鎮静の薬湯を飲ませる。
「はぁ・・・どなたか存じませんけれど、お礼申し上げますわ」
「いえ、同性として、当然のことですよ」
女性は、柔和な笑みを湛えて応じる。
震える膝を押さえて、立ち上がった少女は、改めて首を垂れ、
「申し遅れましたわ。私は、フルーレ=エクレール=ラプラスと申します。
此度はお助けいただき、改めてお礼を。貴方様の御名を伺えますでしょうか?」
少女、フルーレは、フリル豊かな純白のドレスの裾を軽く持ち上げ、
その身を正し、慇懃な礼をとる。
「これはご丁寧に。私はサラ。先程も申しました通り、今は旅の途上の、
ただの大魔導士です」
((さらっと【大】付け足した!?))
傍らで聞いていたリリスとサントが、心中でツッコミを入れる。
「それで、サラさんは、何故こんなところで、その、一人旅を?」
女性の一人旅、危なくはないのか?サントの疑問に。
「私は星見もしておりまして。この地に凶兆が見え始めたので。それに」
フルーレ、サント、リリスを見回してから。
「貴方達にも、【避けえぬ戦い】の気配がありましたから」
「「「避けえぬ、戦い?」」」
「ええ。神話の、【厄災】はご存知?」
穏やかな態度のまま、投げかけられた質問に。
「ええと、確か尋常でない数や大きさの魔物が、頻繫に襲撃したっていう?
【小鬼恐慌】とかも、そうですよね」
これには、サントが応じる。
「その通りです。あの時のゴブリンの総数は、五百は下らなかった」
三千年以上は昔の話を、見てきたように話す姿に、違和感を覚える。
「私は、そのような芽を摘み取るのが仕事。そのために各地を、
・・・そろそろ、来たみたいね」
上空を振り仰ぎ、背負っていた袋から、人頭大の水晶を取り出す。
彼女に倣って上空を眇めたリリスが、「ハーピー?」と零す。
「いいえ、あれはハルピュイア・・・錯乱しているみたいね」
ハルピュイア。ハーピーの上位種にして、クイーンに当たる個体。
見れば、成程、どう見ても出鱈目な飛び方をしている。
「このままでは、狂鳴咆哮が起こってしまう・・・
そうすれば、制限なくハーピーが集まって、無差別な襲撃が始まる」
神話級の災禍。その再来が、間近に迫っている。
「ハ、狂鳥大渦・・・」
知らず渇く口中に、掠れたように、サントが災禍の名を呟いた。
「まずは、落としちゃいましょう」
軽い口調で言う、サラ。胸前に掲げた水晶から、水塊が現れる。
「行きますよ~!【粘体射出】!」
言うや否や、ブルブルと渦巻く水塊が、高速で打ち出される。
その日のハルピュイアは、身体の違和感を覚えていた。
翼になっている己の手では届かぬ、首の後ろの痛痒感。
誰かに見てもらおうかとも思ったが、どうせ小虫の類が付いたのだろう、
砂でも浴びて、擦り付ければ治まるはず、と楽観していた。
それならば、いつも行く場所までひとっ飛び、と思ったとき、
違和感は、異変へと転じた。
ジクリ、と神経に齧り付かれたような激痛。次いで、視界が血色に霞む。
千々に乱れる思考に、彼女の理性が蝕まれてゆく。
「スナバ・・・ミズ、バ・・・二、イコ、イコ・・・イィィィィッ!」
残されていたのは、先ほどまでの己の思考の残滓。
それすらも塗りつぶすように、恐慌に支配されてゆく。
見えない何かから逃れるが如く、バサリ、とその大翼を広げる。
大空に舞い上がったその時には、彼女の顔に、理性の色は残されていなかった。
涎を撒き散らし、極彩色の髪振り乱しながらの、出鱈目な飛行。
どれ程の時を費やしたか、狂乱の飛行を続けたのち・・・
己の眷族を呼び寄せる咆哮、その無制御放射という禁忌に及ぶ。
「kkkkkkkKyyyyyyyiya・・・」
而して、その聲が絶叫の域まで高められる、正に寸前の、その刹那。
地上より飛来した、粘性の水塊に、全身を捕らわれた。
「mmmmmmmmmmnnn・・・」
口許までも覆われ、身動きも儘ならず、重力の軛の誘うまま、
大地の御許へと、逆落としに墜落していった。