50.打ち砕かれたプライド。
ハラルドはウィルヘルムの前で足を止めると、不愉快だと言わんばかりに手を払う。
「兄上、いやヴローム公。僕のことを呼ぶのであれば、殿下、もしくは皇太子殿下でしょう? そろそろ立場をわきまえてもらわないと困るよ。あなたはもう皇族ではないのだからね。今日は非礼を問わないでおくけど、次回はないと思って欲しい」
ハラルドの言葉に周囲が静まりかえった。
つい一か月前まで権勢を振るっていたウィルヘルムと、軍人としての人望の厚い新皇太子ハラルド。
この新旧皇太子の対峙に誰もが固唾を呑む。
永遠とも思える数秒の後、ウィルヘルムはのろのろと膝を折った。
「……寛大なご慈悲に感謝いたします。皇太子殿下。新しき帝国の太陽に栄光あらんことを」
とかすれる声で実弟に頭を下げる。
ウィルヘルムがハラルドに負けを認めたのだ。
皇太子であることが唯一のプライドであったウィルヘルムにとって、何という屈辱だろうか。
よりによって口さがのない衆人の前で実弟により面目を叩き潰されるなんて。
ウィルヘルムの肩はかすかに震え、砕かれた自尊心に目線を床に落としたままあげることは出来ないようだった。
共に過ごした時間があるだけに、面子を重視するウィルヘルムの心情が良く分かってしまう。
きっと明日には帝国貴族中にこの痴態は広がってしまうだろう。
宮廷貴族として皇族に媚を売りながらしか生きていく術のないウィルヘルムにとって、帝国の次期主であるハラルドとの不仲が知れ渡ることは致命的だ。
利用価値のない旧皇族と誰が交わろうとするだろうか。
一生孤独の中で生きていくしかない。
(ウィルヘルムとハラルドは年の近い同腹の兄弟だけに、他人には分からない確執があるのかもしれないわね。宮に住んでいた頃は、めったに顔を合わすこともなかったから気付かなかったわ……)
でもギャラリーが多くいる中で婚約破棄された私も同じようにひどい目にあったのだ。
ちょっといい気味って思ってしまうのは性格が悪いのだろうか。
「ひどいわ! ハラルド皇子!」
甲高い声が響く。
この重苦しい静寂を破ったのはシルヴィアだった。
「同じ血を分けた兄弟なのに、これはあんまりよ。ウィルヘルムは民のために身を尽くしてきたのよ。すこしは兄として尊重してもいいじゃないですか。あなたに兄弟の情というものはないのですか!」
シルヴィアは怒りとかすかに恐怖をにじませた瞳で、ハラルドをにらみつけた。
シルヴィアの白くきめの細かい頬がほんのり紅潮し、類稀な美貌ゆえに、えも言われぬ色気がただよい始める。
同時に周りを取り巻く貴族たちがざわめいた。
どうやら可憐で庇護欲をそそる“聖女”シルヴィアに心奪われてしまったようだ。
「皇太子はちょっとやりすぎだ」「哀れな兄君に慈悲を」などといった身勝手な言葉ももれ出す。
さすが主人公。
人々を魅了するフェロモンは健在。おそるべし聖女、である。
だが、そんな主人公の能力にもハラルドは表情を変えることはなかった。
「おや聖女様。ウィルヘルムがなぜ臣籍降下せねばならなかったのか、未だにご理解いただけていないのは残念ですね。平民出で無教養とはいえ、もうそろそろご自身を省みてはいかがですか」
ハラルドはシルヴィアに顔を寄せ、何かしら囁く。
シルヴィアは顔を蒼白にし、黙り込んだ。
(……あれほどまでのシルヴィアの悪癖を押さえつけているのはハラルドなのね)
酒池肉林が大好きで自らの欲に正直な自由奔放な聖女。
創造主の愛を一身に受けるシルヴィアの制御は不可能だと思っていたが、この新しい皇太子は見事に手綱を握っているようだ。
飄々としてつかみどころがないハラルドだが、ただ愛欲に溺れるだけのウィルヘルムよりも皇太子として適任なのかもしれない。
「あぁそうだ。忘れるところでしたが、僕がここに来たのは聖女様と無駄話するためではないのです」
とハラルドは言いながら、私とイザークのほうへ身体の向きを変える。
「メルドルフ領主コンスタンツェ・フォン・ラッファー殿、あなたとその夫君に皇帝陛下が見参をお望みだ。僕と共に来てほしい」
背中に冷たい汗が浮かぶ。
イザークを見上げると、イザークもまた口を真一文字に閉め身を硬くしている。
皇帝との謁見。
全てが決するときがきた。
50話をお送りします。
なんと!いつの間にか50話です。
あっという間でした。早かったです。
これからもよろしくお願いします。
感想・ブックマーク・評価ありがとうございます。
何というかほんと活力をいただいています!
嬉しいです。
では次回もお会いしましょう。
※次回更新は平日になりますので17時台の予定です。




