おっさんズ フロウ
間章 おっさんズ フロウ
魔王の居城 サルモン・ド・ディアブル
その執務室、黒衣を身に纏い、憔悴しきった様子の男が、嘆息ひとつ。
紫檀の執務机に肘をつき、物憂げに宙を見上げる。
魔王 デイモス=マルズ=ハートペイン
端正な顔立ち、灰髪を後ろに流し、ともすれば人のようにも見えるが、
鋭く伸びた耳に、欄と光る、魔力を宿した黄金の眼光を見るに、
それが只人ならざる存在であると主張する。
『娘は、まだ見つからんのか・・・』
絞り出すような声には、娘を憂う父としての顔が、ありありと浮ぶ。
「陛下。只今、私の娘にも心当たりを探させております。各軍団からも、
手すきの者を捜索に当たらせております故、お平らかに」
後ろに控える、魔軍第一師団長、バエル=マルチェッロ=ラプラスが応える。
燃え盛るような、紅の炎髪、白銀のモノクルを嵌め、瘦せぎすの体躯に、
濃緑のズート・スーツを着こなす、魔王の腹心である。
『ああ、そう言えばお前の娘は、リリスと仲が良かったな』
「仲が良い、と申しましょうか・・・アレは、何かにつけリリス様に勝負だと。
誠に、お恥ずかしい限りでございます」
恐縮頻りのバエルを、掌を向けて制すると。
『良い。なに、喧嘩をするほど仲が良い、とも言うではないか。それより』
言いかけた所で、執務室の扉が叩かれる。
入室を許可すると、伝令吏の小魔が入ってきた。
「失礼いたします。国境の物見より、こちらが届きました」
耳障りな、甲高い声で報告すると、一通の鉛管を差し出す。
バエルが受け取り、鋸歯のついた小刀で切り開くと、書簡を取出す。
「・・・・・・陛下、これを」
書簡に目を通したバエルが、やや緊迫した顔で、その羊皮紙を差し出す。
『ふむ・・・勇者が上陸、か。各師団長に通達だ。軽々な戦闘は慎め、とな』
「様子見、ということで宜しいので?」
少々意外であったのか、バエルがその真意を問う。
『うむ、偵察かはたまた・・・いずれにせよ、全面戦争の種火を、
わざわざくれてやる必要もあるまい。出方を見る』
「それは然り。全軍に徹底させましょう」
命を受け、一礼の後、伝令吏が立ち去る。
『さて、暫しの間、忙しくなるやもな。その前に』
デイモスは立ち上がると、酒器を手に、傍らの小卓に誘う。
『一杯、付き合わんか?且つてのように』
「ふ、では、失礼して」
差し向かい、互いの酒杯に火酒を満たす。
杯を打ち鳴らすと、まずは一口、クイと呷る。
「・・・不安、か?」
『やはり、分かるか』
幼少の頃からの付き合いである。この魔王、デイモスという男は、
昔から思い悩む時、茶菓に豆茶にと誘ってくる。
「もう少し、自由にさせてやってもよかったのでは?あの子をみていると、
どうもお前に反発しているだけにも思えるが」
そこまで言って、悪手であったかと、バエルは顔を顰めた。
『うっ・・・ううっ・・リリスぅ~~~~~~~~!!!嫌だ!嫌だぁ!
自由になど!リリスは、いつまでも儂の手の届く所に居ないとぉぉぉぉ!』
遂に涙腺は決壊、魔王としての威厳もかなぐり捨て、号泣しだした。
「落ち着け!・・・全く、他の者には見せられん姿だな・・・」
手で顔を覆い、何として宥めたものか、と思いあぐねていると。
『はっ!もしかして今頃、勇者なんぞに誑かされて酷い目に!うあぁぁぁ~!』
『大丈夫ですよ♪』
他には誰もいない筈の場に、女声が割り込む。
「何者か!」
見るとそこには、ちゃっかりと自分の酒杯を手にした女が座っていた。
『待て、バエル。この部屋まで誰にも気取られず、侵入できるものなど、
そうは居るものでもあるまい。なぁ、【神】よ』
『あら、随分と察しが良いのですね。あれほど泣いていたのに。ふふっ♪』
『何をしに来た。儂を嗤いに、というわけでもなかろう』
怒りを押し殺しつつ、どうにか取り繕って、問いかけると。
『勇者のことです。今回は戦いが目的ではないので、それをお知らせしようかと。
・・・あぁ、それと、リリス。可愛いお嬢さんね?』
手酌で勝手に火酒を注ぎながら、ニンマリと微笑んでみせる。
『娘に何をする気かぁ!まさか・・・勇者を使ってあんなことやこ・・ムグーッ!
フンムグモガーーーーッ!!』バエルに、口を塞がれた。
「お静かに。それで?戦う気はないと仰せだが・・・左様なことを信じろ、と?
勇者のような【特異戦力】を送り付けておいて、どの口が仰るか・・・!」
紅の炎髪を弥増しに逆立たせ、静かな怒りを浮かべ、詰問する。
当の女神は、意にも介さず、火酒をクピリ、と一口。
少々苦そうに眉を寄せて、キョロキョロ。卓上にあった漿果を潰し入れる。
『~~~♡』お気に召したのか、上機嫌で飲んでゆく。
「聞いておられるのかっ!」
『もう、そんなに怒鳴らなくても。お酒は楽しく、ですよ?そ・れ・と。
勇者のことは、【良き出会いがあったので、方針を変更した】だけです』
「良き・・・出会い?」
『そう、これまでの人と魔族の関係を、変えうる可能性です』
「鵜吞みには出来かねる・・・監視は付けさせていただくが、よろしいな?」
『構いませんわ。丁度、貴方のお嬢さんが向かっているのでしょう?
・・・ところで、ソレ、大丈夫かしら?』
女神の指す、指の先。勢いで鼻まで塞がれた魔王が、虫の息になっていた。
「し、失礼いたしました!陛下」
解放された魔王が、肩で息を吐きながら、一言。
『ううむ・・・何やら死んだ爺さんと親父殿が手を振っておったような』
『うふふっ♪それでは、私は失礼いたしますね?』
掻きまわすだけ掻きまわして、女神は消えていった。
やがて、「・・・むっ?」
『どうした?』
「酒もつまみも、粗方なくなっているぞ・・・」
『・・・図り知れんな』
「ああ・・・」